百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

「百」、千年先まで。

2019年04月05日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

幼い頃から、「百」という文字に異様に興味を抱いていた僕ですが、この歳になって気づいたこと。


百とは、めでたき文字で、万(まん)と朕(ちん)に相通ずるものだと確信しました。


万葉の時代、もも、百敷(ももしき)とは、帝(天皇)の御所、宮中を意味しておりました。


今日は、「令和」を引用した万葉集の梅花の宴の中で読まれた歌32首の中で、「百」がついた名の人物が詠んだ歌を取り上げます。


万葉集の中で、一番多く歌を詠んだのが、大伴家持・・・万葉集の実質的な編集者です。


その父親が、大伴旅人・・・今、話題となっている梅花の宴の邸宅の主なのです。


天平2年(730年)、今から1300年ほど昔の平城京(奈良)時代。



わが園(その)に梅の花散る ひさかたの天(あめ)より 雪の流れ来るかも(大伴旅人)


(わが家の庭に梅の花が散る。はるか空から、雪が降って来るのかも)


               ↓


これを受けての大伴百代の歌。


梅の花散(ち)らくは何処(いづく) しかすがに この城(き)の山に雪は降りつつ(大伴百代)


(梅の花が散っているのはどこだ? それにしても この城の山には雪が降り続いている)


散りゆく梅の花を、意図的に雪に間違えて、梅の花は、雪なり。と笑いを誘う、とばけて詠んだ歌です。


はて、大伴百代(百世)とは、どういう人物だったのかな?


万葉集に、他にいくつか歌を詠み残しています。


ミヒャエル・エンデの名作「MoMo モモ」・・・時間泥棒から時間を取り返す少女の物語を連想します。


時間の花(百花)が、天から降りてくるのです。





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