斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(31) 【2020五輪の総括記事】

2021年08月11日 | 言葉
 盛夏の五輪も無事(?)終わって、各紙が総括記事を掲載している。例によって賛否両論だ。この時期に”賛”の見方が優位になるのは、選手たちのガンバリの余韻が残るからである。しかし開催そのものへの賛否からして真っ二つに割れ、1964年も東京五輪の時のような、国民の一体感や盛り上がりは感じ取れなかった。酷暑の「有明テニスの森」で行われたテニス男子シングルスでは「これでは死ぬかもしれない。私が死んだら責任をとれるのか?」の声も聞かれた(ロシア、メドベージェフ選手)。「コロナ禍克服の五輪」どころか開催中の感染者数は過去最多を更新し続け、「フクシマ復興の五輪」の掛け声も、いつの間にかどこかへ消えてしまった。

 1964年の東京オリンピックの時、筆者は高校2年生だった。サッカーの盛んな浦和市内の高校だったので、チケットが手に入りやすかったのだろう。学校を挙げて駒沢競技場へ向かい、ドイツ対ルーマニア戦を見た。試合内容の記憶はサッパリだが、この時のドイツが東西統一チームを組んだことや、秋晴れの好日だったことは覚えている。開会式が行われた10月10日は2年後に「体育の日」と定められ、秋が運動会シーズンになった。俳句では「運動会」は秋の季語である。

 多湿の日本にあっても秋だけは天高く馬肥え、外国選手を「おもてなしの心」で遇するには最適のスポーツシーズンになる。日本人なら誰しも、秋の空の下で汗を流して欲しいと願うはずだ。真夏の開催は日本人の発想ではありえない。読売新聞は8月11日付けの連載記事「検証Tokyo2020」で「他の時期では米国の人気スポーツのシーズンと重なり、放映権料が高く売れない。国際オリンピック委員会(IOC)とすれば時期をずらすことはできない」(都幹部)という裏事情を紹介していた。
 開催時期ひとつ日本側の思い通りにならなかった2020東京五輪。今後決して日本での五輪開催を望むまいと強く思ったのは、筆者だけではあるまい。