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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

思い出す時間

2012年02月28日 | 百伝。
海運の世界で・・貨物船の船長をしている女性がいるとの記事。

広島と神戸間を往復するコンテナ船 翔洋丸(499トン)の船長、寺田美夏さん(30)。

清水海上技術短期大学から三原汽船(香川県観音寺市)に入社して、船乗りになったという事です。

時代も変わったものだという印象です。

女性が、貨物船の船長になる時代・・海の中に母あり。

末っ子の三男だった小生は、幼い頃から小学校を卒業するまで、春休み、夏休み、冬休みには、必ず、父が乗っていた貨物船に乗せられました。

休みと言えば、母に連れられての船上旅行生活での思い出が多いのです。

今では、家族の者が、貨物船に乗船旅行するなんて、規則違反も甚だしいものでしょう。

いろんな思い出が、あります。

はじめは、瀬戸内海航路でした。

いろんなカタチをした島々・・男木島、女木島。

地図を眺めながら、地名を覚えたものです。

大阪の安治川堤、高松の玉藻公園・・独りで遊んだ幼い記憶もあります。

呉の倉橋島の音戸橋も赤いグルグル巻きの橋のイメージが強いです。

九州の小倉の港では、未来世界のような高い架橋の上に電車が走っていました。

四国の今治では、どこかの知らないおばさんから「どこから来たの?」と言われて、「百島」と答えても「どこ?」と繰り返して聞かれた思い出もあります。

百島が、世界の中心だった子供心に、はじめて疑問が生じた波紋でした。

瀬戸内海から離れて、沿海航路にも連れて行ってくれました。

鳴門海峡の大きく渦巻く潮も憶えています。

紀州のどこかの小さな漁村のような港に入った記憶もあります。

四日市のコンビナートの煙突の多さにも驚きました。

伊豆半島の海岸で大勢人間が泳いでいたのを双眼鏡で覗きました。

でも、船から富士山を眺めた記憶はないのです。

三浦半島の浦賀か久里浜か・・どちらかで停泊もしました。

黒船を率いて来たアメリカのペリー提督が上陸したのは、どっちの港だったのか?

東京タワーに上ったのは、小学校5年生でした。

当時、霞ヶ関ビル36階の日本一高いビルにも上りました。

千葉の港で、テレビのアニメ番組「巨人の星」を観たかったのに、NHKのテレビで日本初の心臓移植のニュースが流れていました。

自慢ではないですが、地理、歴史の社会科だけは、子供の頃からの得意科目でした。

中学校三年の模擬試験では、広島県で一番最高点の成績でした。

そう、思い出は、自信にも不安にも喜びにも悲しみにも繋がります。

幼い頃から、海から眺める陸地は、いつも幸せな安堵な陸(おか)世界に映ります。

それを忘れないように、思い出す時間を大切にしたいものです。

それは、貴重な財産だからです。


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