ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
yukarin_004@yahoo.co.jp

ザ・タイガース物語 2

2011-07-26 23:53:00 | ジュリー
きのうの続き

★ジュリーを“田園”に誘った友人のお姉さんの彼氏が、サンダースのバンマスだった縁で、ジュリーはサンダースのバンドボーイ兼シンガーのひとりになった。
このときのこと、「我が名はジュリー」では、マイクを通して歌ったのは初めてで、自分の声じゃないみたい、もっと甘く聞こえた…とジュリーが語っています。


これはその頃の写真かな。


★一方、東京に視察に行ったサリーとプレイボーイズは、リードボーカルの必要性を感じ、ジュリーがサンダースをやめたがっているらしい…という噂を聞きつけた。
数日後、ピーはジュリーと会って、プレイボーイズへの加入を説得したが、即答は得られなかった。

★1965年の暮れ、サリーとプレイボーイズはファニーズと改名。
(特に改名に意味はないそうです)

★1966年1月1日、ジュリーがファニーズに加入した。サリーのうちに集まって打ち合わせ。
仕事を得るために、ナンバ一番のオーディションを受けることにした。
支配人を口説き落としたのはピー。
オーディションの練習が始まるが、楽器も満足になく、やっとの思いで、中古の楽器を手に入れていた。
(この頃ピーは勘当されて家に帰れなかったんだって


★当時人気だったリンド&リンダースというバンドの前座をさせてもらうことになった。
ファニーズ初演奏
誰も客のいないうらぶれた姫路の映画館。
ピーはまだ曲を覚えてなくて、シンバルにメモ紙を貼って演奏していた。

★1月16日、ナンバ一番のオーディション。
2月1日、合格
ナンバ一番の専属で週2回ステージに立つことに。
1回7000円のギャラだった。


★2月10日、ナンバ一番に初出演。
ベンチャーズ公演で知り合った森さんがファンクラブを作ってくれた。



この写真のピーはまたさらにかわいいね


なんだかあれよあれよという間に進んでいくんですね。特にジュリーが入ってからは展開早い~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする