大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年10月25日 | 植物

<1761> 余聞・余話 「 種子の実力 (2) 」

       我らには遠き昔があり今があり命ある繋がりがある

 セイタカアワダチソウが全国的に繁殖したその原動力は種子にあることは前述したとおりであるが、とにかくキク科の草花に見られる膨大な量の花、イコール種子がそこには関わってそれを可能にしていることが言える。種子は堅牢な皮に包まれ、壊れ難く、自身では動くことが出来ないが、何かを利用して移動しやすいように作り上げられている。風や水の流れ、あるいは野鳥や獣、虫たちによって運ばれ移動を可能にしている。

 鳥で言えば、鳥たちは種子を含む実を食べて、ほかのところに移動して糞をする。実は鳥の体内で消化されるが、種子は消化されず、糞とともに外に出され落とされる。落とされたところの環境に適合すれば、種子は発芽し、子孫を増やすことに繋がる。大和(奈良県)で言えば、生駒山系のアオモジや春日山周辺のナンキンハゼがよい例で、ともに最初は植えられた植栽木であった。その植栽木の実を鳥たちが啄み、別の場所において糞をして種子を拡散した。で、もともと大和には見られなかったアオモジにもナンキンハゼにも増えに増えている状況が続いているという次第である。これは種子が鳥たちに食べられても壊れない強さをもっているからにほかならない。この種子の強さは水の中においても言えることで、その話は歌にもなって唄われている。

                                                                

 島崎藤村の「椰子の実」の歌詞は、「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月」と言っている。堅い実の中には命を秘めた種子が包まれている。これは愛知県の伊良子崎における見聞による歌で、日本の環境下でこの実は育つことはなかっただろうが、南の島同士では流れ寄ったヤシの実が発芽したことは想像に難くない。これは実の中の種子の強さによる。

 また、次のような話もある。『大切にしたい奈良県の野生動植物』に絶滅寸前種としてあげられているスイレン科のオニバスがあるが、そのレッドリストの選定理由に「種子は休眠状態で数十年生存可能とされ、生育が見られなくても、ひょっこり池面に現れる年がある」という。オニバスは1年草であるから、その姿はとっくのうちに消え失せているが、実は池の底の泥に埋もれて密かに命脈を保っているかも知れない期待があるわけで、この文面にはその期待がうかがえるところであって、種子の生命力が思われる次第である。

 だが、これよりもっとすごい種子の生命力の強さの例がハスにあることはよく知られ有名である。昭和26年(1951年)、植物学者で古代ハスの研究では第一人者の大賀一郎博士が千葉県の落合遺跡の2000年前の地層からハスの実を発掘し、その実がその翌年に発芽し、開花したのである。この花は発見者の大賀博士の名に因み、大賀ハスと命名され、2000年の眠りから覚めた古代ハスとして広く世界に知られるところとなり、大賀ハスにはその子孫が今や全国各地に増えるに至り、種子の凄さを伝えているのである。

 大賀ハスほどではないが、ラン科などの花でも突然咲き出して、山歩きなどをしていて出会うことがある。何もないところから生え出し、花を咲かせるはずはなく、思われるのが、オニバスの例であり、大賀ハスの話である。これには私の知らない何年前かわからない相当前に咲いた花から零れた種子が発芽環境を得て生え出し、咲き出したということが考えられる。ラン科の花は美しく、その美しさが好まれるゆえに人の目に触れれば、たちまち採取され、消え失せてしまうということになる。だが、多年草のランには幾年も花を咲かせ実をつけることが出来る。このような可能性において種子がこぼれていれば、いつの日にかそこに同じランの花が見られることになる。こうしてラン科の花などもときおり思いがけなく見られということになる。とにかく、何の変哲もないような種子であるが、その実力は見上げたものなのである 写真は種子の驚異的な実力をもって蘇り子孫を継いでいる大賀ハスの花(左)と突然花を見せたキンラン(右)。これも種子の力を思わせる。 ~おわり~