広島県被爆二世・三世の会活動日記

広島県被爆二世・三世の会の日々の活動状況を報告します。

県外に出ていました

2022-11-28 10:30:13 | 日記

長い間掲載が出来ませんでした。

静岡県のある町で「被爆体験伝承」の派遣で行ってきました。一日目は中学校1年生から3年生までを体育館に集めてでしたが、中学生は一年生と三年生では成長の違いがはっきりして、この三年間は本当に伸び城があるのだと思いました。

原爆の話は初めて聞くと言うことで、身じろぎもせず聞いて、質問も出ませんでした。

次の日は午前、午後と小学校2校での講和でしたが、やはり初めてで質問も出ませんでした。

3校とも私からの質問「はだしのゲンをよみましたか?」の質問に手を挙げたのが少なく残念でした。

ロシアの侵略戦争が行われている中、はだしのゲンをはじめ映画上映運動をしなければなりません。

以前は学校図書に置いてあった「はだしのゲン」ですが、反対運動がおこり置かなくなった学校があると聞いています。

勝共連合(統一教会)が動き始めた時期に重なります。

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旧陸軍被服支廠ワーキンググループ

2022-11-14 09:46:14 | 日記

2019年広島県が「1棟残して解体」と突然に発表しました。ずっと保存を求めて活動していた団体はびっくりして保存運動を始めました。特に若い人たちがネット署名をはじめ世界中にこのニュースが駆け巡り、署名が集まり始めました。

私たちは学習会をしながら保存運動をはじめ、とうとう広島県は「全棟保存、利活用を考える」」として「被服支廠の利活用」を考えるワークショップのメンバーを募集し、活動し始めました。

若い人、芸術家、被爆者団体の代表、地元の人などが5回にわたって「自由」に考え方を出し合い、「決して批判しない」をコンセプトに話し合いました。

被爆者は「ここで大勢の人が亡くなった、その時の血膿、垂れ流しの糞尿のにおい、うめき声、叫び、遺体を焼いた時の匂いなどを思い出すと、絶対にここで飲食をして欲しくない。平和の発信地にしてほしい」と言われました。

なかには「ホテル」「レストラン」「酒やビールの醸造所」など、「赤レンガ倉庫」を生かす意見も出ました。

私が感心したのは若い人から「平和の発信場所、学習場所、第2の資料館に」「ユースホステル」「地元の人が気軽に入って遊べる施設に」と言う意見で、私とほぼ一緒でした。

廣島は明治以降の軍都としての加害の歴史とともに「移民県」でもあり、その歴史も保管展示すべきだと思います。

全棟を活用で一斉にオープンするのではなく、原爆の被害を一番感じることのできる13号棟を整備し、資料館、被爆者の話が聞けるスタジアム、四国五郎さんや原さん、中沢さんの作品展示などのミニミュージアムなどからスタートし、他の棟は活用方法が決まってから順次オープンするなどし、早く中庭に自由に入れるようにして欲しい。

そして、皆実町商店街との話し合いを進めてゆきます協力を求めます。

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旧陸軍被服支廠

2022-11-02 13:04:25 | 日記

旧陸軍被服支廠の利活用のワークショップがこの11月12日に5回目で終わります。

コロナが流行する前には、外国人がレンタルサイクルで資料館前から来ていました「すごい建物だ」「これも被爆建物か」とビックリしてみていました。現地に説明版があれば良いのにと思っていました。

広島の市民も、地元の人でもこれが「被爆建物」だと思っていない人が多くいましたが、解体騒動で存在が知られるようになってきました。

どのように利活用するか、まさに「ヒロシマ」の平和行政の姿勢が問われます。

決して、平和公園内の「大正屋呉服店」の改修の二の舞は踏みたくありません。

原爆ドームをイルミネーションで飾り立てるような事を繰り返してはなりません。

かき船は「屋形船」にして、ヒロシマの碑の所からのいて欲しい。

写真は広島市が原爆ドームをギラギラにした時の夜。抗議しました!

 

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