斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

15 【立憲主義】

2016年12月10日 | 言葉
 言葉の攻防
 言葉の大きな特徴は、流行(はや)りと廃(すた)りがあることだ。政治的な思惑から意識的に無視される言葉がある一方で、その逆の場合もある。憲法改正問題に絡んで、ここ最近の国会質疑では「立憲主義」という語が頻繁に登場した。憲法改正を推進する、あるいは条文解釈の余地拡大を目指す政権与党には、概して「立憲主義」の語を遠ざけたがる傾向がある。これに対し改正に反対する護憲勢力は「立憲主義」の語を前面に押し立て、政権に否を唱える。攻防の軸は「立憲主義」の語だ。
 時代や国により考え方に多少の違いはあるが、「立憲主義」とは「憲法によって支配者の恣意的な権力を制限しようとする思想および制度」(『大辞泉』小学館)、あるいは「憲法に基づいて政治を行うという原理」(『大辞林』三省堂)のこと。別々のことを言っているように思えるが、要は「国家権力を、憲法という最高法規の下で制約する(従わせる)政治原理」である。政治学や憲法学の本なら、もっと詳しく解説してくれそうだ。

 ないがしろにされる言葉
 昨年2015年6月に開かれた衆議院憲法審査会では、参考人として出席した3人の憲法学者が、そろって集団的自衛権行使を可能にする“戦争法案”を「違憲である」と述べた。自民党推薦の参考人だった長谷部恭男・早大教授も「違憲であり、立憲主義に反する」と述べ、注目を集めた。護憲論の立場に立つ法律学者はもちろんのこと、改憲論を支持する法律学者も含めて、純粋な法理論に照らして「合憲である」と主張する学者は皆無ではないか。「合憲を主張する改憲論者」というのは、言い方として論理の破綻であり、言葉の矛盾である。3人の憲法学者の意見陳述では、学者と政治家の憲法観の“段差”を見せつけられた。
 これより先の2012年4月、自民党が会見草案を発表し、法律家たちの間から「立憲主義に反するのでは?」との批判が出た。すると同党憲法改正推進本部の事務局長だった磯崎陽輔・首相補佐官がツイッターで「(立憲主義は)学生時代の憲法講義でも聞いたことがない。昔からある学説なのでしょうか」と、つぶやいた。よりによって憲法改正草案の作成に当たっている実質的な責任者が「立憲主義」なる語を知らないとは、どういうことなのだろう。本当は知っているが、知らないふりをして批判の矛(ほこ)先をかわそうとした、ということか。しかし当事者の「知らないふり」など、このような場で通るものではない。理解に苦しむ。

 不用意かつ不可解な安倍首相発言
 磯崎氏の発言も、好意的に解釈すれば、言わんとした真意は別のところにあったのかもしれない。しかしその後も同じように首をかしげたくなる発言が相次いだ。今度は憲法改正の最終責任者である安倍首相の口から飛び出した。
「憲法については、考え方の1つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方はありますが、しかしそれは、かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、憲法というのは日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないかと思います」
 2014年2月の衆院予算委員会での、安倍首相の発言。磯崎氏と違い発言の自由度が増すためか、思うままに発言した印象がある。すぐに護憲勢力の側から「憲法と立憲主義について、あまりに無知で無理解」との批判の声が上がった。国のトップに立つ者として、危うい認識であることは確かだ。前段の「かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方」という部分。後段の「憲法というのは、日本という国の形、そして理想の未来を語るものではないか」とした件(くだり)だ。
 前段では「立憲主義」を、かなり強引に「かつて王権が絶対権力を持っていた時代」に遡(さかのぼ)らせてしまっている。王権が盛んだった時代に、王権に制限を加える必要から「立憲主義」が唱えられたのは事実だが、市民革命を経て政治の主権が市民の手に移った後も、為政者の独走を縛る必要から「立憲主義」の原理が継承された。独立戦争を経て1788年に成立したアメリカ合衆国憲法は6条で「立憲主義」を謳(うた)い、王権とは関係のないフランスやドイツも「立憲主義」の国であることは変わらない。後段の「日本という国の形、理想の未来」にしても、このような“努力目標”にしてしまえば、権力の座にある者は、ずいぶん気が楽になるに違いない。安倍首相の願望の表明に過ぎないと、国民の多くは受けとめたはずだ。

 
 遠ざかる明治の熱気
 明治憲法(大日本帝国憲法)は1889年(明治22年)2月11日、発布された。発布前の1年間、枢密院では憲法草案をめぐって熱い論争が繰り広げられた。なかでも有名なのは、首相から枢密院議長に転じていた伊藤博文と、文部大臣・森有礼との間の「臣民の権利」論争だ。
(森)「『臣民の権利義務』ではなく『臣民の分際(責任の意)』と改めるべきではないか」
(伊藤)「憲法を創設するの精神は第一に君権(王権)を制限し、第二に臣民の権利を保護するにあり。もし憲法に臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし。臣民の権利を保護せず、また君主権を制限せざるときは、臣民に無限の責任有り、君主に無限の権力あり。これを称して君主専制国という」
(森)「臣民の財産及び言論の自由は、人民の天然に所持するところのものにして、憲法おいて生まれたるもののごとく唱えることは不可なるがごとし」
 森の反論には分かりにくい面があるが、生来持つ権利を憲法に明記すれば、条文を削って権利を取り上げることも可能になるので、最初から明記しない方が良い――というもの。論争は熱いだけでなく、高度かつ内容豊かで感心させられる。

 もう少し勉強を
 この頃の政党名には「立憲」や「憲政」の語が目立つ。1882年に立憲改進党と立憲帝政党、90年に立憲自由党、その後も憲政党、憲政本党、立憲政友会など。「立憲」と「憲政」の言葉がなければ夜も日も明けないのかと思えるほどだ。新聞社に勤めていた筆者は当時の新聞に目を通す機会があったが、強く印象に残ったのは、むしろ政治家より庶民たちの熱気だった。
 「立憲主義? 昔からある学説でしょうか?」とつぶやく与党憲法改正推進本部事務局長氏。憲法を“努力目標”と考えたがる(?)安倍首相。政治家としての器を明治の元勲と比べることは無茶というものだろうが、それにしても、もう少し勉強してくれないものか。