ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
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ピーの講演会 追加

2011-07-22 16:32:46 | ジュリー
いろいろ思い出したこと、メモ見ながら書いていきます。
座席の上に、まるで講義のレジュメみたいにプリントが2枚置いてありました。
1枚は
「瞳みのるゆかりの南北一条通から九条通まで」これには通りにゆかりの方々が。
例えば、
“中立売通”の欄には“森本太郎”“山城高校”“沢田研二”とか…


もう1枚のプリントは
「京都の通りの歌」
“まるたけえべすにおしおいけ…”
ってので、これが丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池…という部分。
これが3番まで載っていました。

お話は最初はこのプリントに沿って進みましたが、ご本人もおっしゃっていたようにときどき脱線
でもね、ジュリーのトークショーよりは…ご本人が脱線に気づいて、修復するのが早かったような…


ピーって、かわいらしい顔して、けっこう悪さしてたんですね~

牛乳配達〓していたころはちょっとごまかして、サリーと坂田さんと3人で、隠しておいて牛乳パーティーしたり、市電の線路にクギ置いちゃったり。
でもあのかわいさで、そんな風に見えなかったのか、いつもいい子と思われてたみたい。

いいとこの子で、乳母もいるようなおうちだったのに、ある日とつぜん破産しちゃったり、お母さんが2歳の時に亡くなったり、お父さんは家のすぐ近くで交通事故で亡くなったり、ピーが35歳の時にはお兄さんが五条の橋でやはり交通事故で即死…と、けっこうたくさん大変なことが。


それと…いくつか働いてた会社の名前が出てきたんですけど、これはザ・タイガースやめてから、先生になるまでの間のことなんでしょうね。

羅生門で有名な九条通にあった、中卒後はじめて就職した…という“日本コン○○○○”という会社。ここはすぐにやめちゃった…そうです。


それから、“○か○商会 ”という金融業で、集金人を2年くらいやったそうですが、だいたい午前中で仕事が終わり、あとはテレビばかり見ていた…とか。
明○工作所という部品製造の会社では、やめるときに「娘をやるからやめないでくれ…」と言われたとか…。


こうして、京都の思い出をいろいろ語ってくれたピーでしたが、京都の碁盤の目の中はたいへんうるさくて、みんなに監視されてるみたいなものだった…とおっしゃってました。
でも、今は京都に生まれてよかった…東京にはない1000年の都の重みを感じるそうです。
そういえば、京都の人は、食べ物にうるさい…とも。
ピーも錦市場がいちばん好きな場所らしいです。夏はハモとひやしあめがおいしいって。
9月からの「沢田研二と仲間たち」ツアーでも「京都に行ったらなに食べよう~」って話になり、各自いろいろ言ったけど、ピーの意見が通って、琵琶湖のもろこになったそうです。


連日連夜、飲み&食べ歩きかしら~
でも、他の人はスマート…ひとりだけ…
タローさん、お食事会のとき、「スタミナつけとかなきゃ」っておっしゃってました
ジュリーは十分だと思いますけど~
コメント (2)
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