なんでもない毎日。

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伊東肥前の碑

2007年11月12日 | 伊達な旅
俗に仙台佛と言われ天正16年(西暦1588年)7月
伊達・佐竹両軍が窪田城(久保田城)で相対した際
伊達政宗の臣伊東肥前重信は手兵30人余騎と共に
伊達政宗を救い戦死したので、伊達家ではその後
参勤交代の途上必ずここに籠をとめて香花を手向けたと言われる。

郡山観光協会


午前中、風が少し強かったけど、天気が良かったのでちょっとお出かけ。
以前から「伊東肥前の碑」があるのは知っていたけど、肥前という人が何をした人なのか知らなかったのです。
それが今回、永岡慶之助の「伊達政宗」を読んで、何をした人なのかを知り、さらに歴代の仙台藩主が必ず香華を手向けたってエピソードを知り、これは行かなくっちゃ!って漸く思い立った次第。

場所は郡山市富久山町久保田にある日吉神社の境内。
ここはこの郡山合戦で伊達軍が陣を構えたと言われている場所なのだそう。
永岡版の小説では“山王山”って言ってる場所に当たるのかな?
この郡山合戦、殿にとっては人取橋合戦に続いて「今度こそ死ぬな 」って思った戦い。
なんせ伊達軍600に対して、佐竹・芦名連合軍4000!
戦闘が始まれば当然の事ながら伊達軍は圧されっぱなしで、とうとう殿も砦を出る程にまで負け戦になりかけていたとか。
でも、殿の運レベルってすごかったんでしょうね、人取橋の合戦と同様になぜか敵が引き上げてしまったと。
そして、伊東肥前はこの戦いで討ち死にしてしまったのですね。

殿を助けてくれてありがとうございました!って、碑に手を合わせてまいりました。


相方の情報では、他の小説においては殿と小十郎が肥前を見捨てた事になってるのもあるようですが...





伊東肥前の碑(日吉神社境内)

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