斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

88 【ウクライナ国旗と映画『ひまわり』 &ウクライナ国歌】

2022年03月24日 | 言葉
 ヒマワリはロシアの国花
 ウクライナ侵略戦争や北京冬季五輪で、目にする機会が増えたウクライナ国旗。麦畑と麦秋(ばくしゅう=麦の収穫期である初夏のこと)の青空とを、上下二分して図案化した、との説が有力だが、最近は下半分の黄色を「ヒマワリ畑」とする説もあるようだ。今回の戦争に際して映画『ひまわり』(1970年公開)の上映会が日本各地で催されているが、「ヒマワリ畑」説の出所は、この映画からの連想と思われる。ネット上には、ウクライナ国花をヒマワリと誤解した書き込みも目立つ。
 しかし正しくは、ヒマワリはロシアの国花である。ロシアは、ソ連時代からの国花であるヒマワリを、引き続き国花としている。誤解の理由は、昔はウクライナもソ連の構成国だったため、かもしれない。主にサンフラワー油(ヒマワリ油)採集を目的に栽培され、生産量の世界一位、二位をウクライナとロシアが競う。そんなわけでウクライナの国花は山桜の一種であるスミミザクラと、ヨーロッパで庭木として人気の高いセイヨウカンボク。ロシアの国花はヒマワリと、ハーブとしても知られるキク科のカミツレ(別名カモミール)である。

 ヒマワリ畑の圧倒的な美しさ
 4か国(伊、旧ソ連、仏、米)合作映画『ひまわり』は、観た人も多い名画だ。第二次大戦に運命を狂わされた若いイタリア人夫婦の悲劇と哀切を、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが好演した。イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンの、化粧を落とし、髪ふり乱しての熱演と、胸に迫るヘンリー・マンシーニのテーマ音楽、それに広大なヒマワリ畑の圧倒的な美しさ。映像の美しい映画は数多いが、筆者の好みで言えば、米伊合作映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年公開)の、ダーチャ(別荘)の窓越しに見た夜明けの雪原風景と並んで、このヒマワリ畑の映像が10指のうちに入る。
 映画のロケ地について筆者は長くイタリアとロシアと思い込んでいたが、実はイタリアとウクライナ・キエフ近郊だと知ったのは、だいぶ経ってからのこと。ヒマワリ畑は、かつて露軍とイタリア軍が激しい戦いを繰り広げた地で、地下には今も無数の両国兵士が眠っている、との設定。ちなみにロシア革命を時代背景に撮影された『ドクトル・ジバゴ』も、実際のロケ地はロシアでなくカナダである。

 今回の侵略戦争に二重写し
 ストーリーは、むしろ平凡かもしれない。戦争が若いカップルの運命を狂わせる、ということなら、同じような話は世界中に珍しくなかったはずだ。現代もウクライナ侵略戦争の陰で、同じような悲劇が繰り返されているのだろう。むしろ、であればこそ身近な話と重なり合って人々の胸を打つ。筆者など70歳を過ぎた現在でもCD録画を観ると、大学生の頃に初めて観た時の感動が、全く変わることなくよみがえる。今回の侵略戦争に、ぴったりの反戦映画のように思える。

 国歌『ウクライナは滅びず』と「ウクライナの兄弟たち」
 ウィキペデア「ウクライナの国歌」によると、1917年のウクライナ独立とともに国歌となるが、ソ連併合により国歌ではなくなった。ソ連崩壊翌年に1992年に国歌として復活、2003年3月、歌詞を一部修正のうえ正式制定された。以下は現行歌詞から。

 <♪♪ ウクライナの栄光も自由も滅びず、若き兄弟たちよ、我らに運命は微笑むだろう。
 我らが敵は日の前の露(つゆ)のごとく亡びるだろう。兄弟たちよ我らは我らの地を治めよう
 我らは自由のために魂と身体を捧げ、兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう>

 「兄弟たちよ」が3度出て来ることに注目。次に、2003年3月以前の歌詞。

 <♪♪ ウクライナは滅びず、その栄光も,その自由さえも! ウクライナの兄弟よ、運命は我等に微笑みかけることであろう!
 我等の敵は日差しの下に浮かぶ露のように消え失せるだろう。兄弟よ我等自身の国を統治しようではないか。我等は自由のためなら身も魂も捧げ 兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。
 兄弟よ、サン川からドン川に至るまで血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない。黒海はいまだ微笑み,父なるドニエプルは喜ぶだろう。このウクライナの幸福の再来に。
 我等の粘り強さと誠実な努力が報われて、自由の歌はウクライナ全土に響く。その歌はカルパチア山脈にこだまし,草原へも響き、ウクライナの栄光は他国にも知れ渡ることだろう>

 さて、いかがですか。一読して、現行国歌は元の歌詞を簡素化したものであることが分かる。「兄弟」の登場は1か所増えて4度。原詞の「兄弟(たち) 」は英語で「brethren」(ウクライナ語で「 б р а т т я」)。「brother」の複数形だが、血縁上の兄弟を意味せず、宗教の同一教会員や仕事の同業者、一般的な同胞・仲間を指す(三省堂『コンサイス英和辞典』)。

