絵入り随筆 エッセィ・つぶやき

自作の油絵・水彩画、デジタル写真等を入れて、季節の移ろい、雑感などを書いていきます。

コロブリエール銀座     F

2008-01-31 00:16:14 | 海外旅行
この辺りはコロブリエール銀座とでも呼ぶべき所です。
家並みも洒落ているし、レストラン・土産物屋等が数軒並んでいて、村の中心部分です。
レストランにも入ってみたかったのですが、スイスのシモンさん達とは違い、Sergeさんは頻繁にコーヒーブレークを取る人ではないし、今日の昼食はSerge宅で戴くことになっているから、ちょっと心残りですが、レストランは素通りでした。
イタリアをほっつき歩いているとレストランやホテルを探すのは苦労します。
かなり大きな街に行かないと見つけられないのです。
フランスでは小さな村でも必ずと言って良いほどレストランとホテルは有るのです。
これは何故なんだろうと考えたのですが、フランスの方が相対的に豊かなのではないかと思いました。
フランスの田舎のレストランには良く地元の人が食事したり、コーヒーを楽しんだりしています。
イタリアの場合そんな余裕が無いのではないでしょうか? イタリアの田舎の人達は精々の所、タバスコでロト籤を買うか、立ち飲みコーヒーを楽しむ程度の楽しみで我慢しているのだろうと思いました。

村の教会    F

2008-01-30 00:02:39 | 海外旅行
コロブリエール村にも立派な教会がありました。
私とSergeさんで中に入りました。
サージさんとは他の教会にも入ったことがありますが、彼は信仰心が希薄なのか、お祈りしたりしているのを見たことはありません。
この日も日曜日でしたが、彼がミサに行った形跡はありません。
サージさんは現役の公務員だから私が彼と会うのは日曜日に限られるのですが、もう何回も会っていますが、ミサに行くから都合が悪い、なんて断られたことは一回もありません。
サージさんに限らず、私がフランスやスイスで会う人達が教会に行っている形跡は全くありません。
ヨーロッパでは不信心の人が多くなっているという感じがします。
ヨーロッパでは普く(あまねく)どんな寒村にも立派な教会がありますが、いまに維持管理が出来なくなってしまうのではないかと心配です。
教会を出たところに週末をスポーツに誘う看板がありました。教会に行くより体力作りの方が人気があるのかも知れません。



マロングラッセ    F

2008-01-29 06:04:27 | 海外旅行
資料館の前に栗製品だけを扱っている売店がありました。この村製のマロングラッセは日本にも輸出されているそうです。
栗が綺麗に剥いてあって宝石のような扱いを受けていましたが、値段も一粒が2ユーロ前後ですから日本で買うのと変わらない値段です。
味は同じなのに型の崩れたマロングラッセは一袋で2ユーロです。
一粒と一袋が同じ値段ですから私は迷わず袋入りを買いました。
栗を形を崩さずに剥くのは難しいのでしょう、マロングラッセの高いのは技術料なんですね。専門家でもこれなんですから栗剥きには王道はないようです。
強い酒の好きなSergeさんは見本のマロングラッセにも手を出しませんでした。
意地汚い私は型くずれした見本を3粒ほど試食しました。

栗の資料館    F

2008-01-28 07:13:18 | 海外旅行
栗の村ですから、栗の資料館というのがありました。入場無料です。早速入ってみました。私も栗は好きだから買ってきて栗ご飯とか栗キントンとか作るのですが、あの固い皮を剥くのに何時も苦労しています。
マロングラッセなどは渋皮まで綺麗にとって実には傷一つ付いていません。
栗の皮むきには何か秘訣があるのだろうと考えていたので、資料館には皮むきの秘訣のヒントでもあるのではないかと期待して入りました。
ところが期待はずれで、栗クリームを作る機械とか栗の歴史とか、ありきたりの展示しかありませんでした。ガッカリです。


コルク屋さん    F

2008-01-27 00:02:51 | 海外旅行
コロブリエールのコルク産業は無くなったとは言え観光土産としては生き残っていました。
コルクの木肌を残したままのものが土産として売っている店がありました。
コルクはワインの栓やコースター、床材としての薄板は見たことがありますが、木の肌を残したままの物は初めて見ました。
私が珍しいので写真に撮っていたら、この親爺さんが「あっちへ行け、写真は撮るな!」となにやらご立腹の様子です。新しいデザインのバッグやプレタポルテの衣装ならデザイン盗用防止の為に撮影禁止というのは分かりますが、土産物屋の店先を写していて文句を言われたのは初めてです。
もう写してしまったから、「ゴメンね。」と言ってその場を離れましたが、おかしな親爺さんでした。でもコルクが木の皮である事が確認できたのは収穫でした。


