575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

杉本美術館で思い出したこと ⑷ 〜岸田劉生と雑誌「白樺」〜竹中敬一

2017年11月24日 | Weblog
「白樺」十周年記念号で岸田劉生は次のように回想しています。
「……澤山のゴッホ、セザンヌやゴーガン、マチス等に驚いた。畫も全く、
後期印象派の感化というより模倣に近いほど變った。露骨にゴッホ風な
描き方をしたものだ。」

私の父の書斎には、雑誌「白樺」の一部や劉生の著作集がありました。
「劉生畫集及芸術観」(聚英閣、大正9年)、「初期肉筆浮世絵」(岩波書店、
大正15年)などです。
劉生に関する資料がかなり揃っていたので、私は大学の卒業論文に岸田劉生を
選びました。今から考えれば、劉生の生涯を辿ったに過ぎない内容でしたが、
自分でも多少、評価できるのは、大学の図書館で雑誌「白樺」の創刊号(明治43年)
から廃刊になる大正12年まで、全てに目を通し、劉生ら同時代の画家たちが如何に、
「白樺」から影響を受けたを検証したこと、くらいでしよう。

劉生24歳、長女 麗子が生まれた大正3年(1914) 頃を境に、ゴッホやセザンヌの
影響から脱して、劉生独自の画風を確立していきます。
「寫實の缺如の考察」という考えです。

「作に美術上の最も深い域で寫實を缺除させ、その缺除を寫實以上の深い美によって
埋めればいいのである。ここに美術上の最も深い超現實観が生れるのであって、
クラシックの美は大抵この域に到ってゐる。モナ・リザ等は、この寫實と寫實の缺除
とが、各々極み迄行つてゐるよき一例であると思う。」

劉生は「寫實の缺如」のことを、「内なる美」、深い意味の「装飾」とも云って
います。
劉生のいう「寫實以上の深い美」を表現できるのは、持って生まれた才能、天性の
優れた絵心のある人ということになると思います。
岸田劉生も杉本健吉もこの素質を持っていたと云えるでしょう。

杉本美術館に、文豪、志賀直哉の自筆の原稿が額装されて、常時、展示されています。
杉本は生涯、この原稿を大事にしていたようです。これは、昭和22年、東京銀座の
シバタ画廊、翌年、三越百貨店で杉本健吉の素描展が開かれた際の推薦文です。
志賀直哉は早くから、杉本の絵に対する素質があるのを見抜いていたように思われ
ます。一部、引用します。

「杉本君は日展で賞を貰い、急に世間的に認められ、挿絵に装丁に今は流行児に
なっている。(中略) 杉本君は現在の技量だけでも、日本で稀れな才人と云う事が
出来るが、然し、私の杉本君に望むところはもっと大きい。今のところで止まって
いては通俗作家に終る危険がなしとしない。この危険区域を杉本君が早く出抜ける
努力をされる事を望んでいる。」

この時、杉本健吉は42歳。以後、行き詰まった時にはこの志賀直哉の言葉をバネに
生涯、岸田劉生のいう「内なる美」を求めて、精進し続けたのではないでしょうか。

写真は 岸田劉生著「劉生画集 及 藝術観」(聚英閣)・「初期肉筆浮世絵」(岩波書店)

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