もう10年以上前に母と秩父の霊場巡りをしていた際に一株庭へ移植した彼岸花が今年も花をつけました。
球根なのですが不思議なことに時々場所を変えて咲きます。種が飛ぶのか,私が土をいじった際に球根も移動させてしまうのかは不明です。
今年は此所1カ所だけです。
暑さ寒さも彼岸まで,週末は涼しくなるようですが,台風の来襲も気がかりです。
もう10年以上前に母と秩父の霊場巡りをしていた際に一株庭へ移植した彼岸花が今年も花をつけました。
球根なのですが不思議なことに時々場所を変えて咲きます。種が飛ぶのか,私が土をいじった際に球根も移動させてしまうのかは不明です。
今年は此所1カ所だけです。
暑さ寒さも彼岸まで,週末は涼しくなるようですが,台風の来襲も気がかりです。
この債券は第10回特別弔慰金国庫債券と言う代物で第二次大戦で戦死した遺族に七面倒くさい手続きを完遂した
根気の良い人に支給されるものです。
25万円を5年間に分割支給するので年5万円が受け取れるのです。
第10回と言うから,戦後5年ごとにこんなものを遺族にばらまいていたのでしょう。
今までは母、つまり戦死者の配偶者が受け取っていたのが,母が亡くなり私と妹のどちらかに
支給するという通知が2年前に来ました。相続人が複数なら受給者以外の者からは権利放棄の証書を添付するのです。
申請書の添付する書類は母の除籍抄本、該当者全員の住民票,権利放棄書などが必要です。
私は区役所へは申請書類の受け取り、申請、証書の受け取りの書類受領の3回で済みましたが,書類の不備や記載漏れがあれば
その回数は増えることでしょう。お金をもらえるのは指定の郵便局に行かねばなりません。そしてやっと5万円が戴けるのです。
この政策で政権党は税金を使って遺族の票を確保できたとほくそ笑んでいることでしょうが,国民はそれほど愚かではありません。
父親の命の代償がこの金額だと思われているのですから,ふざけるんじゃないよ!と思うのが普通の感覚です。
軽いディナーの後、能楽堂へ行きました。間口はごく狭く,仕舞た屋のような造りです。
観世さんのお住まいもあるようです。
入り口の広さに比べ,舞台は本格的な造りです。
花道?には本物の松も植えてあります。
お話しが始まってからは撮影は遠慮しました。
椅子の背にこんなプレートが貼ってありました。
席ごとに違う内容のようです。
なかなか蘊蓄のある言葉が記されています。
お話しはなかなか面白く,能の世界が垣間見えた気がします。
本番の公演日が待ち遠しいです。
神楽坂と言っても矢来町ですが、矢来能楽堂で俊寛の公演前の講義があったので
始まりが午後7時なので近くのブラッズリーで夕飯にしました。
20卓ほどのこぢんまりした店でディナーは3000円ほどの1コースのみでした。
1コースのみですが、前菜、メインディッシュ、デザートのチョイスはかなりの選択肢がありました。
私が選んだ前菜はパルマの生ハムのサラダです。
メインディッシュはサーロインのステーキにしました。
ミディアムレアの焼き方は絶妙でした。
デザートにはレモンのシャーベットにしました。
税込3200円ほど、リーズナブルなディナーでした。
ジモティーのサイトで手頃な値段の糸鋸を見つけ、お隣の町まで受け取りに行きました。
車で20分ほど、埼玉スタジアムの近くです。
糸鋸刃も取説も付いて居なかったのでメーカーのサイトを探しましたが取説のダウンロードサイトはありません。
仕方ないからメールで問い合わせ、有料で買いましたが、送料代引き込みで1600円ほども取るのにA5の6pのペナペナな
お粗末な取説でした。それも私の買ったタイプの物ではないので電話で質問したら、我が社はメーカーで販売店から直接買った品でないのは
保証もサービスもしたくない。との仰せでした。