 隣国同士のウクライナとロシアとは、しばしば「兄弟国家」に例えられるが、実際は支配と被支配、抑圧する側とされる側との関係だった。必ずしも「兄」はロシアを意味しない。既述したように国歌『ウクライナは滅びず』はソ連編入と共にいったん消え、ソ連崩壊の翌年、国歌として復活した。ソ連邦健在の時代には、歌詞にある如くウクライナの自治自立を声高に叫ぶことは、ソ連にとって好ましからざることだったのだろう。

 <兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか><血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない>。まるで現在の苦難を予見したうえで、国民を奮い立たせようとする歌詞だとは言えまいか。

断想片々(39) 【プーチンの墓穴が見えた】

2022年03月13日 | 言葉
 ウクライナ侵略戦争で軍事的優位に立つロシアは、国際社会からは孤立の一途。ウクライナを制圧し終えたとしても、その先のロシア国家運営は困難を極めそうだ。プーチンの行く手に待ち受けるのは、どう考えても<破滅>の二文字のみである。

 なぜ、バレるウソばかり
 ロシア側が挙げる侵攻の理由に「東部親ロ派住民に対する、ウクライナ側からのジェノサイド(集団虐殺)」というのがあった。原子力発電所攻撃では「ウクライナの原子爆弾製造を止めさせる」を理由にした。ジェノサイドはその前から、つまり侵攻開始時から口にしていた理由付けだった。
 侵攻以前、東部の親ロ派住民は武装組織を作り、独立を唱えてウクライナ軍と衝突していた。武装組織兵の死傷を指して「ジェノサイド」と主張するなら、ロシア側の言語感覚はどうかしている。この件でオランダ・ハーグの国際司法裁判所が今月7日開いた公聴会は、ロシア側の出席拒否で成立せず、1日のみで閉廷した(9日付け読売新聞朝刊)。ロシア側の主張は世界の嘲笑を招くだけということを、ロシア側も知るゆえの欠席だったのだろう。 
 さらに最近になって「ウクライナ側がアメリカの指導で生物化学兵器を作っている」(11日)と言い始めた。よくもまあ次から次へと、すぐにバレるウソばかり考えるものだ。

 プーチンが恐れるのはロシア国内の反対派
 それにしても、なぜプーチンは、バレるウソばかりつくのか。理由は最初から国際社会を相手にしていないからだろう。主に国内向け。国際社会にはウソをウソと見破る”常識”があるが、報道統制下のロシア国内であれば、市民の耳に届く情報は限られ、ウソがウソのままで通じる。
 見えて来るプーチンの当面の狙いは、ロシア国内の反対派を黙らせることだ。国外でウソとバレても、ロシア国民が真実と受けとめるなら、とりあえず可とする。第二次チェチェン紛争(1999-2009年。プーチンは2000年に大統領就任)、2008年のジョージア(旧グルジア)侵攻と、他国を侵略することで支持率を上げてきたプーチンにすれば、国民の支持の方が大事だ。
 まず、国内反対派の動きを封じ切る。短期的には、それで凌(しの)げる。その後の国際社会での”失地回復”は、核兵器を持つ軍事大国ゆえに、黙っていても”敵”の方から歩み寄り、落ち着くところに落ち着く、と計算しているのだろう。

 ロシア国内の反対派デモに注目
 だが、プーチンのロシア国内重視は、そのままプーチンの弱点でもある。ロシア国内でも、やがて真実は知られるようになる。きっかけは目前まで迫っている市民生活の窮乏だ。経済制裁によりモノは輸入出来ず、とりわけ食料が不足する。加えて外国企業のロシア国内からの撤退により失業者も増える。中・長期的に見れば、国民の不満は必ずや爆発する。
 経済制裁はボデーブロウのように徐々に効いてくる。今後の注目点は、ロシア国内の反対派の動きだ。とりあえずロシア国内デモのニュースに注目しておこう。

断想片々(38) 【SNS時代のプロパガンダ戦】

2022年03月07日 | 言葉
 ひたすらウソっぽい
 ロシア軍によるウクライナ侵攻は、南東部ザポリージャ原子力発電所への攻撃と制圧(4日)で、さらに深刻化した。ところで戦況を伝えるテレビニュースには、従来の戦争報道とは異なる印象を受ける。一般市民の撮影したスマホ映像が頻繁に流れる点だ。おかげでプーチン側の発するコトバが、ひたすらウソっぽく聞こえる。

 証拠動画の拡散
 ザポリージャ原電への攻撃ではロシア国防省が自軍からの砲撃を否定し、「銃撃戦になったが、こちらから砲撃はしていない」と発表した。砲撃とは大口径砲、つまり戦車砲やロケット砲などによる攻撃のこと。4日の国連安全保障理事会緊急会合でロシアのワシリー・ネベンジャ国連大使は、証拠を示すことなく「ウクライナ側の破壊工作集団か放火したものだ」と反論した。ロシア側が放ったのは小銃の銃弾のみと言いたいのだろう。
 しかし日本のテレビニュースでは、原電施設へ向かって砲弾の飛ぶライブカメラ映像が、繰り返し流れた。原電施設内に着弾したロシア側砲弾の映像も「放火」がデマであることを裏付けた。

 スマホは銃に勝る武器
 侵攻の初期段階でロシア国防省は「攻撃は軍事施設に限られる」としながら、実際は住宅地へ凶悪なクラスター爆弾を落としていた。市民がスマホで撮った動画がSNSで世界中に拡散され、有無を言わせぬ証拠となった。誰もが持つことの出来る掌中の小さなスマホは、今回の戦争では一丁の銃にも勝(まさ)る”武器”になっている。