小生の母親が88歳の天寿を全うして、黄泉の国に旅たって5年になりました。
桜が満開になる季節になると、母が自分のでた小学校の桜の美しさを懐かしむように語っていたことを思い出します。
亡くなる2、3年前に母を連れてその小学校の桜を見に行ったのですが、桜を見るなり一言「どこの桜も同じやな」って言いはなちました。
これにはその時はせっかく連れてきたやったのに「懐かしい」とか「とても綺麗」とか言ってくれると思ったのにガッカリしたのを覚えています。
先日、長男家族と一緒に三井寺の夜桜を見に行きました。ライトアップされた満開の桜は夕暮れ前の空の濃いブルーを背景に三日月と共に
眩しいほどの美しさを見せていました。
母の言った「どこの桜も一緒」とは今に思えば「桜はどこで咲いても、どのような人にも等しく美しいと思えるような花」
と言う意味だったのかもしれません。
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