なんでもない毎日。

それなりに楽しい日々。

ぐるり城廻

2009年12月05日 | 伊達な旅
本日、外出する用事があったので、思い切ってついでに城廻もしてきました。
思い切らないと外出しない出不精な人なもので…(笑)

まずは高倉城跡。



郡山市史の郡山合戦図において、伊達政宗本陣となっているのが高倉館でした。
どの小説だったか、殿は本宮城にいて行水中に合戦の火蓋が切られた事を知り、間に合わないので先に伊東肥前を向かわせた、ってカンジに書かれていたので、てっきり殿は本宮城にいたのかと思ってたの。
でも、本宮城だと流石に戦の音(鉄砲だよね多分)は聞こえなさそうだよな…と疑問に思っていたのですが、高倉城にいたのならこの疑問は解決です。

本日は1人で訪れたので、高倉城跡の周囲をぐるりと1周しただけでしたが、高倉城登山口がある山清寺の位置を確認してきました。
次は相方を誘って登ってみようっと!


次に訪れたのは安子島城跡。



郡山市史の年表では
天正17年(1589)5月4日
伊達政宗、蘆名義広の臣安子島治部少輔を安子島に攻め落とす

とありました。



石碑が立っているのですけど、49号線から磐越西線を挟んですぐの所だったんですね、知らなかった。
49号線から向かうと石碑のある辺りは道路と同じ高さにあって、なんでこんなところに城跡?って思いそうですが、県道8号線から向かうと城跡に向かって登りになるんです。
(49号線も郡山市内から磐梯熱海方面へ走ると、安子島直前で大きくアップダウンする場所があるんだけどね。)
県道8号線から安子島の集落を見ると、安子島城もこんな風にあったのかなって思うと共に、こっちの道が昔の道だったんだろうなって事も思いました。


最後に訪れたのは片平城跡。



愛宕神社のある辺りとは調べたのですが、持参した地図では良く分からず、この山かも…と当たりをつけて周囲を走っていたら、ビンゴ!



山ノ井公園と王宮伊豆神社のある道沿いを走っていて発見。



この片平城は郡山市史の年表では
天正17年(1589)10月22日
伊達政宗、黒川をたち片平に陣す

とあったので、多分片平城じゃないかな?と思って。
蘆名氏を滅ぼした後、須賀川の二階堂氏を滅ぼした、その際に殿は片平に寄っているみたい。
伊達政宗コンチクショー祭り(相方命名)こと「松明あかし」が始まるきっかけになった戦いです。
福島県は殿にとってアウェーな土地なんだよな…(笑)

城跡まで案内がもう1箇所あるので迷わずに行けましたが、城跡入口が民家の脇にあって…2軒あったのですが両方にわんこがいてめっさ吠えられた(苦笑)
さらに住人の方だと思うけど車が停まっていたから、チキンな私はあっさりと退散。
手前に空き地っぽい所があったような気がするから、そこに車を置いて歩いた方がいいかも…道が狭くて路駐はムリだし。
なんなら山ノ井公園の駐車場に停めてもいいし。
ここも相方を誘って行ってみようっと。

ちなみに近くにある山ノ井公園、万葉集の「安積香山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに」にある"山の井"がある場所です。
でもこの安積山、こことは別に高倉城跡近く、日和田町に安積山公園ってのもあって、一体どっちなんだと(笑)
松尾芭蕉と曽良も困ってるじゃない。


郡山市史だけじゃなくて、他の地域の史料を見れば、もっと殿の足跡がわかるんだろうな。
…と踏み入れてはいけないゾーンにちょっとだけ足を踏み込んでしまった気分。
今回は高玉城跡はパスしたので、もっと知識を増やしてから再訪しようと思います。
いやホント、思いつきで訪れたので行き当たりばったりで、ナビを持っていかなかくて、見ていた地図が1:100,000(笑)
よくたどり着けたわ…。

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