石橋    F

2008-01-26 01:14:21 | 海外旅行
コロブリエールの入口はこの石橋です。200年ほど前に建造された橋ですが、未だに現役でビクともしていません。
石橋を渡ってコロブリエールのメインストリートに出ます。
小さな村の事ですから、このメインストリートには土産物屋、レストラン、雑貨屋などがチラホラあるだけで人通りも疎らで落ち着いた村です。
この村で栗の収穫祭があるときには3000人もの人が訪れるというのですから、さぞや賑やかなことでしょう。私はちょっと早過ぎてお祭りには行き会えませんでした。次回には祭りに合わせた旅程を組みたいものです。
村の中には栗の木は見あたりませんでした。あるのは樹齢が百年にもなると思われると思われるプラタナスの並木です。写真にあるプラタナスの切り株を見ていただければその大きさが分かると思います。


コロブリエール村入口     F

2008-01-25 00:04:26 | 絵画
コロブリエール村の入口看板です。
フランスは人間も個人主義ですが、地方の村も町も独立心が旺盛ですから村の特色を出そうと色々工夫しています。
何かというと国や県に頼ろうと考える何処かの国の村長さん達とは発想が違うのです。
コロブリエール村は以前はコルクの産地で栄えていたのですが、スペインなどの安いコルクに押されて、村は衰退していたのです。村の外から移住してきた女性が、この村にある栗の木に目を付けてこれを村の産業の目玉にしようとハッスルしたのです。今では栗の村として名を馳せ、村の衰退は食い止められたのです。
それを誇らしげに村の入口に掲げているという訳です。



サイクリング     F

2008-01-24 06:12:54 | 海外旅行
ツール・ド・フランスの影響なのかフランス人にはサイクリング愛好者が多いようです。愛好者が多いからツール・ド・フランスが隆盛なのかも知れませんが。
この日もコロブリエールに向かう途中で何組ものサイクリストに会いました。
何処の国でも趣味には金を惜しまないとみえ、自転車はピカピカだし、着ているものもお洒落に決めています。グループでのツアリングが多いけど、ご年輩の方の単独行もいました。フランスは平坦な道が多いですが、それでも自転車ではきつい道もあります。追い抜いていく車は自転車に敬意を表して、自転車からの間隔を開けて徐行するのがエチケットのようです。



ツーロンの街    F

2008-01-23 09:01:18 | 海外旅行
今日はムッシュー・サージの車でコロブにエールに案内してくれるようお願いしてあった。Sergeさんは「何でコロブにエールなんだ?」と不可解な顔つきをしていたが、NHK・TVで「フランスの美しい村」という番組がありそこで紹介されていた村なのだ。栗で村興しをしたところで、栗の収穫時期にはお祭りがあって賑やかなのだが、サージさんが調べたら、祭りは未だ始まっていないとのことだ。
コロブリエールはツーロンの北25kmの所にある。ツーロンの街を通って行くことになる。ツーロンはフランス第1の軍港でフランス海軍の本拠地になっている。
以前来たときには空母などの軍艦が停泊しているのが見えた。今回は港には行かず通過のみ。
サージさんの車にもカーナビゲーションがあった。彼は車を降りるときには必ずナビを外して見えないところに格納していた。この辺りの治安もあまり良いとは言えないようだ。


ラ・シオタの朝焼け         F

2008-01-22 06:04:23 | 海外旅行
ホテルロゼティのベランダから見たラ・シオタ湾の朝焼けです。この分なら今日も良い天気に恵まれそうです。
9時にサージさんが迎えに来てくれる事になっているので、少し早めに下に降りて、レストランでコーヒーを飲んで待っていたら、可愛いお客さんがいました。お父さんに写真を撮って良いか聞いてから写しました。しっかりカメラ目線でポーズしてくれました。なかなかの役者さんです。


ラ・シオタの海岸    F

2008-01-21 00:03:42 | 絵画
西の空の雲の筋が綺麗でした。
あの雲のずっと先にはスペイン更にはポルトガルがあるんだなぁ!なんて詰まらない感慨に耽ったりも出来ます。
海岸は歩きやすく清掃も行き届いているし、湘南海岸みたいに人も多くないからゆったりした気分で散策できます。
コートダジュールの海岸に沿った山は石灰岩が多いから、砂浜は白い砂で青い空とのマッチも良いです。
石碑があって人物が2名彫られているけど、誰で何をした人なのか碑文が読めないから分かりません。前に来たときには気付かなかったから最近建立された物なのかも知れません。
旅も終わりに近くなり少し感傷的になっているのかも知れないです。あと2泊を残すのみになっていますから・・・・


