斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(57)【マルハラ】

2024年03月26日 | 言葉
 すっかり市民権を得たパワハラ(パワーハラスメント)やセクハラ(セクシャルハラスメント)といった「ハラ」付きコトバ。モラハラ(モラルハラスメント)やマタハラ(マタニティーハラスメント)なども加わって、今や数にして10語は下らないようだ。変わったところではマルハラ(「。」=マルハラスメント)というのもある。

 マルハラの場合は使われる場が限定しがちで、主にスマホのメール。コトバを交わし合う人間関係も限られ、上司や年長者が、部下や若い人に発したメールの場合が多い。なぜ「ハラ」か。文の末尾に句読点の句点であるマル(「。」)を付けると、発した目上の人が受け取った目下の人に対して「文章は、このように書くべし」と、ハラスメントしているように受け取られるため、であるらしい。若者たちは文末に「。」でなく「!」や「?」を使うことが多く、「!」や「?」であればハラスメントにならないのだとか。
 いやはや、どうにもこうにも・・。「。」だとハラスメントになるのなら、それ以前の問題として、ハラスメントとは何かを定義しておかなければなるまい。

 句読点は読む人を慮(おもんばか)りながら
 句点の「。」や読点の「、」は、文章を書いている側が読む人を慮りながら、読みやすいようにと打つもの。相手を慮りつつ文案を練ることは大切なことだ。「句読点一つにも神経を使う」というコトバもある。

コメントを投稿