3月1日は70年前にアメリカが南の島ビキニ環礁で水爆実験をし、近くで操業していたマグロ漁船が被曝しました。第五福竜丸は有名ですが、その時操業していたのは焼津の漁船だけではなく、土佐の漁船なども操業していてその数1000隻近くもいました。
第5福竜丸の船長久保山愛吉さんはビキニ環礁から日本に引き上げる時無線は出さずに帰りました。実験場の近くにいたことがアメリカに知られると拿捕されると考えたそうです。
「私を最後にしてほしい」と言いながら40代の若さで亡くなりました。
アメリカが出したお金「見舞金」をもらったことで第五福竜丸の乗組員は差別を受けたそうです。
土佐の被曝船の乗組員も次々と原爆症状で亡くなったり、仕事が出来なくなりました。差別を恐れて口をつむります。しかし、長崎で被爆し、土佐のマグロ漁船でも被爆した若者が自殺したことで、高校生たちが調べ始めます。それで、被爆したのは第五福竜丸だけではないことが分りました。
マグロは「原爆マグロ」と呼ばれ大量の魚が廃棄されました。
危機感を持った魚屋さんや主婦が「原水爆禁止署名」を集め始め、「原水爆禁止世界大会」が開かれ「被爆者援護法・医療法」に繋がりました。
アメリカに続いてソ連、中国など次々核実験を実施し、地球は放射能の塵で覆われました。
今、一発でも爆発すれば、広島型の1000倍の威力です。季節風に乗って地球を汚染します。
核抑止など何の意味もありません。一発でも使わせないためには「核兵器廃絶」しかないと、強く思った集
会でした。