いつもなら5月の連休に3日間開かれていた「フラワーフェスティバル」がG7が開催されたので6月の10・11日に変更して開かれました。
10日は資料館での「伝承講和」の当番日で11時ごろ自転車で平和大通りから資料館に入ろうとすると、自転車を押してもなかなか進めませんでした。
やっとたどり着いて、講和の呼び込みをしましたが、日本人は少なく聴講者は2名でした。
今年度から地下の部屋になったので、目立たず人は少ないそうですが、私は今年度初めてでした。
熱心に聞かれた後「実はこの前聞いた伝承者は笑いを取ろうとされるので腹が立ちました。笑う話ではないですよね」と言われたので謝りました。
伝承者は皆「実相を伝えたい。伝えなくてはならない」と真剣に講和をしています。
次の日は「広島県母親大会」が南区担当で開催され、私は午前中の分科会で「旧陸軍被服支廠」の案内をしました。
当初募集は20名でしたがすぐ一杯になり、急きょ20名を追加しましたがまたすぐ20名を超えたそうです。
2名で案内しました。
広島は原爆ドーム・平和公園を中心に案内すると、原爆の被害ばかりを話しがちですが、南区では廣島の軍都の歴史「加害の歴史」の話が欠かせません。
35万人の人口のうち約5万人が朝鮮半島出身者だった。そのうち3万人が原爆で亡くなったこと。
なぜ、広島にそんなにたくさんの朝鮮の人が居たのか、を問うことは、日本が朝鮮で中国でアジアでしてきたことを語らなければなりません。
被服支廠には、トイレも座るところもなく約2時間立ちっぱなしで、皆さん良くついてきていただけました。
託児所もあったという話をしますと私の兄が託児所に入っていました」と言う人が2名おられました。
本当にまだまだ「戦後」は終わっていないのが広島だと思い知らされました。
昼からの「安田菜津紀」さんの講演を聞いていたら、今の日本政府に猛烈に腹が立ちました。
何故戦争する国にしたいのか!なぜアメリカに追随するのか!被爆者は核を許さない!戦争を許さない!
平和憲法の改悪は絶対許しません。このことを強く思いました。
写真は「被服支廠」の現在の外観。1棟が約100メートル、それが3棟つらなっています。
今は埋めてありますがこの道路の半分が水路でした。
「はだしのゲン」の実写版の映画のロケ地にもなりました。
この写真は中庭に入り、講師養成講座の実習の様子です。