旅がらすな日々

上州にふるさとを見つけ10年余。世界を走り回りたいけど他にもやりたいこといろいろ。ラン日記のはずが走らない言い訳日記

11月28日 ピースボート

2017-12-01 08:44:59 | 社会科

初出航は1983年

子育て真っ最中で、一番カネもヒマもないころだったから

って今も、全然ないけど

夢のまた夢で、いつのまにか、

カネもヒマもある富裕層のモノじゃんって思うようになってた

今も、乗れるような状況じゃないです 乗るってハナシじゃなくて

このごろ、安倍政権のすることに反対する集会や、

ICANのノーベル平和賞受賞のスピーチで、

ピースボートってすごく良い活動をしてるんだな、と感動

今日はその共同代表の講演を聞くことができた

ピースボートのそもそもの発端が、1982年の「教科書問題」で

戦争についての記述がガラリと変わったことだそうな

実際にアジアの国々を回って、日本軍の被害にあった人たちの声を聞いて

ほんとうのことを知ろう、と始まった

体制の違う、対立していた国は双方を(国交のなかった国も)訪問して、

ホームステイなどで生活レベルの交流をしたり

先住民族や、迫害されている人たちと交流したり、

有名観光地や世界遺産も「環境」という視点を考えながら訪問したり

幅広い体験のできる大航海を続けてもうすぐ100回

あるとき訪問先で

「みなさんにもう何回も、同じ話をしてきました。

私たちの話を聞いて、みなさんは何かしてくれたのですか?」と問われ

交流するだけではなく、日本で、行動を起こすことが大事だと思い

平和や人権や環境のことで活動してきたそうだ

今日の講演で、いろいろ印象に残ったけどとくに

「日本の常識=世界の(特にアジアの)非常識」

戦争の「加害」のいろいろ(従軍慰安婦や大虐殺)をなかったことにしたり、

戦時下の体制に近づいたりするこのごろだけど

原爆投下をしたアメリカと置き換えたらどう思うか

ナチスとドイツのことと比べたら、どうなのか

日本でメディアが大騒ぎしている朝鮮のミサイルや拉致問題を

アジアのほかの国々はどう見ているか

世界の船旅でそういうことがいろいろ実感できる

アジアと日本の歴史認識のギャップでは、「戦後」とは何かということも大きい

アジアの戦後は1945年ではなく、その後も米ソの対立の戦場にされ

植民地支配や軍事政権、独裁政権が続き

1980年代にやっと自分たちの力で民主化し、平和が訪れた国がほとんど

アジアがそうだけど、国内でも沖縄はそうですよね

今までも、今も、「日本国憲法」の範囲外にされている

全土の0.6%の土地に、米軍基地の74%が集中し、

日米地位協定のため、憲法」でまもられるはずの権利が守られていない

だから

「憲法を守るだけではダメで、切り捨ててきたモノを勝ち取るたたかいを」

アジアや世界を見てきたピースボートならではの講演でした。

国会前で拳を振り上げて叫んでも、なかなかそれ以上広がらないけど

ピースボートに乗る人たち大部分の動機は

格安で豪華客船に乗って、世界の珍しい所に行けるということ

そういう、好奇心旺盛だけどとくに政治的関心のなかった人に

いろいろな体験を提供して考えてもらうきっかけを作る

そこがまたすごいと思う。

旅が本業の旅がらすは、本当はそういう旅がしたい

世界に飛び出しても、原発の回りをうろちょろしても

走り回るだけだと外から見えるだけしかわからない

やっぱり、乗ってみたいなあ