旅がらすな日々

上州にふるさとを見つけ10年余。世界を走り回りたいけど他にもやりたいこといろいろ。ラン日記のはずが走らない言い訳日記

1月17日 あの日、なのですよね

2019-01-18 08:53:38 | ドタバタ

関東にとっては、その後、東日本大震災と原発事故がおきて

生活にも心にも影響が大きいので

だんだん風化しがちだけど、忘れてはいけないし、忘れることもできない

亡くなられた数千人の方々のご冥福をお祈りします

その直前の連休に、青春18の残りで六甲全縦にでも行こうかと思ってた

夜行に乗りそこない、結局名古屋周辺の徘徊に変更だったけど

帰りの電車が東京に着く前に止まって、大地震だと聞いた

仕事先に着いたら、「神戸が火の海だよ」と大騒ぎ

神戸に知人がたくさんいるけど大丈夫か?

夜、その知人たちが共通するグループの新年会があり

誰それの住む町は全滅だ、誰それの街では市営住宅が全壊

心配が強まる情報ばかり

いてもたってもいられない

次の週末に、100マイルのマリリンが長居公園で時間走を予定していて

どうするのと聞いたら「こんな時だからこそ開く、復興支援チャリティーで」

というので手伝いに飛んで行って、

神戸から脱出してきた人たちにもナマで会って

ますますいてもたってもいられず

仕事の忙しい時に上司と大喧嘩して1週間休みを取って

ボランティアに行ってきた

その後、組合がボランティア派遣を始め

職場にもボランティア休暇や、復興支援派遣が制度化されて

落ち着いてもうちょっと待てば、

業務を生かしたもっと有効な活動ができたのかもしれない

ボランティア先の避難所は小学校で、なんとか授業を再開していた

たくさんの子どもたちが、みかけは元気に遊びまわっていたけど

家が焼けたり崩れたり、身内が亡くなったり

あの子たちももう30代なんだな~

当時うちの娘が小6で、今はその娘の子が中学生だから。

2007年に列島縦断をしたとき、ボランティアに行った街を通ってみた

市営住宅も学校も建て直され、道路が改修され

すっかりきれいな新しい街になっても

学校にはメモリアルの碑があった

しかし、走友兄やんは、地元神戸で大震災にあって

転勤で関東に来て東日本大震災にあって

よほど心掛けが悪いのかな