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絵入り随筆 エッセィ・つぶやき

自作の油絵・水彩画、デジタル写真等を入れて、季節の移ろい、雑感などを書いていきます。

杉戸宿 ⑤ 抽象画風な模様の戸板

2008-04-16 00:01:27 | 絵画
この家は看板もないし戸を立てていて中の様子も分からない。コメントを書くには全く手がかりのない家です。でも閉め切っている戸板と脇にある門扉にご注目下さい。
杉板は枯れきっていて、長年の風雪により見事に時間の経過を物語っています。
これがカラートタンやアルミサッシではこの味は出ません。
杉板は年輪の木目を浮き上がらせ、シミで黒ずんだり雨に曝されて白っちゃけたりして深遠な抽象絵画のような模様を見せてくれています。狩野派の絵師でもこの表情を描ききることは出来ないでしょう。
戸板は風雪を防ぐ役割の他に長い年月の間には急病人や怪我人を運ぶ担架の役割をしたこともあるかも知れません。
そんな目でこの家を眺めていると見飽きることは有りませんでした。


4月17日 朝日新聞朝刊東埼玉版に「日光街道の古い家シリーズ」に関しての記事が掲載される予定です。該当地域にお住まいで朝日を購読されている方はご覧いただければ幸いです。
このブログにも転載する予定です。

杉戸宿 ④ 読めない看板の家

2008-04-15 00:01:59 | 絵画
この家の向かって右側にある建物は車庫なのかお店だったのか判然としません。
屋根に乗っている看板の文字も判読できないほどですから、商売はかなり前からやっていないのだと思われます。
母屋の方には手を加えていないから、古屋の面影はそのままです。
大抵の場合、手が加えられてしまっているから古い造りの良さが失われてしまうのにこの家は横に増築して古い方をそのまま残していてくれているから私には良い画材になってくれました。ここの持ち主も古いものへの哀惜の情を持った方なのでしょう。

杉戸宿 ③ 関口酒造

2008-04-14 00:00:58 | 絵画
関口酒造はいかにも旧家の造り酒屋という風格です。
屋根付きの白い土塀を廻らせているのも造り酒屋の矜持といった物を感じます。
ここで造っている酒の銘柄は「杉戸鶴」という言うらしいです。
これを描いたのは秋だったから杉の葉で丸く作った「新酒出来ました」のサインは出ていませんが、ぶらさげて直ぐの杉のサインシンボルは瑞々しいみどり色で、少し日にちが経つと茶色に変色します。
どちらの色も絵心を誘われる季節の風物詩といったところです。
関口酒造も角度を変えて二枚描きました。

杉戸宿 ②  蔵のある家

2008-04-13 00:36:08 | 絵画
この家は古い日光街道の右カーブ地点外側にに建っています。よくぞ暴走トラックなどに飛び込まれずに無事でいてくれたものです。蔵の前には大きな矢印標識があるのも飛び込み防止に役立っているのでしょう。
この家は杉戸宿の中では一番北にありカーブ地点なので私も前から気付いていて、かねてから描きたいな、と思っていました。
蔵の扉が開かれています。描いた時期が秋の晴天の日だったから、持ち主が空気の入れ換えをしているのでしょう。
きっと蔵の中には大切な物がしまわれているに違い有りません。
天候の具合を見定めて、いつもこうして換気をし、格納物の保存に気を配っているのでしょう。持ち主の古い物への愛着が伝わってきます。
蔵の前には木製の衝立を配しているのも、良い感じです。無骨な鉄柵では興をそがれますからね。



杉戸宿 ① 白壁の家

2008-04-12 07:05:41 | 絵画
杉戸宿には割としっかり保存されている家が多かったです。
この白壁の家は壁が真っ白に塗り替えられていて、どっしりとその存在感を主張していました。描いている内に気付いたのですが、外見は綺麗になっていても屋台骨はかなり痛んでいるらしく、屋根が僅かに波打っています。梁や垂木が瓦の重量に耐えかねて悲鳴を上げているのです。
構造部分を取り替えたり補修するためには大がかりな工事が必要です。所有者個人では対応しきれないと思います。
この家も早晩姿を消す運命かと思うと寂しいです。
同じ家を角度を変えて描きました。


