なんでもない毎日。

それなりに楽しい日々。

「"天地人"ふくしまの関ヶ原」展

2009年12月21日 | 外出
昨日の日曜日、相方と友人と3人で福島県歴史資料館で開催されていた「"天地人"ふくしまの関ヶ原」展を見に行ってきました。

印象に残ったのは
・最上義光の書状
・伊達政宗の書状
・片倉小十郎の書状
が一挙に見られたこと!
写真でもいいのよ、文字を見ることが出来るんだから。
輝パパの書状というのをきちんと見たことがないんだけど、殿のお手紙の書き方って最上の伯父様とお母さんの保春院様と、とても似ているような気がするの。
こう、本文を書いた後に、余白に「あ、えっとね、後ね~」ってな具合に追伸を書くの(笑)
長文の手紙のラストにそれがあると、内容は全く読めないんだけど、なんだか微笑ましいのです。
えぇ、たとえ小手森城での撫で斬り自慢のお手紙だとしても。
そして小十郎の字はやはり誠実さが滲み出ていていいわ~。

兼続の文字が面白いという感想を目にした事があったので、今年の始め頃だったかに1度訪れた際に全然見なかった(←ヲイ)ので、今回はちゃんと見てきました。
確かになんだか愉快な字でした…上手ではないよね(笑)
見る前の予想として、
1.イカ墨で書いている
2.イカの触手で書いている
3.のしイカに書いている
だったんだけど、実際に見て2番かな?って。
そうだとすると、でもイカの触手って1本は…ゲフン。
ちなみにここには展示されてなかったけど、景勝の文字の印象は斜めってる。

書状をたくさんたくさん見た事がある訳では勿論無いので、数通見ただけの勝手な印象なんだけどね。


神指城が戦に備えた城では無い事。
3ヵ年だか5カ年計画で築城されていたらしいです。
皮籠原防塁が上杉時代に築かれたという証拠が無い事。
防塁ではあるみたいだけど、対源頼朝、対徳川家康、戊辰戦争のどこで築かれたのかをまずは調べないとって。
上杉家と徳川家の仲は結構良好だった事。
景勝はバカじゃないって事。
これは徳川の世になって、徳川と戦った事に景勝は関係ないですよ、悪いのは全てを仕切っていた兼続なんですよ、って繕っちゃった事が元凶の始まりだとか。
鷹山公によって兼続は名誉回復されたけど、景勝の名誉は回復されないまま現在に至るって事なのね…。
不憫ね。

色々解説を聞いた中でとても興味を覚えたのが、関ヶ原合戦の際に兼続は白河には居なかったという事。
書状を丹念に調べていくと「白河から注進がある」って内容のがあるんだって。
兼続が白河にいたなら注進する必要がないものね。
では兼続はどこへいたのか?
それが今年になって、もしかすると「安子島城」にいたのかもって説が出てきたのだとか。
安子島城は蒲生さんの時代までは使用されているのが分かっていたけれど、それ以降には使用されて無いと思われていたのです。
「武者たちの舞台」でも蒲生時代の後に破却されたらしいとあるくらいなので。
それなのに発掘をしたら上杉時代の遺物も出土していたのだそう。
そして米沢へ使者を出す為の伝馬札(だったかな?)に"安子島"と記載があるものがあって、なぜ"安子島"なのか長年の謎だったそう。
それが兼続が安子島城にいて、白河方面や福島方面に指令を発しているとすると謎が解けるらしいです。
確定に至るまではちょっと解決しないといけない問題もあるようですが…。
で、そうなるとこの安子島城が上杉時代に城代が配された謎の「浅香城」である可能性が高いと。
根拠は無いけれど、漠然と浅香城は守山城とかかなぁと思ってたのに、まさか安子島城だとは!
研究が進んで安子島城=浅香城、そして安子島城に兼続がいた、ってのが定説となると面白いですね。

北の関ヶ原合戦において東国大名達の二股外交っぷりや、刻々と変わる中央の情勢に右往左往する様とか、ドラマでは完全に無視された辺りの解説もありました。
今の時代なら情報は瞬時に世界を駆け巡るけど、この時代はどうしてもタイムラグが発生しちゃう。
いかに正確で鮮度の高い情報を入手できるかが重要だったのかが理解できました。
兼続が、家康が小山から江戸へ引き返した事を、家康が江戸に到着した日になっても知らなかったって事、これは流石にちょっと可哀想に思ったよ。


今回の展示の解説をされた方は、2月に訪れた際にも楽しい解説をして下さった方。
ドラマがドラマだったから今回の展示を見に行くかどうか迷ってたのですが、解説が面白いだろうと思って訪れて正解でした。
「今年の汚れ、今年のうちに」って事でリハビリも兼ねていたのですが、いつか軍記物に惑わされない景勝・兼続主従を書いた小説とか出るといいなと思いました。
需要があるかは分からないけど…(苦笑)

「"天地人"ふくしまの関ヶ原」展オススメです!と言いたい所ですが、昨日が最終日だったんです。
興味深い展示に、面白い解説が付いて、それでも入場無料な福島県歴史資料館。
近くにあるならもうちょっと頻繁に訪れる事が出来るのに。
そこだけがいつも残念に感じるのです。

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1 コメント

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嬉しい記事でした (hiro)
2012-03-02 00:20:04
おじゃまします。
歴史資料館をキーワードにネットサーフィンしていたら、こちらにたどり着きました。
このときに解説をさせていただいた者です。
2回もお越し頂きありがとうございました。
ドラマが「あまりにも」という内容だったので、できるだけ史実に迫ろうと思ってあんな企画を組んでみました。いい想い出です。
震災の影響で、あのような企画はしばらく組めませんが、いつかまた視点を変えたテーマを考えたいと思っています。
とても励みになる記事でした。ありがとうございました。よろしければ拙blogもご覧いただければ幸いです。
ちなみに、兼続の字は、真面目に書かれたものは結構キレイです。関ヶ原の頃は、気が立っていたせいか(あるいは忙しすぎたせいか)、かなり凄まじい字体になってますね(笑)
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