特大ピザ    F

2008-01-20 00:02:26 | 海外旅行
今夜の夕食はピザにした。ロゼティの並びにピザ屋があり店でも食べられるがテイクアウトも出来るので、ロゼティに泊まったときには一回は此処のピザを食べている。直径35cm程はある大きなピザで我々には二人でも一個は食べきれないサイズだが、店で食べている人は誰でも一人で一枚は平らげている。私は以前スモールサイズを頼んだら、「うちの店ではこのサイズだけだよ。」と言われてしまった。マルガリータにオイルサーデンなど好きな物をトッピングしても800円位だからサラダを追加しても1000円もあればおつりが来る。ワインはスイスで貰った物が未だ3本残っているから、これで今夜の夕食は決まり。宿のテラスで夜の海を眺めながらの夕食はレストランでの高価な晩餐に負けない満ち足りたものになった。


Hotel Rose The    F

2008-01-19 11:19:10 | 絵画
ホテル・ロゼ・ティはサージさんの同僚の親戚がやっている宿で、私は此処も10年来の定宿になっている。ラ・シオタの街は港が中心だが、近年ビーチが開発されてきて、海水浴客も増えてきている。
ロゼティもその波に乗ってか、内部の改装をして料金が倍以上になってしまった。私は今までは一番良い部屋を取っていたがそこにはジャグジーバスなどが入って一泊2万円以上と言うことになっていた。仕方なく3階のもっと安い部屋にしたがそれでも一万円以上になっている。私はリゾート化の被害者です。
部屋のベランダから昨年まで泊まっていた階下のベランダを見下ろしたら階下の宿泊者がベランダに設置されたジャグジーバスにアベックで入浴中でした。向こうさんも気付いて手を振って挨拶してくれました。水着を着ての入浴とはいえ、写真を撮るのは憚られたから、入浴風景はお見せできません。


中華飯店「香港」    F

2008-01-18 00:13:37 | 海外旅行
この路地に去年まで中華飯店「香港」がありました。
私はもう10年来のお得意さんで、行くと大歓迎してくれていたのですが、今回行ったら店仕舞いしていました。
前回行ったときにマダムが配膳からコックまで全部やっていたので、「ご亭主はどうしたの?」と聞いたら、あっけらかんとした言い方で「別れた」と言うのです。この店はベトナム人の夫婦で切り盛りしていたのに一人では大変だと思いました。
小学生くらいの子供が3人いて、店を手伝っては居ましたが、料理がでるまで30分以上掛かり、味の方も思いなしか落ちたように感じました。
これでは客離れしてしまうな!と思っていたら、案の定の店仕舞いでした。
マダム達はベトナム戦争を逃れて、子供の頃フランスに来たのですが、今頃何処で何をしているのか心配です。
何せ、10年来のお付き合いで、行く度に色々と長話して居たから他人事とは思えません。

フランスは旧植民地の国民は無条件で移民として受け入れていますから彼女たちも容易にフランスに入れたのでしょう。
旧宗主国の責任を果たしているのでしょうが、黒人には悪いのが多く差別の原因になっているようです。差別と悪事とはどちらが卵でどちらがニワトリか因果関係は分かりませんが、何れにしても悪循環が起こっているようです。
私は黒人より中東の人にパリで怖い思いをさせられたことがあります。

「香港」のマダムと子供達がフランスの何処かで平穏に暮らしていることを祈ります。



ラ・シオタ港     F

2008-01-17 00:02:36 | 海外旅行
ラ・シオタの港には漁船とヨット、プレジャーボートが仲良く同居している。
構内の水は澄んでいて、魚の影も見える。
港に面してレストランが並んでいて、魚貝類の料理がメインになって居る。
昼はカマルグで済ませたし、夕飯に此処まで来るのはちょっとしんどい。
港から今夜の宿までは2kmくらい有り夕飯にはのワインくらい飲みたいから車で来るという訳にはいかないからだ。
近くにはカジノもあって立派な玄関の構えと入口にはフォーマルスーツを着こなしたドアマンが控えている。
二年ほど前だが、私はスニーカーにジーンズというスタイルだから気後れしたが、恐る恐るドアマンに入って良いか?と聞いたら、「ノンプログレム・問題ないよ。」と言う意外な答えだった。カジノと言うところは正装した男女の遊び場と思いこんでいたからだ。
そこで入ってみたらご老体のたまり場になっていて、カジノのゴージャスな雰囲気ではなかった。
日本のパチンコ屋とあまり変わりない雰囲気だった。パチンコ屋の軍艦マーチは響いては居なかったが・・・・
港の入口に造船所のクレーンが見える。二艘ほど建造中だった。