なんでもない毎日。

それなりに楽しい日々。

遠山覚範寺跡

2008年09月21日 | 伊達な旅
遠山覚範禅寺跡
天正14(1586)年、伊達政宗の父・輝宗の菩提を弔うため、この地に造営した。
真東に米沢城、西北に輝宗の隠居した舘山城がよく望める適地である。
夏刈の資福寺から虎哉和尚を招いて開山とした。
輝宗に殉死した遠藤基信ら3人の牌所も境内に設けられた。
天正19年、政宗の移封に従って岩出山に移り、慶長年間、仙台の北山に移転し現在に至る。
米沢に残された堂宇は伊達氏のあとに米沢を支配した蒲生時代、取り壊されたか焼失したものと思われる。

(案内看板より)


行き方は、県道245号線にある西明寺の案内板をたどって山の方へ向かい、突き当たり(のように思える)の所で西明寺は左折するのですが、覚範寺跡へは真っ直ぐ舗装されていない道へ入り、両脇にリンゴ畑を見ながら少し登ると、行き止まりの場所に案内板があります。
駐車場は無いのですが、ちょっとしたスペースがある(行った時は堆肥の山があった)ので、そこへ車を停めました。











遠山覚範寺跡は遠山町の西明寺の付近、とまでは分かったのですが、現地へ行って良く分からず、西明寺の方に伺ってたどり着きました。
そのお尋ねした方が西明寺の住職さんで、遠山覚範寺保存会(のようなもの)の元会長さんとの事で、覚範寺の事や西明寺を整備した際の苦労話や、寺の周辺一帯から土器や鏃なんかが出土する話などを伺いました。
一応、兼続にも縁のある寺なので話を振ってみたのですが、それには喰い付いて来なかったの(笑)

西明寺もでしたが、覚範寺跡は高台にあって、米沢市内を見下ろせる景色の良い場所でした。



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