広島県被爆二世・三世の会活動日記

広島県被爆二世・三世の会の日々の活動状況を報告します。

台風の影響は・・・・

2018-09-28 11:04:55 | 日記

今朝の広島の空は青く、まさに紺碧の青です。しかし、沖縄では台風で大変な事になっていることでしょう。

広島では原爆が落とされた9月に「枕崎台風」が来て川土手に作られていた仮の救護所も流され、大野という宮島の対岸にあった陸軍病院は土砂崩れで流され、大勢の患者や医師が流されました。特に京都大学から救援に来ていた医学生が犠牲になりました。

その犠牲者の数は未だにはっきりしていません。年末までに14万人±1万人と言われます。

福島で原発が爆発した時に福島県庁から問い合わせがありました。

「広島では除染はどうやられたのですか?」。

答えました。

『広島では放射能の影響は知らされていなかったので、汚染された土地を耕し出来た作物を食べ。川や海で牡蠣やあさりを採って食べました。

特に貝類は放射能を濃縮しています。食べるものがないので、知らないので食べました。

除染といえるのは「枕崎台風」が洗い流したのでしょうか?そして、平和公園は5つの町があり3000人以上が住んでいました。外に出ていた人は熱線で焼かれ。家にいた人は潰され生きたまま火事で焼き殺された土地の上にも家を建てて人々が暮らし始めていましたが、7年後「平和公園」にするとき立ち退かされ、その上に土を盛って作ったのが「平和公園」です。これも除染でしょうか。削るより土をかぶせる方が早いかも知れません。しかし、田や畑は削らないといけないでしょうね。』県庁の人は唸っていました。

そして、川に流された放射能は瀬戸内海の島々に到着し、島の住人は被爆者と同じような病気になりました。四国の愛媛県にも同じような病気の人が出ました。

原爆も原発も放射能を出します。

なくすことが最善の防御ではないでしょうか。

今日の青い空を見ながら決意を新たにしました。

 

 

 

 

 

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国際平和デー

2018-09-26 15:04:08 | 日記

今日は広島の福屋前で「国際平和デー」に因む「核兵器廃絶署名」を取り組みました。

13名が参加して、30分間で38筆でした。

広島では被爆者の月命日の6と9の日に「6・9」行動として、金座街入り口で署名を取り組んでいますがそれよりも少なくて、残念です。

交差点では信号待ちの間が短く、先を急ぐ人が多くてじっくり話を聞いて書いてくれる人が少なかったかなと感じました。

今、国連で会議が開かれていて、どうやら10カ国が新たに批准するようです。

そうすると25カ国になり、残り25カ国が批准すれば・・・

50カ国目に日本が批准する。なんて夢を見ます。そんな政府に変える事が出来れば!

そのためには、今闘われている 沖縄県知事選挙でデニーさんが当選し、流れを作ることが必要です。

保革を超えて「戦争しない国」「憲法を行かす国」「話し合いで解決する国」等々に変えてゆきましょう。

夜の、原爆の子の像の前で「戦争法反対の集会」の様子

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原爆ドームはピースメモリアル?

2018-09-21 14:22:47 | 日記

広島市の原爆ドームの側の英語の説明板には原爆ドームのことを、アトミックボンブドームとは書いてありません。

どう書いてあるかというと、ピースメモリアル とかいてあるのです。私も先日指摘されて気がつきました。

そして思い出しました。原爆ドームを世界遺産にと申請したときアメリカが強硬に反対しました。自分たちの行いを、市民の上で行った爆撃の惨禍を、如実に目の前で見せることに反対しました。だから、名前だけでも変えたと教えられました。

今、広島市は、伝承者の派遣を国の費用で出来るようにして、更に、広島市の職員を全国に派遣して教師へ原爆の実相を知ってもらう学習会を展開しようとしています。

しかし、広島市は原爆ドームのある平和公園周辺を観光化しようとしています。

その典型的な出来事が、原爆ドーム周辺の何も建設してはならない場所、バッファゾーンにかき船の設置許可を出してしまったことです。

今、世界遺産について検証していく会議が開かれますが、そこにかき船問題と平和公園のバッファゾーンなどについての現状と問題点の文書提案が出来ることになりました。

そして、その会議から日本政府に問い合わせがあり、日本政府は必ず文書で回答をしなければならないと言う会議なのです。その会議に文書を出す予定です。

また、裁判の後の報告集会で、地質学者の方から「広島では震度4クラスの地震で液状化が起き、川土手はスカスカになる。そこに大潮で4メートル超える高潮が押し寄せたら一溜まりもない。今のかき船が係留されている場所など崩れてしまう。

と言われました。恐ろしいことです。

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かきぶね裁判判決出る。今日の署名は中止です。

2018-09-20 11:27:41 | 日記

広島県知事、広島市長も参加している「署名推進委員会」で進めている「被爆者国際署名」の署名行動が7月におそった災害で、事務局担当している生協連の方々が、ボランテイアで忙しくて延び延びになっていました。そして、今日が署名行動の日でした。

しかし、今日も昨日からの大雨で急遽中止になりました。

次回は何時になるのか?

昨日、「かき船」の裁判がありました。

かき船「かなわ」と「ひろしま」の2隻がありましたが、当初は平和大橋の下流に係留して営業していました。

ところが27年前の台風19号で元安川が洪水になり「かなわ」が平和大橋に衝突し、部分損壊しました。

河川内には障害物を建てたり置いたりしてはいけないとして、広島の川から係留しているボートなどの撤去を始めました。

しかし、国は広島市に「かき船」をどうするのかと問い合わせ、広島市は「観光資源」として存続を模索しはじめます。

そして、広島市は、これまでより上流、原爆ドームのすぐ近く、元安橋のたもとに「かなわ」を、ずーと下流のアステールプラザの係留場所に「ひろしま」を移設する方針を決めて動き始めます。

広島の両被団協や関係団体に説明と称して「観光課」「建築課」などが「かき船」の設計図をもってやってきました。

反対も関係なく、もう「決定事項」として「説明」に回り、私たちは急いで「裁判」で闘う決意をしました。

広島市も国も「かなわ」ありきで動き「ひろしま」解体した後アステールの係留地には行っていません。

昨日の裁判は予想はしていたものの「却下」「棄却」でした。ただちに上告する事にしました。

これからは「負」の世界遺産「原爆ドーム」を観光化するのか、祈りの場所、平和学習の場所にするのか、広島市や日本の国の平和行政を問う闘いが続きます。

それにしても金がない!!!

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