いよいよ卯月が近づき桜の蕾もわずかに膨らんできて開花が待ち遠しい季節です。
小生が住まいしている地区は週に2回可燃性ゴミと生ゴミを定められた集積所に持参します。
その前にアパートがあり、その持ち主である方より、地域住民のためゴミ集積場用の屋根付き集積小屋を寄贈して頂いています。
そこに町内の方々がゴミを入れておきます。
ゴミを出すのは朝の小生の役割となって久しいのですが、最近になってゴミ集積場の変化に気付かされたことが2点あります。
一つはひとつづつのゴミ袋に入っている生ゴミの量が少なくなってきたこと。
二つめは、今まででしたらゴミ袋は最初に出された方からゴミ袋が奥の方に順番に置かれていて、
後に出しに来られた人が、順次後ろから詰めて置いて行き、ゴミ袋を置きやすくなるように配慮されていましたが、
最近では前の方に置いてある袋が目立ってきました。
この二点の変化は如実にこの地域の方々が高齢化がはっきりとして来て、先づ一つ目の気づきは、食べる量が減ってきたことが推測されます。
二つめに気づいたことは、後にゴミ袋を持ってきた人のことを考えて、奥の方から順に詰めて前を空けておき、
ゴミ袋を置くスペースを確保する手間を億劫に感じている方が増えてきたことが窺えます。
私たちは誰でも歳をとり、ありとあらゆる機能が衰え、自分のことを管理するだけで精一杯となり、
他の人たちのことを慮る余裕が無くなってきます。
これは自然界では当然のことですが、残念ながら人の世ではアンチエージングなど、加齢に対してある種の嫌悪感が先立ち
若いこと、若く見えることが良しとされる風潮があります。
確かにいつまでも見た目にも若々しく、モノの判断は論理的で正確無比であることは理想ですが、生きるもの全てが、
最終は細胞壊死を起こし朽ちて行きます。
不老不死などあり得ないことを充分知りながら自然の摂理に抗うことが正しいとは思えません。
これからは世の中には高齢者や身体や心に何らかの困難さを持って生きている人たちが増えていくことを
若い元気な人たちには理解して頂き、困っている人がいれば、見て見ぬふりをせず、
手助けできることがあれば躊躇なく手助けしてあげることに対して、褒め称えられる社会であってほしいと思います。
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