誕生日という一つの節目を迎え改めて思うことが一つあった。
あたりまえ
井村和清さんの詩だ。
もうみんな知っているだろう。
私は自分に問いかけよう。お前は今幸せなのかい。
「あたりまえ」に生きていることが一番幸せなのじゃないか。
では、「あたりまえ」ってなんなの。
胸に手を当て、口ずさんで次の詩を読んでみよう。
あたりまえ 雑感1
今日、leo君と国立天文台を散歩した。
「三鷹市星と森と絵本の家」の前で家族連れが昔遊びを楽しそうにしていた。
こんな遊びが「あたりまえ」にできることが幸せなんだよな。
「あたりまえ」がつづくといいな。
突然閉じられることがある。阪神大震災から20年。あっという間の時間。
今でも覚えている。夢ではないかと茫然とテレビを見ていたのを思い出した。
何も手出しが出来ない現実が苛立ちを生んだ。
みんな、「あたりまえ」が一瞬に崩壊されるんだ。誰の責任だ。
あたりまえ 雑感2
危うく交通事故。今、あたりまえにブログを書いている。が、あの時衝突事故を起こしていれば、この「あたりまえ」がない。
今日、夕方吉祥寺に買い物に行った。その帰りのこと。
むらさき橋通りを通って東八道路に抜けようと人見街道との交差点の青信号を「あたりまえ」に運転していた。右折で待っている車の様子がおかしいのでブレーキを踏んだ。なんとその瞬間俺の目の前を自転車(若い女性)が駆け抜けていくではないか。パッソのクラクション(か細い)を大きく鳴らした。遅かりし。でも衝突しなくてよかった。ブレーキを踏まなかったら完全に跳ね飛ばしていた。
赤信号は止まれという、「あたりまえ」のことがわからないのか。
武蔵野の冬景色
蒼い空 突き破るような枝
自然な色彩が踊る
少年たちの伸びやかさ
新しい何かを切り開く枯れ葉