中古で買おうと新品を買おうと、その会社のユーザーであることには変わりはないのだし、製品には製造責任もあるわけだし、
製造者の誇りもあってしかしかるべきです。
糸鋸の性能は悪くないし使い勝手も良いのですから、もっときちんとした対応をして欲しかったです。
試しに木片に丸い切り込みを入れてみました。こんな出来です。
メーカーの対応してくれた方は、糸鋸は扱いが難しいから講習会に参加すると良い。と、
車で2時間くらい掛かる場所の会場を教えてくれました。ご親切さには一応お礼を言いましたが行く気はありません。
失敗しながら独学で学んでいくのが私のやり方ですから。
取説もどうしても必要というわけではなかったのですか、刃物だから使い方を万一間違えたら怖いので取り寄せましたが、
内容はお粗末な物でがっかりです。
新宿区役所へ用事があったので、用事を済ませてから伊勢丹に行きました。
伊勢丹で靴の修理を頼みましたら仕上がるのは午後3時頃というので
7階のレストラン街でランチしました。
平日だというのに行列の出来て居る店もあります。並んでいるのは殆どが中年女性です。
いわゆる有閑マダムさんたちです。
私も時間はあるけど、並んで待って食事するのは、戦時中、戦後の食糧難時代を思い出すようで嫌ですから
並ばないで入れる店を探しました。
お茶漬けや丼物、を出す店でしたがなにやら選択肢が雑多で、スッポン丼なんて言うのもありました。
メニューの中では無難そうな穴子丼を頼みました。
そこそこのお味でしたが穴子が若く身が薄くて脂の乗りもいまいち。
そこで、時間つぶしと腹の虫が折角の新宿なのにうまい物を食わせろとせっつくので高野まで歩いてデザートを
摂ることにしました。
高野は1階から5階までをグッチに貸していて、自分は地下と7階に店を出していました。
地階は果物店、7階がフルーツパーラーとスイーツのバイキング方式の食べ放題の店に分かれていました。
食べ放題の店は行列が出来ています。食べ放題とかバイイングというのは嫌いですし、行列するもの嫌ですから
迷わずにパーラーに入りました。
お腹はくちいのですがコーヒーを高野で飲むのは場違いな感じですから一番シンプルな「マスクメロンのジュース」
を頼みました。グッドチョイスでした。
一昨日、顔を刺されながら入り口を木で塞いで狭めた結果、西洋ミツバチは盗密を諦めたようです。
入り口が狭いと日本みつばち側の防御がやりやすくなり、西洋ミツバチは巣の中に侵入できません。
しばらくは諦めきれずにアタックしていますが、入ろうとすれば噛み殺されてしまうから、やがて諦めるのです。
全軍玉砕なんて旧日本軍のような愚かな行動は蜂はやらないのです。
私の顔の腫れも目立たなくなりました。やれやれです。
前掲の西洋ミツバチが住み着いた、と言う記事は早とちりでした。
良く観察していたら、住み着いたのではなく、日本ミツバチの密を盗みに来ていた西洋ミツバチが、
近くの空き箱を休憩場所にしていたのです。
盗密というのは話には聞いていましたが、やられるのは初めてなので勘違いしたのです。
日本ミツバチの巣の出入り口にハチマイッターを取り付けてみましたが、隙間をすり抜けてしまいます。
今度は入り口を狭くする工作を行いましたが、そのとき西洋ミツバチの猛攻に遭いました。
日本ミツバチのおとなしい性格になれてしまい、西洋ミツバチの攻撃性の強烈さを甘く見たのが災いしました。
顔を5カ所手や腹まで数えると7~8カ所やられました。
ショック症状は起こさなかったですが、痛いし腫れてくるしで、さんざんな目に遭いました。
でも大事な日本ミツバチは守らなければならないから、巣の入り口を狭めることは完了しました。
これは入り口の広い状態。2cm位残して板で塞ぎました。