南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

戦国無双3・毛利元就(中国防衛戦 )

2010-03-06 | 歴史(戦国・維新・島津など)
戦国無双3から新登場の毛利元就。
わが郷土の英雄・島津義弘公の父君・島津貴久公と同じ年1571年に75歳で亡くなり、爺キャラかと思いきや、なにこの韓流ドラマに出てきそうなイケメンは?(笑)
バーチャファイターに出てくる酔拳使いの舜帝みたいなキャラでもよかったのでは?(笑)
全編に立花夫婦がからんできます

毛利元就の章・オープニングムービー

輝元「大殿ぉ~!!」
元就「・・・私は死んだはずだぞ?」
輝元「将軍家が、我ら毛利家を頼ってこられました」

1573年に信長が足利義昭を追放し足利尊氏以来230年あまり続いた室町幕府が事実上の崩壊となりました。
1576年(天正4年)、毛利氏の庇護下に入り、鞆に移った(義昭が毛利領内の備中に動座してきたため保護せざるを得ない状況となる)足利義昭ですが当時、義昭は形式的には征夷大将軍であり本願寺、武田氏のみならず、中国の毛利氏、宇喜多氏、北陸の上杉氏などで第二次信長包囲網を形成しています。


元就「毛利家は分をわきまえ、天下には関わらぬように「遺言」しておいたはずだが?」
輝元「ですが、将軍追放などという信長の暴挙を許すわけには・・・」

1570年の第一次信長包囲網には義昭から要請あるも、元就は織田信長の実力を認めており、信長とは友好関係を維持して、包囲網には参加しませんでした。

毛利元就は1571年6月14日に安芸の吉田郡山城(広島県安芸高田市)で75歳の生涯を終えました。
死に臨んで、孫で当主の輝元、次男の吉川元春、三男の小早川隆景を呼び、「決して天下を望もうとするな。毛利、吉川、小早川は鼎(かなえ)の足のように親しく交われ」と言い残したそうです。


三男の小早川隆景?「大殿ぉ~!! 信長が、羽柴秀吉率いる大軍を毛利討伐に動かしたとの報せ!」
次男の吉川元春?「申し上げます! 九州の立花家が、我ら毛利打倒の軍を興しました!」
「挟み撃ちだと?」「い、いかがすれば・・・!?」
矢次早に元就のもとへ難題が・・・


元就「・・・私は歴史家になりたかったんだ。もう一生分は働いたと思うんだが・・・?」

稀代の策略家・毛利元就の戦いの歴史
1517年(21歳)有田中井手の戦い(初陣)
 「西国の桶狭間」安芸武田氏の衰退と毛利氏の勢力拡大
1523年(27歳)家督相続
 尼子氏と絶ち大内氏に従属へ
1540年(44歳)吉田郡山城の戦い
 安芸での尼子氏劣勢・毛利中心的存在へ
1542年-1543年 第一次月山富田城の戦い
 大内義隆の出雲遠征に従軍するも尼子氏に敗れ、大内氏衰退の一因となり、尼子氏は晴久のもとで勢力を回復させ、最盛期を創出。
1547年(51歳)次男元春、吉川家を養子相続。
1550年(54歳)三男隆景、沼田小早川家を養子相続。
1551年(55歳)大内義隆、家臣の陶隆房の謀反で死亡(大寧寺の変)。
1554年(58歳)折敷畑合戦で陶軍主力を殲滅。
1555年(59歳)厳島合戦で陶軍に大勝(陶晴賢は自刃)。
1556年(60歳)忍原崩れ
 尼子晴久に敗れ石見銀山を奪回される。
1557年(61歳)防長経略
 毛利家が周防・長門を完全平定
豊後国の大友義鎮は実弟の大内義長を見殺しにして大内氏旧領の豊前国・筑前国を占領。
後に毛利元就は博多の権益を求め九州に侵攻し、大友氏と激しく争う
1559年(63歳)降露坂の戦い
 石見銀山を奪取すべく、吉川元春・小早川隆景を引き連れて小笠原長雄の居城である温湯城へと侵攻するも尼子軍に大敗
1559年(63歳)隆元、大友義鎮軍を門司城に破る。
1562年(66歳)毛利隆元が急死。尼子氏の白鹿城を攻略。
1566年(70歳)月山富田城陥落(出雲尼子氏滅亡)
こうして元就は一代にして、中国地方8ヶ国を支配する大大名にのし上がりました


1576年(天正4年)精強鉄砲隊の雑賀衆が味方していた石山本願寺に対して塙直政、明智光秀らを中心とする信長軍が天王寺付近で激戦を開始します。
毛利輝元は、本願寺に兵糧援助を始め、北陸では一向一揆と同盟を結んだ上杉謙信が越中から能登へ侵攻を開始します。


元就「立花を使ってきたのは、毛利とまともに戦う余裕がない現れさ。羽柴の動きはほぼ陽動と見ていい。近畿の豪族を扇動すれば進攻は完全に抑えられる」

1576年5月7日の天王寺の戦いの際、羽柴秀吉は信長の動員令により、丹羽長秀・滝川一益・稲葉一鉄・安藤守就らの諸将とともに若江城に集まっています。

1578年上月城の戦い、1580年三木合戦などで羽柴秀吉が中国方面へ出兵し、さらに信長と通じた豊後国の大友宗麟が西から、山陰からも信長と通じた南条元続らが侵攻してくるなど、毛利家は次第に追い込まれてゆきます。



