輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

ビンタされた自分 20年という歳月

2015年01月12日 21時59分39秒 | マツンのおもい

Hさんのフェイスブックに次のような記事が載っていた

 

次女が生まれた4か月後に阪神大震災が起きた。「まったく覚えていないが、自分が生まれたことと阪神大震災のことが、生涯の始まりとして、これからもずっと時を刻んで行くのだろう」と言っていた。長女も2歳半なので、長女を連れて被災者を訪ねたことなどは、もちろん覚えていないが、二人の受け止め方は違うかもしれない。



今年の成人は阪神大震災とともに生きているんだ。

事実を置き去りにしてはダメだ。全く忘れていた。横っ面を張り飛ばされた感じ。

辛苦を嘗めやっと現在に至ったのだから。亡くなった人は戻らない。 

トラウマで脳裏から消えない人もたくさんいるはずだ。そういうケアがなされているのか。

 

昨日、NNNドキュメント1014を見た。あの黒田さんの壮絶な生き方に感動した。

阪神・淡路大震災から20年① ボランティア 黒田裕子 被災地への遺言 

阪神・淡路大震災から20年。休むことなく被災者に寄り添い続けたボランティアがいる。黒田裕子さん73歳。自らも被災した彼女は、震災後看護師を辞め、被災地最大規模の仮設住宅に寝泊りし、「孤独死を防ぐ」「コミュニティを作る」などを目標に、仮設が解消されるまでの4年3か月、24時間見守り活動にあたった。東日本大震災でも発生翌日に現地入り。被災地では初めて、24時間看護師が常駐する仮設住宅を実現させる。しかし、20年目を目前に控えた2014年9月、末期の肝臓がんを患い、亡くなった。「死ぬのは怖くないけど、時間がないのが悔しい」。病床でも被災者のことを気遣い続けた黒田さん。被災者とともに考え、歩み続けた彼女の生き方やメッセージは、今も被災地に息づいている。

 


改めて私は敗戦とともの生きている。

私が生きてきた真実を伝えていく義務がある。

貧しくてつねに空腹でアメリカ兵が怖くて。

継ぎ接ぎだらけの服を着てDDTをかけられて真っ白に。

 


雑感1 朝日新聞の社説から


成人の日に考える―答え合わせと黒のスーツ


 

いいこ過ぎないか。格好ばかりつけている。核心がない。

言葉遊びの気がして仕方ない。

結論は、大人がだらしないから日本が成長しない。

 

問いを立てる。自分なりの答えを出す。そうして社会は少しずつ動いていく。その流れが滞っているのなら、考え、動くべきはこれから社会に出ていく若者ではなく、この社会を形づくってきた「大人」の側である。


 

そんなことはわかっている。

何故できないのか。「出る杭は打たれる」からでしょう。

二十歳になるみんなに何を言いたいのか全くわからない。

朝日新聞の武骨さはどこにいった。とるのをやめようかな。

 

雑感2 ブログ友のJちゃんが撮った写真

 

上の三枚がJちゃんが撮ったもの。送ってくれたものをちょっと失敬。

何をやってもとてもかなわない。

昨日、私のブログに黄色の花の写真を載せた。場所を教えてというのでleoくんと一緒に。

どのような写真になるのか楽しみだった。

実に素晴らしい。名前を教えてもらった。「ろうばい」という木だという。

水仙はわかっているが。おかげさまで綺麗な写真が掲載できた。

 

 

 




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