海運の世界で・・貨物船の船長をしている女性がいるとの記事。
広島と神戸間を往復するコンテナ船 翔洋丸(499トン)の船長、寺田美夏さん(30)。
清水海上技術短期大学から三原汽船(香川県観音寺市)に入社して、船乗りになったという事です。
時代も変わったものだという印象です。
女性が、貨物船の船長になる時代・・海の中に母あり。
末っ子の三男だった小生は、幼い頃から小学校を卒業するまで、春休み、夏休み、冬休みには、必ず、父が乗っていた貨物船に乗せられました。
休みと言えば、母に連れられての船上旅行生活での思い出が多いのです。
今では、家族の者が、貨物船に乗船旅行するなんて、規則違反も甚だしいものでしょう。
いろんな思い出が、あります。
はじめは、瀬戸内海航路でした。
いろんなカタチをした島々・・男木島、女木島。
地図を眺めながら、地名を覚えたものです。
大阪の安治川堤、高松の玉藻公園・・独りで遊んだ幼い記憶もあります。
呉の倉橋島の音戸橋も赤いグルグル巻きの橋のイメージが強いです。
九州の小倉の港では、未来世界のような高い架橋の上に電車が走っていました。
四国の今治では、どこかの知らないおばさんから「どこから来たの?」と言われて、「百島」と答えても「どこ?」と繰り返して聞かれた思い出もあります。
百島が、世界の中心だった子供心に、はじめて疑問が生じた波紋でした。
瀬戸内海から離れて、沿海航路にも連れて行ってくれました。
鳴門海峡の大きく渦巻く潮も憶えています。
紀州のどこかの小さな漁村のような港に入った記憶もあります。
四日市のコンビナートの煙突の多さにも驚きました。
伊豆半島の海岸で大勢人間が泳いでいたのを双眼鏡で覗きました。
でも、船から富士山を眺めた記憶はないのです。
三浦半島の浦賀か久里浜か・・どちらかで停泊もしました。
黒船を率いて来たアメリカのペリー提督が上陸したのは、どっちの港だったのか?
東京タワーに上ったのは、小学校5年生でした。
当時、霞ヶ関ビル36階の日本一高いビルにも上りました。
千葉の港で、テレビのアニメ番組「巨人の星」を観たかったのに、NHKのテレビで日本初の心臓移植のニュースが流れていました。
自慢ではないですが、地理、歴史の社会科だけは、子供の頃からの得意科目でした。
中学校三年の模擬試験では、広島県で一番最高点の成績でした。
そう、思い出は、自信にも不安にも喜びにも悲しみにも繋がります。
幼い頃から、海から眺める陸地は、いつも幸せな安堵な陸(おか)世界に映ります。
それを忘れないように、思い出す時間を大切にしたいものです。
それは、貴重な財産だからです。
広島と神戸間を往復するコンテナ船 翔洋丸(499トン)の船長、寺田美夏さん(30)。
清水海上技術短期大学から三原汽船(香川県観音寺市)に入社して、船乗りになったという事です。
時代も変わったものだという印象です。
女性が、貨物船の船長になる時代・・海の中に母あり。
末っ子の三男だった小生は、幼い頃から小学校を卒業するまで、春休み、夏休み、冬休みには、必ず、父が乗っていた貨物船に乗せられました。
休みと言えば、母に連れられての船上旅行生活での思い出が多いのです。
今では、家族の者が、貨物船に乗船旅行するなんて、規則違反も甚だしいものでしょう。
いろんな思い出が、あります。
はじめは、瀬戸内海航路でした。
いろんなカタチをした島々・・男木島、女木島。
地図を眺めながら、地名を覚えたものです。
大阪の安治川堤、高松の玉藻公園・・独りで遊んだ幼い記憶もあります。
呉の倉橋島の音戸橋も赤いグルグル巻きの橋のイメージが強いです。
九州の小倉の港では、未来世界のような高い架橋の上に電車が走っていました。
四国の今治では、どこかの知らないおばさんから「どこから来たの?」と言われて、「百島」と答えても「どこ?」と繰り返して聞かれた思い出もあります。
百島が、世界の中心だった子供心に、はじめて疑問が生じた波紋でした。
瀬戸内海から離れて、沿海航路にも連れて行ってくれました。
鳴門海峡の大きく渦巻く潮も憶えています。
紀州のどこかの小さな漁村のような港に入った記憶もあります。
四日市のコンビナートの煙突の多さにも驚きました。
伊豆半島の海岸で大勢人間が泳いでいたのを双眼鏡で覗きました。
でも、船から富士山を眺めた記憶はないのです。
三浦半島の浦賀か久里浜か・・どちらかで停泊もしました。
黒船を率いて来たアメリカのペリー提督が上陸したのは、どっちの港だったのか?
東京タワーに上ったのは、小学校5年生でした。
当時、霞ヶ関ビル36階の日本一高いビルにも上りました。
千葉の港で、テレビのアニメ番組「巨人の星」を観たかったのに、NHKのテレビで日本初の心臓移植のニュースが流れていました。
自慢ではないですが、地理、歴史の社会科だけは、子供の頃からの得意科目でした。
中学校三年の模擬試験では、広島県で一番最高点の成績でした。
そう、思い出は、自信にも不安にも喜びにも悲しみにも繋がります。
幼い頃から、海から眺める陸地は、いつも幸せな安堵な陸(おか)世界に映ります。
それを忘れないように、思い出す時間を大切にしたいものです。
それは、貴重な財産だからです。