Hさんのフェイスブックに次のような記事が載っていた
次女が生まれた4か月後に阪神大震災が起きた。「まったく覚えていないが、自分が生まれたことと阪神大震災のことが、生涯の始まりとして、これからもずっと時を刻んで行くのだろう」と言っていた。長女も2歳半なので、長女を連れて被災者を訪ねたことなどは、もちろん覚えていないが、二人の受け止め方は違うかもしれない。
今年の成人は阪神大震災とともに生きているんだ。
事実を置き去りにしてはダメだ。全く忘れていた。横っ面を張り飛ばされた感じ。
辛苦を嘗めやっと現在に至ったのだから。亡くなった人は戻らない。
トラウマで脳裏から消えない人もたくさんいるはずだ。そういうケアがなされているのか。
昨日、NNNドキュメント1014を見た。あの黒田さんの壮絶な生き方に感動した。
阪神・淡路大震災から20年① ボランティア 黒田裕子 被災地への遺言
阪神・淡路大震災から20年。休むことなく被災者に寄り添い続けたボランティアがいる。黒田裕子さん73歳。自らも被災した彼女は、震災後看護師を辞め、被災地最大規模の仮設住宅に寝泊りし、「孤独死を防ぐ」「コミュニティを作る」などを目標に、仮設が解消されるまでの4年3か月、24時間見守り活動にあたった。東日本大震災でも発生翌日に現地入り。被災地では初めて、24時間看護師が常駐する仮設住宅を実現させる。しかし、20年目を目前に控えた2014年9月、末期の肝臓がんを患い、亡くなった。「死ぬのは怖くないけど、時間がないのが悔しい」。病床でも被災者のことを気遣い続けた黒田さん。被災者とともに考え、歩み続けた彼女の生き方やメッセージは、今も被災地に息づいている。
改めて私は敗戦とともの生きている。
私が生きてきた真実を伝えていく義務がある。
貧しくてつねに空腹でアメリカ兵が怖くて。
継ぎ接ぎだらけの服を着てDDTをかけられて真っ白に。
雑感1 朝日新聞の社説から
成人の日に考える―答え合わせと黒のスーツ
いいこ過ぎないか。格好ばかりつけている。核心がない。
言葉遊びの気がして仕方ない。
結論は、大人がだらしないから日本が成長しない。
問いを立てる。自分なりの答えを出す。そうして社会は少しずつ動いていく。その流れが滞っているのなら、考え、動くべきはこれから社会に出ていく若者ではなく、この社会を形づくってきた「大人」の側である。
そんなことはわかっている。
何故できないのか。「出る杭は打たれる」からでしょう。
二十歳になるみんなに何を言いたいのか全くわからない。
朝日新聞の武骨さはどこにいった。とるのをやめようかな。
雑感2 ブログ友のJちゃんが撮った写真
上の三枚がJちゃんが撮ったもの。送ってくれたものをちょっと失敬。
何をやってもとてもかなわない。
昨日、私のブログに黄色の花の写真を載せた。場所を教えてというのでleoくんと一緒に。
どのような写真になるのか楽しみだった。
実に素晴らしい。名前を教えてもらった。「ろうばい」という木だという。
水仙はわかっているが。おかげさまで綺麗な写真が掲載できた。