斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

91 【続・小さな戦争】

2022年10月09日 | 言葉
 玉川上水緑道
 筆者のウオーキング・コースは、東京都の西に伸びる玉川上水緑道である。玉川上水路は、江戸時代に多摩川から江戸の町まで、上水道水を導水するために掘られた。筆者は雨でもない限り週に2、3回、1回に1時間半ほど歩く。椎名誠さんの小説『岳物語』の舞台となった小平市のあたりで、武蔵野の面影が色濃く残り、木陰の道は夏でも涼しい。
 カブトムシやクワガタ目当ての子供たちで賑わった夏が終わり、今は少々厄介なモノがウオーカーたちの注目を集めている。オオスズメバチだ。自然のままが魅力のルートだから、まあ、こんな危険も時には仕方がないのだが--。

 うごめくオオスズメバチ
 9月も末のこと。歩いていると古木の根元、地上1メートルほどの所に「スズメバチに注意」の貼り紙があった。緑道を管理する東京都が注意喚起のために貼り出した。この種の貼り紙は何度か見ているから驚きもしないが、貼り紙から10センチほど上へ視線を移した時、背筋がゾクッとした。
 体長4、5センチくらいのオオスズメバチたちが、風呂敷半分ほどの広さにわたって古木の幹にビッシリと張り付き、黄と黒の背を蠢(うごめ)かしていた。樹液を吸っているのか。数十数百のハチ全体で1匹の動物のように見え、例えようのない異様さだった。めったに目にしない野生動物に、めったに目にしない動きをされると、人は思わず身を縮こませてしまう。
 前回「90【小さな戦争】」には「ハチに刺されることなど何とも思わない」と書いたが、オオスズメバチとなると話は別である。興奮すると人を襲うこともあり、1匹の毒針で人1人が死に至ることもある。目の前のスズメバチが今この時に興奮しているか否かなど、通りすがりのウオーカーに分かろうはずもない。筆者は息をひそめ、おっかなびっくりの体(てい)で去った。

 翌日、窓の外にオオスズメバチの群舞を見る
 翌朝のこと。起きてすぐ自宅窓の外の異変に気づいた。ブーンという羽音が、隣り合う児童公園から聞こえた(ような気がした)。残暑がひどくても寝る前に窓は閉めるから、公園の昆虫の羽音など家の中にまで聞こえて来るはずもない。ありえないことが、疑う余地のない事実のように感じられた。
 さっそく公園側の窓を開けた。いや、開けようとして、あわてて閉めた。樹高3メートルほどの公園のヒバの木のてっぺんで、数十匹のオオスズメバチが群舞していたからだ。前日の異様な光景が目に焼き付いていたから、すぐにオオスズメバチだと分かったが、そうでなかったら「ハチかな?」ぐらいで済ましていたかもしれない。

 オオスズメバチとなると、筆者の手で巣を除くわけにはいかない。市役所が動き出す時刻を見計らって公園課へ電話を入れ、駆除を依頼した。
「分かりました。すぐ行きますから、巣に近寄らないでいてください」
 テキパキとした口調で指示された。直後にやって来た職員2人がヒバの木の周囲に「立ち入り禁止」の黄色いビニールテープをめぐらせた。
「ご飯茶碗くらいの巣がありましたね。夕方にもう一度来て、巣はその時に撤去します」
 この日1日でオオスズメバチの巣の撤去予定が5か所もあると言う。それで「夕方に撤去」になるのだと、担当者は申し訳なさそう顔で説明し、引き上げた。 

 いくつかの謎
 かくして、その日1日、ガラス戸越しにオオスズメバチの群舞を見つつ、過ごすことになった。間近にオオスズメバチを見るのは前日に続くが、興味津々。疑問も生じた。
 第1に、なぜオオスズメバチたちは、突然現れたのか。玄関庇下や1階ベランダのアシナガバチの場合は、まず1匹が2度3度、巣の近辺に現れた。この点オオスズメバチたちは何の前触れもなく、しかも大軍団で出現した。ハチの巣作りでは通常、女王バチがある程度まで作った後、働きバチたちも巣作りに参加する。しかし、事前に女王バチが出入りしていた様子もなかった。
 第2に、この群舞・乱舞に、どんな意味があるのか。例えば巣の場所を仲間に教えている、のだとか。野鳥などの敵が近づいているぞ、というサインだとか。日がな1日休みなく舞っている理由としては、だが、どちらも納得しにくい。
 第3に、体長3センチほどの”小バチ”も一緒に乱舞しているのは、なぜだろう。もともとオオスズメバチは、親子の働きバチが協力して巣作りをするものなのだろうか。

 「オオスズメバチとキイロスズメバチの戦争でした!」
 その日の夕方、取り除いた5つ目の巣を前に、市役所の担当者が「ハチ同士の戦争でした」と説明してくれた。目の前に、幼虫が散々に食べられたキイロスズメバチの巣が転がっている。児童公園とあって近所の子供やお母さんたちも物珍しそうに集まってきた。
「キイロスズメバチの巣をオオスズメバチが襲い、巣の幼虫を食べようとした。よくあることなんです、ええ。キイロスズメバチは、そうはさせまいと必死で防戦したが、体も大きく戦闘能力も上回るオオスズメバチが相手では、キイロスズメバチは一方的にやられるばかりです」
 なるほど、それで3つの謎が解けた。オオスズメバチの巣ではなく、巣はキイロスズメバチのものだけ。2種類のハチの戦場であり、群舞でなく戦闘だった。”小バチ”に見えたのはキイロスズメバチの方だった。
 足元を見ればキイロスズメバチの死骸が、あちこちに散乱していた。オオスズメバチの目的は、巣の中にいるキイロスズメバチの幼虫をミンチ状にかみ砕いて持ち帰り、自分たちの幼虫に食べさせることという。ハチと人間の戦争(89「小さな戦争」)と、ハチ同士の戦争。生き延びるためとはいえ残酷極まりない。再びウクライナの地に思いを馳せた。せめて人間ならハチ以上の知恵とやさしさを、とは思ったのだが--。