粕壁宿 ⑥ 長嶋商店

2008-04-11 00:03:04 | 絵画
長嶋商店もロビンソンの通りにあり、「粕壁宿①道標のある家」と少し離れていますが、同じ並びです。
この家も道路拡張でセットバックした折りに丁寧に補修されていて、古い建築手法そのままに再現されています。
道路拡張に伴う移築の費用の補助だけではこうした補修は不可能ですから、持ち主が多額の持ち出しをして工事したものでしょう。
長嶋商店の経営者がそれだけの支出に耐える財力があったのと、古い建物を慈しむ気持ちが有ったからこそこの家が現存しているわけです。
たいていの場合、道路拡張を機会に古い建物を取り壊して、鉄筋の高層建物にするのが普通です。ここは商業地域で前面道路も広いから10階建てのビルくらいは建てられる場所です。貸しビルにすれば建設費くらい直ぐに回収できるわけです。
そうゆう経済的利益を放棄して古い建物を維持している長嶋商店と道標のある家の持ち主に喝采を送ります。

粕壁宿 ⑤ 蔵のギャラリー

2008-04-10 06:15:01 | 絵画
蔵をギャラリーに転用して居ます。私が行ったときには休業日のようで扉が閉まっていました。
屋根には蔦が覆っているし、入り口付近には雑多な物が置かれていて、客を誘う雰囲気ではないのですが、それはきっと店主が斜に構えてギャラリーの売りにしているのかも知れません。
外見は見栄えがしませんが、内部は綺麗に内装されていてライティングも蔵の遮光性をうまく使って良い雰囲気の会場になっているのではないかな?なんて期待しているのです。
私の想像通りなら、この日光街道の古い建物のシリーズの個展をやらせて貰っても良いし・・・
そのうち再訪してみたいと思っているのですが、近くにはコインパーキンングも無いから、ちょっと離れたロビンソンの駐車場に置きに行かなくてはならないので億劫にしています。

粕壁宿 ④ 大谷石の倉庫

2008-04-09 00:02:15 | 絵画
この倉庫ははんこ屋の向かい、むくり屋根の家の並びにあります。
大谷石で頑丈に作られていて、扉の作りは蔵造りと同じく厚くて階段状に刻みがあり壁としっかり密着する造りです。
こんな堅固な倉庫に何が入れられていたのでしょう。
米、生糸、などの大事なものだったのでしょうか。
旧家にある蔵なら、祖先伝来の文書とか婚礼などに使う什器、書画骨董の類が考えられますが、これはそうゆうものではなく商売に使われていたと思われます。
何が入っていたんでしょうね。

「言葉は神なりき。」

2008-04-08 10:26:06 | Weblog
今朝(4/8)の朝日新聞のコラムに「我が意を得たり」という記事があったので転載します。
天野祐吉さんが毎週火曜日に連載している「CM天気図」というコラムです。
「後期高齢者」という言葉について語っています。私もこの言葉の無神経さについて前に此処で書いていますが、私の言いたかったことを軽妙な筆致で書いてくれています。
福田首相の鶴の一声で、「後期高齢者」を「長寿」と言い換えるとの事ですが、福田首相はこの法律制定時は気付かず、法案を提出した厚生労働大臣も、お役人が起案した文面をそのまま国会に提案しているわけだし、野党の議員も取材資料とうして法案を見ているはずのマスコミ関係者も見過ごしていた「後期高齢者」を、保険証をを受け取って初めて知った後期高齢者たちが騒ぎ出してから、やっと気が付いたというのは、関係する人たちすべてが、言葉不感症になっていたと言わざるを得ません。
法律で決まってしまったから、「長寿」と言い換えるのは通称として使うだけで、
保険証もおそらくそのままになるのでしょう。
「初めに言葉ありき、言葉は神なりき、、、」と聖書にあるのはキリストさんも言葉の重要さをしっかり認識していたからです。2000年経っても未だ分からない人が多いのはどうしたことでしょう。

粕壁宿 ③ むくり屋根の家

2008-04-08 00:02:31 | 絵画
この家は玄関が母屋から一段せり出していてその部分がむくり屋根になっています。
私が戦前住んでいた家もこんな形でした。
こうゆうスタイルの家は昭和の初期に流行った形式だと思います。
屋根をこんもりしたむくり構造にすると優しい暖かな感じになります。直線に裁たれている材木でカーブを作るのは手間が掛かるから母屋の屋根は切り妻か寄せ棟の直線で作られています。
寺院の屋根などには逆に反り返らせたカーブを保たせていますがそり屋根だと威厳を備えた外観が得られるようです。
人間も腰の低い人はむくり屋根の感じだし、ふんぞり返って居る人はそり屋根の感じになるようです。
この家は通りに面した塀も木造なので、むくり屋根と相俟って柔らかい雰囲気です。
今様の家は能率一辺倒で造られるから直線と新建材、ブロック塀とこの家に比べると暖かさがあまり無くなっているのは残念なことです。

