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水無月も終盤に差し掛かってきました。

2022-06-29 20:55:50 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨真っ盛りの季節にも関わらず、今年は6月中に早くも梅雨明け宣言が出てしまいました。

天気予報では一昨日から1週間ほど晴れが続くそうで最高気温も30度を超えるようです。

昨日も熱帯夜で夜中に暑さのために起きてしまい、タイマーをつけ、深夜に止めていた扇風機のスイッチを再び入れるぐらいでした。

そのため睡眠不足で今日は朝から身体がだるく感じます。

さて関東ではインフルエンザが流行の兆しを見せているようです。コロナ感染者の数は下げ止まりの感があります。

この冬両方が蔓延するようなことがあれば病床は逼迫することは明らかです。

自分や大事に思う人のことを考えて行動し、また予防出来ることがあれば積極的に対応することが必要でしょう。

上半期の最後の月となりました。

2022-06-12 20:43:29 | 日記・エッセイ・コラム


いよいよ今年も上半期最後の月になりました。先週は家内が小学生時代に住んでいた京都嵯峨野の実家を見がてら

嵯峨界隈を30年振りに散策してきました。

流石に今はコロナの影響で入国制限があり外国の方々に道で会うことはなく、嵐山周辺の路は閑散としており、

平安時代から続く公家達が好んでこの地に別邸を構えたのにうなづける風情がありました。

嵐山から受ける風は心地よく、少しの高低差を持って続く棚田の景色は市内を見渡せる高台からは最高の景色でした。

家内が当時住んでいた家の近くの神社は当時は杜の都と言っても過言ではないほどに高木が立ち並び

鬱蒼とした中に神が宿る雰囲気があったのですが、今は樹々は切られ整地され若者達が参拝しやすい明るく、

今風のしつらえたキャラクターが飾られた社殿に姿を変えていました。

社殿入り口にあったお寿司屋さんや果物屋さんは既になく、小綺麗な京都らしい町家に代わっていました。

30年の歳月を経ても家内の小学生時代の記憶は色褪せる事なく、次々と当時の懐かしい友達やご近所さんの名前と当時のエピソードが

リンクして、小生の耳に絶え間なく聞こえて来ました。

これから暫く元気なうちは、足繁く二人の思い出のある土地を散策できればと思います

錯覚とはこのことを言うのかも。でも毎年うれしい。

2022-05-29 21:02:50 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ5月が終わりです。毎年この季節は新入生や新入園児の健診で4月と5月は忙殺されます。

その中での唯一の癒しは新入園児や新1年生の初々しい子供達との出会いです。

明るくて屈託のない可愛いらしいハイトーンの話し声が診察室になっている会議室にこだまします。

一度に100人以上施設によっては200人以上の子供達を診察するのですが、各々の子供達の表情が異なり、話し方やその内容も様々で

大変面白いです。

それぞれの子供達は初々しいのはあたりまえなのですが、つい錯覚を起こして自分までも新学年を迎えるたびに

一歳毎気持ちが若がえっているように感じています。

肉体的な老いは確実に一年毎に進んでいることはハッキリと自覚出来るほどなのですが、精神的な進歩が無いせいか、

ずうーっと同じか若返って来ているような感じがしています。

見た目は年齢相応の高齢者なのですが、まだまだ高校生か大学生ぐらいの気分でいる自分がそこに居るのがわかります。

毎年一年ごとに若返るのは小児科医の特権かもしれませんね



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桜の想いで

2022-04-08 23:14:43 | 日記・エッセイ・コラム

小生の母親が88歳の天寿を全うして、黄泉の国に旅たって5年になりました。

桜が満開になる季節になると、母が自分のでた小学校の桜の美しさを懐かしむように語っていたことを思い出します。

亡くなる2、3年前に母を連れてその小学校の桜を見に行ったのですが、桜を見るなり一言「どこの桜も同じやな」って言いはなちました。

これにはその時はせっかく連れてきたやったのに「懐かしい」とか「とても綺麗」とか言ってくれると思ったのにガッカリしたのを覚えています。

先日、長男家族と一緒に三井寺の夜桜を見に行きました。ライトアップされた満開の桜は夕暮れ前の空の濃いブルーを背景に三日月と共に

眩しいほどの美しさを見せていました。

母の言った「どこの桜も一緒」とは今に思えば「桜はどこで咲いても、どのような人にも等しく美しいと思えるような花」

と言う意味だったのかもしれません。


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年齢を重ねるということ

2022-03-27 22:32:27 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ卯月が近づき桜の蕾もわずかに膨らんできて開花が待ち遠しい季節です。

小生が住まいしている地区は週に2回可燃性ゴミと生ゴミを定められた集積所に持参します。

その前にアパートがあり、その持ち主である方より、地域住民のためゴミ集積場用の屋根付き集積小屋を寄贈して頂いています。

そこに町内の方々がゴミを入れておきます。

ゴミを出すのは朝の小生の役割となって久しいのですが、最近になってゴミ集積場の変化に気付かされたことが2点あります。

一つはひとつづつのゴミ袋に入っている生ゴミの量が少なくなってきたこと。

二つめは、今まででしたらゴミ袋は最初に出された方からゴミ袋が奥の方に順番に置かれていて、

後に出しに来られた人が、順次後ろから詰めて置いて行き、ゴミ袋を置きやすくなるように配慮されていましたが、

最近では前の方に置いてある袋が目立ってきました。

この二点の変化は如実にこの地域の方々が高齢化がはっきりとして来て、先づ一つ目の気づきは、食べる量が減ってきたことが推測されます。

二つめに気づいたことは、後にゴミ袋を持ってきた人のことを考えて、奥の方から順に詰めて前を空けておき、

ゴミ袋を置くスペースを確保する手間を億劫に感じている方が増えてきたことが窺えます。

私たちは誰でも歳をとり、ありとあらゆる機能が衰え、自分のことを管理するだけで精一杯となり、

他の人たちのことを慮る余裕が無くなってきます。

これは自然界では当然のことですが、残念ながら人の世ではアンチエージングなど、加齢に対してある種の嫌悪感が先立ち

若いこと、若く見えることが良しとされる風潮があります。

確かにいつまでも見た目にも若々しく、モノの判断は論理的で正確無比であることは理想ですが、生きるもの全てが、

最終は細胞壊死を起こし朽ちて行きます。

不老不死などあり得ないことを充分知りながら自然の摂理に抗うことが正しいとは思えません。

これからは世の中には高齢者や身体や心に何らかの困難さを持って生きている人たちが増えていくことを

若い元気な人たちには理解して頂き、困っている人がいれば、見て見ぬふりをせず、

手助けできることがあれば躊躇なく手助けしてあげることに対して、褒め称えられる社会であってほしいと思います。

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