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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

三月晦日。

2016年03月31日 | 千伝。
この頃、室町幕府最後の流浪将軍となった足利義昭公の資料・記録・小説ばかり読んでいます。

義昭公・・越前の一乗谷(福井市郊外)の朝倉家にも、備後の沼隈・鞆(福山市郊外)の毛利家にも居候して居りました。

その200年以上昔、元寇さえも押し返し神風・無敵と言われた鎌倉幕府を倒したのは、西国の楠木正成、赤松則村、そして、東国の新田義貞、足利尊氏といった武将でした。

鎌倉時代末期から、その後の後醍醐天皇の建武の新政、南北朝時代・・室町時代成立まで、日本史上最大の混乱期だった言えます。

最近・・歩く事にも慣れてしまいました。

昨日は、藤島神社に参りました。



御祭神は、新田義貞公です。





その謂れは、新田義貞が、足利軍勢に討ち取られ自刃した場所(現在の福井市藤島地区)となっています。

そして、足利尊氏が征夷大将軍として成立した室町幕府時代・・金閣寺、銀閣寺、茶道、華道、歌舞伎等々、日本の美となる礎となったバサラの時代でもあります。

その一方で、室町幕府の失政、赤松満祐による嘉吉の乱に始まる足利将軍の失墜・・応仁の乱、戦国時代へと時代の流れ、大きなうねりが続きます。

室町時代末期の最後の足利義昭公・・この方は、偉人でもなく英雄的な武将でもありません。

足利家再興を追い求める流浪の将軍でした。

ひたすら、全国各地の戦国大名に敵味方関係なく上杉にも武田にも北条にも毛利、小早川にも島津にも長曽我部にも大内にも「和睦せよ」と書状を送り、「停戦の上、上洛せよ」・・と訴えるのです。

はじめに、この願いを聞き入れたのが、織田信長でした。

織田信長は、足利義昭とともに上洛して、これを踏み台にして天下布武を号令します。

足利義昭という人物の器を、織田信長は、すぐに見抜いたと思います。

その後の二人の人間関係は、かなりの神経戦になったと思いますが、豊臣秀吉の天下になっても、あの戦乱の下剋上の時代、足利義昭は生き残っています。

将軍家の権威もあったのでしょうが、権力も武力も財力もなく・・ひたすら書状を日本各国に送っている実情が病的でもあり、凄いのです。

「和睦せよ。足利家復興せよ」

どこかの教主、僧侶が、平和を訴え、その宗教の神や仏を信じよ・・と何かつながるような気もします。

さて、日本代表のサッカー試合を観ての感想。

相手のアフガニスタンやシリアという国情は治安混乱の真最中でもナショナルチームの編成、派遣できるのが不思議です。

ある意味・・凄いね!

足利義昭のような人物・・今の時代、今の世界にも必要なのかもしれません。