博多の権益を狙い元就は1557年に筑前の秋月文種を調略し大友氏に反旗を翻えさせました。
1561年豊前に出陣し立花道雪と戦闘、1567年にはかつて道雪が討った秋月文種の子種実が筑前に入り秋月氏再興の兵を起こす(休松の戦い)援助を行います。
1567年、博多を守る要衝であった立花山城主立花鑑載を調略で叛旗を翻させ、立花山城を手中にします。
1568年には道雪に立花山城を陥落され、立花鑑載が自害。
1569年4月に立花山城を奪還すべく吉川元春、小早川隆景率いる毛利勢が筑前に来襲し、5月に毛利氏が立花山城を陥落します。
1569年5月からの多々良浜の戦いでは大友方が道雪が自ら陣頭に立って戦う奮闘により勝利し、毛利方は立花山城に撤退、膠着状態になります。
大友宗麟の軍師・吉岡長増は毛利氏を九州から撤退させるべく策を巡らせ、周防国で大内輝弘の乱を起こさせます。
同時期に尼子勝久・山中幸盛が尼子再興の挙兵し出雲国へと侵入、毛利氏は戦線を維持できなくなり永禄12年(1569年)11月になって撤退し、10年以上に渡った毛利氏と大友氏の筑前争奪戦はようやく終わりを告げました。


元就「安穏たる余生のため、よみがえることにしますか」


用意周到な策略で自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高い元就の死因は老衰とも食道癌とも言われています。


1563年に父・隆元が急死したため、11歳で家督を継ぎますが若年のため、祖父・元就が実権を掌握し、政治・軍事を執行します。


吉川元春は毛利両川の一人として、弟の小早川隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げた名将で主に山陰地方の司令官として貢献しました。
父・元就をしてその勇猛ぶりは、「我は戦では元春には及ばぬ」と言わしめたとされ、また元就は元春が単なる勇将というだけでないことも見抜いており、「眼東南を見て、心西北にあり」と評したということです。


男児の無かった立花道雪は立花氏の跡継ぎとして、高橋紹運の子の高橋統虎を何度にもわたって請うてきたために、紹運は拒絶できず、宗茂を道雪の養子に出しています。


10年以上も毛利元就と大友方の道雪は筑前争奪戦(立花城をめぐる戦い)を繰り返しました。


1575年6歳で家督を譲られ立花家当主となった千代。


元就は輝元の初陣(第二次月山富田城合戦)を期に隠居を考えましたが、輝元に「父・隆元は、40の歳まで祖父上に後見していただいたではないですか...なのに、まだ15の私を、なぜ見捨てておしまいになるのですか」と言われ、死ぬまでその後見にあったそうです。


1571年、祖父・元就が死去すると、毛利両川(吉川・小早川)体制を中心とした重臣の補佐を受け、輝元は親政を開始します。


元就の書いた歴史の本を読んでいる立花夫婦。
千代「冗長だ、その上つまらぬ」と厳しいお言葉。


千代「歴史家となる夢は捨てよ。世のためだ。」
・・・そこまで言う?
元就「・・・」

宗茂「すみません。彼女、正直なもので。」
・・・フォローになってませんが(笑)


元就「さて結論から言うと立花を潰す気はない」
宗茂「なにゆえ?」
元就「天下が一人で背負うには重すぎるからさ」


元就が「折れるかい?」と1本の矢を宗茂に差し出すと宗茂は、簡単にポキッと折ります。

元就「これなら?」と3本の矢を宗茂に差し出します。

元就が三人の息子(隆元・元春・隆景)に、一本では脆い矢も束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた…という有名な「三本の矢」の逸話があります。
毛利元就が1557年に3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いた文書「三子教訓状」からきた逸話です。



元就の意図を組んだ宗茂が「なるほど。一本ならばたやすく折れる矢も、三本集まれば・・・」と言っている最中に千代が三本の矢を取り上げ・・・

パキッと折り千代「折れたぞ」

宗茂「すみません。彼女、空気は読まない主義なので」

元就「らしいね(笑)。だが、三本ならば折れる矢も十本なら?百本なら?

元就「百万一心となって天下を支える・・・」

「百万一心」とは吉田郡山城の工事の際に毛利元就が人柱の替りに使った石碑に書いてあった言葉で、、「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」という意味だそうです。
毛利輝元が、祖父の元就の霊を祀った豊栄神社(山口県山口市)境内に「百万一心」の碑が平氏9年に建てられたり、吉田郡山城跡の中にある毛利一族の墓所境内には、その拓本を元に模刻した石碑が建てられているそうです。


宗茂「信長公ならば、天下を一人で支えきれるのでは?」

元就「うん・・・そうなんだ。でもね。信長公も永遠に生きているわけじゃない」

千代「了解した。立花という矢は貴様とともにあろう」
あいかわらずの高飛車な千代ですが(笑)、元就に立花夫婦が協力していくことになりました。
ゲーム内の話ですが(笑)




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