斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(30) 【トランプ氏と「言論の自由」】

2021年07月12日 | 言葉
 トランプ米国前大統領が7日、フェイスブックとツイッター、グーグルの3社(3法人)および経営者を相手取り、氏のSNS利用停止解除を求めて、フロリダ州の連邦地裁へ提訴したという。記者会見でトランプ氏は「憲法で保障された『言論の自由』を、恥ずべき検閲で侵害された」と主張した。3社は1月の連邦議会占拠事件の後、トランプ氏が支持者たちを扇動したとして彼のアカウントを停止している。

 3社は民間メディアであり、当然ながらメディア機関としての立場や方針(社論)を大切にする。社論を持つこと自体が「言論の自由」である。連邦議会占拠を呼び掛ける前大統領のツイートを自社の方針に則(のっと)って掲載拒否したことも穏当な判断だった。このような行為を「検閲」とは呼ばない。「検閲」とは、公権力を行使してチェックすることだ。

 3社のような巨大ITメディアは、日ごと社会への影響力を強めている。それは確かだろう。トランプ氏は「彼らはもはや民間企業ではない」とも反論した。IT社会の急激な変化と対応は、それはそれで今後の課題かもしれない。しかし、だからと言って、どんな意見でも無原則的に掲載することが「言論の自由」であるとは、とうてい言えまい。それではメディアとして責任の放棄になる。

 ましてトランプ氏は前米国大統領であり、彼のような人物が「デモ隊は連邦議会へ」と呼び掛ける意味は大きい。草の根たる国民が「自分の意見がツイッターから掲載拒否された」と主張することとは次元が違う。あるいはトランプ氏側も十分それを承知のうえで、被害者意識にかられた作り顔で言ったのかもしれない。アジテーション好きな、お人である。

断想片々(29) 【被買収側「全員不起訴」の不可解】

2021年07月09日 | 言葉
 2019年参院選の河井克行・元法相による買収事件で、買収された側の地元政治家100人が不起訴となる見通しだという。7月6日付け読売新聞朝刊が東京地検の方針として、抜きネタ(独材)で報じた。
 100人の中には100万円単位の現金を受け取り、公選法違反(被買収)に問われた地元政治家もいた。同紙は「こうした高額の被買収者も不起訴となるのは極めて異例」とも書いている。それは、そうだろう。河井氏と妻・案里氏に対する裁判の過程で、300万円を受け取った元国会議員秘書や200万円を受領した元県会議長、150万円を提供された広島県東部の元首長らの買収行為の方は認定され(犯罪行為があったと認められ)、河井夫妻有罪判決の根拠とされた。それでいて被買収側を不起訴としたのでは整合性に欠ける。
 記事では被買収側不起訴の理由として「衆院議員として当選を重ね、政治的な影響力の大きい克行被告から現金を押し付けられるなどした」として「刑事責任を問う必要はないと判断したとみられる」と書き添えている。納得し難い理由付けだ。

 新聞記者だった頃、選挙違反事件の原稿を何度か書いた。ある町で、町議選の選挙事務所で「濃いお茶」をごちそうになったために有罪判決を受けたケースもあった。「濃いお茶」は茶碗酒のことで、普通のお茶は「薄いお茶」と呼んでいた。
 選挙事務所に顔を出す素朴実直な農村の有権者たちは、こんな時は”村八分”とまではいかなくとも、付き合いの意味から仕方なく茶碗1杯の酒をいただくのである。「影響力の大きい(中略)、押し付けられ」という側面は変わらない、というか閉鎖的な農村社会の方が「押し付けられ」感は強い。あの時の被買収者たちは、今回の東京地検の不起訴処分を、どんな気持ちで受けとめたのだろうか。
 河井・元法相は言わずと知れた前首相派の人。かつて「最後の正義の味方」と呼ばれて国民の期待を集めた東京地検特捜部も、いまやソンタクの検事サンばかりになっているのかもしれない。