こずくな生活

写真付きで山暮らし

ほんに感謝

2019年04月25日 | 旅山行

 

ブログの終わりを祝福するかのように、次男から鳥羽のプライベート桟橋を持ち部屋にトイレが二つも備えているホテルに招待された。お嫁さんの実家である釜石の両親と妹さんも加わり総勢7人、次男夫婦の結婚式以来と言うのに我がブログの効果だろうか?何の壁もなく無言の時間を持たずに会話がはずみ時計の針進みが早く、部屋に戻り酔い気分で枕を抱きしめた。

 

翌日は全員で伊勢神宮外宮へ、人の多さに少々我慢しながら内宮へ、平日だというのに近くの駐車場は満車、次男たちのスマホ力で離れた倍料金の個人駐車場へ、釜石のお父さんと同じく浮かんだのは「月にどのくらいの収益になるなと邪推な計算」、お伊勢さんの近くに住まいする特権だなと思った次第、さらにおかげ横丁と内宮の外宮以上の人の多さ、これでは神宮の神様は誰の願いを叶えようかと迷ってしまうに違いない、名物の手こね寿司と赤福を食べ5年後の再開を約束し、自分らは御在所の湯の山温泉へ、宿泊は露天風呂から星と名古屋方面の夜景を望める鄙びた宿、従業員が若く美味しい部屋夕食で安い料金、神宮の人疲れを充分に癒してくれる好山宿だった。

 

3日目は200名山の御在所岳に登る予定が小雨降る悪天で断念し峠を越え滋賀県の湖東三山である百済寺へ、この寺は聖徳太子が創建した古刹、戦国時代には壮大な勢力を持ち織田信長に敵対し比叡山ばかりでなく同じく消失されてしまったとか、ここの城石を運び城の石材料とした安土城へ急に興味抱かれ訪れたくなり予定変更し40分ほど車を走らせる、歴史好きの人以外に訪れる人は少なく自分ら好みだ、想像力を働かせ四半世紀前の景観を浮かばせてみる、それは天皇をも抑え込む壮大な天守を持った上から目線の姿だった。

近国東洋外国人の声が大きく閉口した整備され過ぎる彦根城を早めに過ごしホテルへ、このホテルのフロント女性の応対に疲れ癒され、彼女に紹介された駅前の小さな居酒屋で夕飲食、偶然にも隣り席の夫婦が我らと同い年、お互い若き頃は布施明と近藤正臣だったが今は見るも無残、これからの人生の過ごし方に意気投合、こういった一期一会を体験させてくれた次男夫婦の気配りに感謝・感謝であります。

拙い我がブログをクリックしていただいた皆様にも、ほんに・ほんに・感謝・感謝・感謝であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


多少の遅れ日

2019年04月15日 | 家と家の近くで

 

退却する冬の抵抗で後ずさりしていた春だったが、この二日間で一気に攻勢に出て思わぬ春積雪を跡形もなく消滅させてしまった。靄がたちこめ陽が差し込めない6時過ぎの散歩、季節に遅れまいと水芭蕉が可憐な清そ顔を覗かせている。我が家に戻ってくる頃には靄は消え青空が広がってきた。う~ん、今日は暖かな日となりそうだ。午前中の行動予定、妻はテニスで我は焚きつけ用の薪を束ねること、お互いに別行動ながら体を動かせずにはいられない。

 

午後は眼の定期健診のため街に下りた。所要をこなし5時30分過ぎに帰宅すると、これまた昨年より遅ればせながらも弱くなった西陽を浴びながらカタクリがポツポツと咲き始めていた。そういえば朝散歩で正調を取り戻そうとしているウグイスの初鳴きを聞いたこと、多少の前後日はあるものの確実に春は訪れている。


ブログ完結

2019年04月07日 | 旅山行

 

桜満開の知らせが耳眼に入るというのに、それを参加観ようとしないで、花見ならず雪の回廊見をしようと10時過ぎに馴染みの鍋倉入口の温井集落を目指した。まだまだ集落は雪に囲まれ別世界、村人は何をかあろうだろう山頂を目指す人達の車が20台ほど道路の片側に行儀よく並んでいる。自分らは山頂を目指すわけではないので、侵入防止のチェーンをまたぎ雪解けの水や鳥たちの鳴き声を聞きながら除雪最終地点まで歩き登った。休日で作業中止しているバックホーのキャタビラに腰を下ろしての自家製おにぎり昼食、前方に野沢温泉や木島平のスキー場を眺めながら、そういえば10年前の4月に将来の孫に祖父母の生活がわかるようにとブログを始めたのが最初、それが鍋倉山の散策だったこと、よくもまあ10年もブログを続けたこと、この4月で平成が終わることだし、終わりにしてもいいんじゃないかと思い決めた次第です。