阪神・淡路大震災20年 何も変わらない「死」の群像
阪神・淡路大震災20年 何も変わらない「死」の阪神・淡路大震災が起きた20年前というと1995年。つまり「Windows95」が発売され、インターネットの本格的な普及がスタートした年である。だから、震災が起きた1月当時は、まだインターネットによる情報流通は存在しなかった。被災地における情報は、口コミと、ラジオ・テレビ・新聞によるメディアに頼るほかなかった。
フェイスブックにこんなことを書いた
ジジイが爺いに頭にきた。
調布から府中方面に旧甲州街道を走っていた。メールが入ったのでウィンカーを出して左に止まっていた。
歩いてきた爺いが物凄い顔して邪魔だと車を叩く。「このくそ爺い」と怒ろうとした。待てよ、こいつと喧嘩しても何もいいことがない、とじっと我慢。これだから爺いは嫌われるんだ。きちんといいたいことを正面切って言えば。
勝どきミキさんから次のようなコメントをいただいた。
人生最後の10年。穏やかに笑って過ごすか、不平不満に顔を歪めて生きるか。とても大事な曲がり角ですね~。最近特にそう思います
LEO君と大国魂神社へ行ってきた。神社の中は変わっていないが、街並みは酷いことになっている。将来を見越した開発計画があったのかな?
輝ちゃんの1月16日(金) 突然の雨!中止にしたけど寒いこと!
テニスの始まる19時頃、雨がポツンときた。降ることはないだろうと。
マンツーマンレッスンでサーブ・レシーブの練習に入った19時50分頃に豪雨。
汗をたっぷりかいているので待機したりすると風邪をひくので中止にした。
どんどん冷えてくる。銭湯に行き10分ぐらいお湯に浸かったらやっと温まってきた。
今は、風邪を引かないことだ。気温差がこれだけあると体力がないと抵抗できない。
覚えておきたい言葉
優しさは、行動に出さなければ相手に伝わらない。
大竹しのぶ まあいいか
あと何年できるかわからない。カープで野球をするほうが、一球の重みが感じられると思った。
大リーグヤンキースから8季ぶりに広島に復帰する黒田博樹投手。
我々は生かされている
失いつつあるその気持ちを
20年目の節目に取り戻す
岩田弘三さん ロック・ヒィールド会長兼CEO
世界で戦うのであれば、「適切な応対辞令」が絶対的に必要である。
古森重隆さん 富士フィルムホールディングス会長兼CEO