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十王堂橋について

2017-12-09 09:05:58 | 日記
「鎌倉趣味の史蹟めぐり」著者 長峰五幸 によりますと、次のような記述がありましたので投稿いたします。
 十王堂橋は、北鎌倉駅前通りを、150メートル大船へ向かった所にある。
 名の由来は、鎌倉・室町の時代、この付近に十王堂があったことによる。
 江戸時代には、すでに跡形もなかったことが新編鎌倉誌によってわかるが、幸いなことに、ここから1500メートルほど鎌倉寄りの小袋坂頂部右手にある、新居山円応寺が実は、十王堂そのものである。
 もちろんこの橋のたもとの十王堂というのではなく、昔由比ケ浜近い滑川のほとりにあって新居閻磨堂(えんまどう)といわれたのを、元禄時代現在地へ移転したものであるという。
 十王堂の中身 それは言うまでもなく地獄の十王たちである。……十王たち?
 代表的ともくされているのは、閻魔大王。大きな口をクワッとあき、世にも恐ろしい大眼球をむき、ハッタとばかり罪人を睨みすえる。
 地底をゆるがす大音声で断罪を下し、「いいえ、それは違います」と一言でも蚊細く抗弁しょうものなら獄卒二目くばせし、間髪を入れず浄玻璃(じょうはり)の鏡の覆いを取りのけさせる。……と、視よ。放送スタヂオのモニター用T・Vより鮮明に己が生前の罪状の数々が映し出されるではないか。
 親を足蹴にかけた。
 隣の犬が吠えて八釜敷いとて毒殺。
 盗み、偽り、虚栄、ハッタリ、怠惰、無慈悲、不真面目、数知れず。
 かくて亡者は勝ち誇る牛頭(ごづ)馬頭(めつ)の鬼に引きすえられ、口をこじ開けられ、大きな専用道具でギリギリグィッと舌をひん抜かれ、ギャアと叫んで閟絶する。
 円応寺では正面の帳の陰に一きわ巨大な閻魔大王がすわつている。他の九王は一段低い左右に居流れ、普通の仏教寺院と違う、異様な圧迫感を漂わす。
 このエンマ様は伝運慶作。彼が死に、冥途を旅して閻魔大王の前まで来たところ生きているとき、天才仏師としての手腕と業績が顕著であると認められ、突如生き返った。そのときの大王の様子を刻んだものと伝えられるが、本当かどうか。
 エンマは、古代インドから中国を経由して我が国へ来たものだが、本来は人類最初の死者であって、双児と考えられていた。ヤマの方は男の死者を司り、妹のヤミーの方が女性の死者を扱っていた。
 中国へ来ると、道教の地獄思想と仏教の地獄観が混交し、ヤマの姿も次第とおそろしくなってくる。
 エンマ大王は、中国では第五の王で、それほど重要ではない。十王の中でもっとも威厳のあるのは第二王である。その名は初江王。初江王は運慶門下の秀才、幸有の名作で円応寺に残り、竹山道雄氏は左のように解説された。
 ミケランジェロが描いた、天地を創造し審判する神は、眼光けいけい筋肉隆々としている。どこまでも有として存在している。しかし、仏教では、そういうのは仁王かエンマのように、お寺の一番端の入口にいるので、奥に入るにしたがって、有は消えてしまい、本尊は目を伏せ筋肉もない。むこうからことらに迫ってくるのではなく、むしろ暗示によって、見る者の心から無限感絶対感をひきだそうとしている。
 初江王は有の立場にあって、人間を看破し審判している。地獄極楽を信じていた昔の人にとっては、この眼光は真におそろしかったにちがいない。(河出、昭和33年「鎌倉の仏像」)
 この木造・初江王は高さ1メートル、鎌倉彫刻の代表的逸品として国宝館に出陣中。
 竹山先生の御説明、鎌倉国宝館提供の写真、ともに結構この上なし、あとは皆様が入館遊ばされ、とっくりご覧になるだけだ。というような記述がありました。

(十王橋鎌倉方面を望む)

(十王橋大船方面を望む)

(十王橋下を流れる川)