斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(40) 【殺すな!】

2022年05月16日 | 言葉
 大儀と口実
 「敵はウクライナのネオナチ」と叫んで他国の領土を侵(おか)し、街を破壊し、他国民の生命と財産を奪う。「ネオナチとの戦闘」の大義名分は口実(こうじつ)と同義。真の目的は、自国防衛のために隣国をNATOとの緩衝(かんしょう)地帯にとどめることにある。
 大義名分とは、手前勝手な動機を隠すためのコトバだ。ふり返れば「大東亜共栄圏構想」もベトナム戦争の「ドミノ理論」も、イラク侵攻時の「生物化学兵器所持」も、みな然(しか)りである。ロシア側にもソ連時代にハンガリー動乱(1956年)やプラハの春(1968年)の例がある。

 「殺すな!」
 テレビニュースで日本の高名な女性シャンソン歌手が「(ウクライナ戦争でもロシアばかりが悪いと決め付けず)もう少し見極めたい」とコメントしていた。米国もベトナム戦争では民家を焼き払い、病院を爆撃した。そうした事実を踏まえ、冷静な判断を、というわけだ。ベトナム戦争を知る高齢世代には、このような意見の人は多いのかもしれない。だが待てよ。「見極め」ることは、ときに大義名分を探すことに通じる。それに「見極め」ている間にもウクライナの民は殺され続ける。

 ベトナム戦争では「殺すな!」の合言葉が流行ったが、ウクライナ戦争にふさわしいのも「殺すな!」だろう。ごく普通の人の、ごく率直でストレートな、ごく当たり前の感情から出るコトバこそが、こんな時にはいちばん説得力を持つ。「見極め」ることは後日の歴史家たちに任せよう。

 大義に正対するコトバ 
 大義名分に正対するコトバは「殺すな!」。この惨状に怒らないなら、ヒトに怒りの感情など、そもそも不要だ。毎日のニュースが伝えるウクライナの惨状に、腹が立って、ハラが立って、仕方がない。