百島 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百の万葉集。

2019年04月03日 | 百伝。

一年に何度もアレコレと定期検査を受診していますが、今日は、一番ドキドキする造影剤を使ったCTの受診検査でした。

半年に一度、大動脈の太さを測定するのです。

通常の大人の大動脈の太さは、3センチとのこと。

6センチになると、人工血管への置換手術を勧められます。

現在、僕の大動脈の太さは、約5センチ。

多分、拡張性心筋症を発症して、足取りが重くなった時点から、大動脈への負担が増大したのだと、今になって理解できます。

大動脈解離になって以来、自分のスレット(裂け目)のある大動脈をCT 写真で見ていると、生きていることが不思議です。

これからの半年、また次の検査まで、血流、血圧、自分との闘いです。

さて、今日は、春の甲子園の決勝戦(東邦vs.習志野)をラジオで聴きながら、40年ぶりに万葉集を流し読んでいました。

ラジオの解説者が、面白い事を言ってました。

今回の決勝は、平成vs昭和の高校が戦っているみたいだったと、勝者は、平成であるとも言っていました。

例えの言い方は好くないのですが、習志野のチームは、昭和の戦いでよく見せた奇襲作戦が多かったようです。

ダブルスチールを試みたり、二塁走者がサインを盗んだりしていたと優勝候補だった星稜チームから抗議されたり、美獏の応援とか・・・昭和の時代、かつての千葉県は野球王国でした。

平成最初と最後の優勝校は、東邦・・・愛知県へのイメージは、いつも思う。

「広島県のライバルです」

さて、話題を万葉集に戻すと・・・これまた再発見。

とりあえず、図書館から借りた本を速読。

20代の頃に詠んだときは、全然興味も湧かない、面白くもなかったのですが、40年ぶりに読むと、驚くことばかり。

現代人との面持ち、人生観とも、全然変わらないし、あとがきの説明で、当時の万葉じんの思想観、生活感がピュアで、出雲の神様スサノオとオオクニヌシノミコトのように二面性を備えているのは事実かもしれません。

あの万葉の時代、列車も車も走らない交通手段の一番の移動手段は、「舟」でした。

あの当時、日本の人口は、百万人ぐらい暮らしていたのかなぁ?

ほとんどが、現代人の先祖であり、わりと海や大きな川の近い場所で暮らしていたんだろうなぁ。

瀬戸内海は、今で言う、高速道路のようなものでした。

そして、いつの時代の人間も、「自分も空を飛べたらいいのに」と、空想もしています。

万葉集の中で、よく使われている言葉があります。

もも、百、ももしき、百敷、百世 等々・・・嬉しくなります。

安治という、言葉もあります。

楽しみが増えました。

じっくり、万葉集を、いろんな角度から深く読んでみたいと思います。



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