この時期、どこにいっても水仙が咲いている。日本の冬を象徴する花と思う。
寂しいところにひっそりと。ところが根に派手さがなく強く逞しい。そんな花、水仙が大好きだ。
今日の朝は三鷹市大沢コミュニティセンターの庭に咲いている水仙と出会った。昼間は三鷹市図書館の入り口に咲いていた水仙。
私がいつか見たいと思っていたのは越前海岸の水仙。水上勉さんの文章で出会った急斜面の海風にぶつけられ健気に咲いている水仙だった。
訪れる機会があった。平成5年3月27日(土)越前中央公民館での結婚式に呼ばれた。一人旅で遠かったのを覚えている。それと旅館が一人での宿泊を認めてくれない。当時は自殺者が多いらしく。なんとかお願いして泊まらせてもらい越前カニを腹一杯食べたのは忘れられない。越前海岸、越前岬の寂しさは今でも忘れられない。そこに群れをなして咲いている水仙。当時の写真をやっと見つけた。
花と波濤の越前岬
旅は孤独を味あわせる。と同時に、かみしめる孤独から勇気を培うものだと私はかねがね思っているが、越前岬ほど私に人生を考えさせた場所はないようである。
黒い断崖にかぜがふきすさび、その丘に、なぜ、あのような花が咲くのだろう。黄色い水仙であった。冬の凍て土に花が咲くのだ。
水上勉 負籠(おいご)の細道より
私もそう思う
声)武力は平和と安定に役立たない 朝日新聞
「独立国家ならば憲法改正を」(14日)を読み、残念に思った。武力を行使し、戦争をすれば国は守れるのかと、私は逆に問いたい。
私たちの一番の誇りは、戦後一度たりとも他国と戦争をせず、他国の人を傷つけることがなかったことだ。何よりも、国民は1人も戦争で犠牲になっていない。
戦争や武力行使は世界の平和に役立たない。2001年の米同時多発テロを受けたアフガン戦争やイラク戦争などで、米国は「テロとの戦い」「圧政からの解放」などを掲げたが、いまだに世界の平和と安定は実現していないではないか。先日のパリでのテロ事件を見ても、それは明らかだ。
結局、武力では何も解決せず、人の命が奪われ続けることを示している。
人の命は国よりも重い。人あっての国であり、国あっての人ではない。私たちが先の戦争で学んだ最大の教訓である。それが明文化されたのが憲法9条だと私は考えている。
現憲法は変える必要などない。もはや戦勝国から与えられたものではなく、私たち自身の憲法なのだ。
無職 西山雄二郎(神奈川県 70)
輝ちゃんの1月21日(水) 水仙に魅せられた1日
寒かった。朝起きれば細い糸を引くような雨交じりの雪。これをみぞれというのか。
一日中降り続いた。気温が上がらない。気分も上がらない。
恥ずかしいけど書いておこう。朝、女房を大沢コミセンに送る。一度車のドアを開けたから乗ったものだと思いコミセンについて、「2分しかかからないね!」と振り向いたらいないではないか。置き去り事件だ。一度、福島の土湯温泉で長女を置き去りにした経験がある。マットを取りに戻ったという。バックしていたら危うく指示棒にぶつかるところだった。こんな天気だと何かが重いのかな?注意しないと。加齢だけのせいではないな。
「世に棲む日々(四)」を購入。(三)巻ではちょうど長州藩の三人党、井上聞多、伊藤俊輔、高杉晋作が外国と講和交渉をする場面だ。揺れ動きが面白い。藩と人の動きが掴みずらい。
課題が進まない。やろうと思うのだが目に見えない壁にぶつかってしまう。