
姫路モノレール
は姫路から手柄山を結んでいたモノレールですが、業績不振などにより、1974年に休止、1979年に廃止となりましたが、廃止から30年経った今でもその遺構が所々残っています。これは費用と償還の関係で撤去できなかったのが実情のようです。

いくつかある遺構の中で一番大きなものが
大将軍駅
です。大将軍駅は姫路モノレールで唯一の途中駅でしたが、姫路駅に近すぎたせいか乗客が少なく、開業から数年で早々と休止となってしまったようです。その大将軍駅は公団高尾アパートが入居する高層ビルの中にあり、その3・4階に片面ホームが設置されていました。廃止後は駅自体はそのまま残され、アパートやホテルとして使われていましたが、老朽化に伴って解体される事が決定されています。解体を前に一般公開が行われ、そのレポートを拝見させていただいたのですが、当時の様子がほぼ残されていたのに驚きました・・・。

ホーム部分です。ホームは3・4階に設置され、吹き抜け構造になっていました。こんな構造が約40年前に出来ていたなんて驚きです・・・。当時は最先端的なものだったのでしょうね・・・。

こちらは出入口だったところのようです。廃止後はホテルの玄関になったみたいですが・・・。しかし、周辺は既に解体に向けて準備作業のために重機などが置かれていました。


こちらは姫路~大将軍間の遺構です。姫路~大将軍間は意外と近く、あるいてもすぐに付けるほどの距離でした。遺構の方は柱がいくつか残るだけでだいぶ撤去されていました。姫路駅は神姫バスのバスターミナル周辺に位置していた事もあり、完全に撤去されてしまったようです。路線も住宅の上に敷いた事もあり、柱以外はほぼ撤去されていました(劣化に伴う落下を防ぐため)。でも、柱部分は住宅と一体になっているようで、そのまま残されたという感じでしょうか・・・。



こちらは大将軍~手柄山間の遺構です。多くが撤去された姫路~大将軍間とは対照的に所々残っていました。道路や線路と交差する部分はさすがに撤去されていましたが、それ以外の部分は構造そのものが残っていました。しかも、レールまでそのままです。写真の場所は道路と交差しておらず、落下による危険性が低いと判断されたのでしょうね・・・。因みに手柄山駅近辺は完全に撤去されていました。


そして、終点の手柄山駅は当時の構造がそのまま残っていましたが、再公開に向けての整備が行われ、2011年に手柄山交流ステーションとしてオープンしました。そこには車両や備品などが展示されています。これらの展示物は当時の様子を忍ばせています。
わずか8年の営業で休止された姫路モノレール、多数残っている遺構を見ると、当時の期待などが見えてきたような気がします。今思ってみれば、短い営業距離など無駄と思えるような点が多かったのですが・・・。
以上です。
は姫路から手柄山を結んでいたモノレールですが、業績不振などにより、1974年に休止、1979年に廃止となりましたが、廃止から30年経った今でもその遺構が所々残っています。これは費用と償還の関係で撤去できなかったのが実情のようです。

いくつかある遺構の中で一番大きなものが
大将軍駅
です。大将軍駅は姫路モノレールで唯一の途中駅でしたが、姫路駅に近すぎたせいか乗客が少なく、開業から数年で早々と休止となってしまったようです。その大将軍駅は公団高尾アパートが入居する高層ビルの中にあり、その3・4階に片面ホームが設置されていました。廃止後は駅自体はそのまま残され、アパートやホテルとして使われていましたが、老朽化に伴って解体される事が決定されています。解体を前に一般公開が行われ、そのレポートを拝見させていただいたのですが、当時の様子がほぼ残されていたのに驚きました・・・。

ホーム部分です。ホームは3・4階に設置され、吹き抜け構造になっていました。こんな構造が約40年前に出来ていたなんて驚きです・・・。当時は最先端的なものだったのでしょうね・・・。

こちらは出入口だったところのようです。廃止後はホテルの玄関になったみたいですが・・・。しかし、周辺は既に解体に向けて準備作業のために重機などが置かれていました。


こちらは姫路~大将軍間の遺構です。姫路~大将軍間は意外と近く、あるいてもすぐに付けるほどの距離でした。遺構の方は柱がいくつか残るだけでだいぶ撤去されていました。姫路駅は神姫バスのバスターミナル周辺に位置していた事もあり、完全に撤去されてしまったようです。路線も住宅の上に敷いた事もあり、柱以外はほぼ撤去されていました(劣化に伴う落下を防ぐため)。でも、柱部分は住宅と一体になっているようで、そのまま残されたという感じでしょうか・・・。



こちらは大将軍~手柄山間の遺構です。多くが撤去された姫路~大将軍間とは対照的に所々残っていました。道路や線路と交差する部分はさすがに撤去されていましたが、それ以外の部分は構造そのものが残っていました。しかも、レールまでそのままです。写真の場所は道路と交差しておらず、落下による危険性が低いと判断されたのでしょうね・・・。因みに手柄山駅近辺は完全に撤去されていました。


そして、終点の手柄山駅は当時の構造がそのまま残っていましたが、再公開に向けての整備が行われ、2011年に手柄山交流ステーションとしてオープンしました。そこには車両や備品などが展示されています。これらの展示物は当時の様子を忍ばせています。
わずか8年の営業で休止された姫路モノレール、多数残っている遺構を見ると、当時の期待などが見えてきたような気がします。今思ってみれば、短い営業距離など無駄と思えるような点が多かったのですが・・・。
以上です。
この路線は姫路モノレールとほぼ同じ時期の1966年に開業したものの、車両重量の超過問題や橋桁の耐久性問題からわずか1年で休止、一度も再開されることなく2003年には正式に廃止されています。姫路モノレールが一部の軌道や駅が残されているのに対し、ドリームランド線の軌道や駅はすべて撤去されています。
コメントありがとうございます。
ドリームランド線は更に短命だったんですね。しかも、休止後すぐに全て撤去されるとはまさしく悲運なモノレールですね・・・。