粕壁宿 ② はんこ屋

2008-04-07 00:05:28 | 絵画
ロビンソンの通りから小さな川を渡った所に古い家が3軒有ります。
川の手前には両側にかなり痛んだ家が向かい合わせて有ったのですが、描きに行ったときにはすでに取り壊されて整地作業の最中でした。もう一ヶ月も早かったら描けたのにと悔やまれました。
このはんこ屋さん、二階の屋根になにやら唐草模様のものが渡してあります。飾りなのか、雪の滑り止めなのか不明ですが、古屋に風格を添えているのは確かです。

粕壁(春日部)宿 ① 道標のある家

2008-04-06 00:04:32 | 絵画
春日部は以前は粕壁と書いていました。
土地の表記には歴史が有るのだからお役人が勝手に変更するのは僭越なことだと思うのですが、今では地図にも駅名にも春日部が使われてしまっているから、粕壁といっても分からない人が多くなってしまいました。
この家の前には日光街道の道標が立っています。
ロビンソン百貨店前の通りにあるのですが、この通りは最近路幅が拡張されたから、この家は以前建っていた場所からセットバックさせたものだと思われます。
移築の際に綺麗に化粧直ししたのか、何処にも痛んだ箇所は見あたりません。
こうした手入れがなされていれば後200~300年は保ってくれることでしょう。

越谷宿 ⑮ 米長乾物店

2008-04-05 01:23:56 | 絵画
乾物屋も米屋も昔から有る商売です。
私の子供の頃、乾物屋の店先には一番目立つ場所に鰹節、昆布、数の子などが並んでいました。今のようにパックされたものではなく、剥きだしで売られていました。
数の子はカチカチに乾燥されたもので、買ってきてから3日くらい水に浸けて戻してから調理したのです。私は昔の味が懐かしく、乾燥数の子を買いたいと思うのですが、見つけることは出来ません。
この米長さんにもおそらく置いていないことでしょう。
米屋の商売も昔とは様変わりしています。
米食を日に三食食べる人の減少とスパーなど扱い店舗の多様化で何処の米屋も売り上げは減少し経営は行き詰まっているようです。
第二次大戦中の米の配給制度は、顧客の登録制度になっていて、米屋は競争原理がはたらかず、登録制度にあぐらをかいて居れば一定の販売量が確保できたから、顧客サービスなど考える必要は無かったのです。政府から配給された米しか売ることは出来なかったから、努力しても販売量を増やし商圏を拡大すると言うことも出来なかったという事情もあります。
米の生産農家も作れば政府が全量買い上げてくれるから、品質はどうでも良く収穫量の多い米の生産に励んだから、美味しい米を安く提供する、などと言うことには無関心でいても良かったのです。
生産者と販売者双方とも米の配給制度に頼り切っていた付けが、消費者の米離れという結果を招いてしまったということも出来ます。

越谷宿 ⑭ 万屋・

2008-04-04 00:02:09 | 絵画
越谷市は今では東京のベットタウンとして新しい流入人口が増えて都市化していますが、「草加・越谷千住の先よ・・・♪」と謡われて居るように江戸から見たら田舎だったわけですから越谷宿のお店も近在の農家相手の万屋(よろずや)が多かったのでしょう。
その名残で古い家の商売は万屋そのままの業態で今日に至っている店が多いのだと思います。万屋という言葉も今では落語か歌舞伎の世界に生き残っているくらいで雑貨屋と言う言い方に変わっていますが、「雑」という字面はどうも良い語感ではありません。
雑草、雑談、雑事、etc・・・どうでも良いという意味合いが強いのです。
「万(よろず)屋」なら百貨店より百倍も扱い品目が多いわけですから、この方が耳障りが良いです。
雑貨屋も税務署あたりの業種分類で造られた言葉のような気がします。お上が商人を見下しているような言葉ですからね。(勘ぐり過ぎかなぁ?)


越谷宿 ⑬ 横田診療所

2008-04-03 06:04:41 | 絵画
横田診療所は大正か昭和の初期の建物だと思われますが、味のある建築なので掲載しました。
お医者さんにはお金持ちが多いから、現代風の医院に建て替える事は可能だと思われますが、この古風な建物で診療を続けて居るのには好感が持てます。
きっと好々爺という感じの先生が丁寧な診察をしてくれるのではないかな?なんて思わせる雰囲気です。
建物は古びていても、一歩診療所に入ると、最新の医療機器と日本風な美人看護婦さんが患者を迎えてくれるのではないかな?なんて空想の輪は際限なく広がってきます。
院長先生はこの建物を慈しんで居るのでしょう。何時までもこのまま診療所を続けて欲しいものです。