リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

3年分の功罪

2008年12月13日 | Weblog
今日は自分の為だけにブログを書く。
読んでいて気分が悪くなる人もいるだろうから
そういう人は読まないように。お願いします。
それでもなぜ此処に書くのかというと、
自分だけではもうどうにも対処方法がわからないから。


金銭的な窮地に追い込まれても幸せを感じていられる寛容さはあるのに

繋がりきれない人との間に悔しさやもどかしさを感じる。

その思いはどうにもやりきれない。

仕方が無いのだ、と諦められたらどんなに楽だろうか。


もっと理解してほしいのだ、認めて欲しいのだという
思いが強くなればなるほど、私は伝える言葉をなくしていくようだ。
そして思いが強いゆえに、相手にぶつけすぎてしまうのではないかと臆病になる。
そうして厳選された言葉をそろりそろりと煙のように吐き出すのだが、
大抵はするする通り抜けてぶつかりもしない。
内容も要領を得にくいために相手をイライラさせてしまう。
もしくはその場のオモシロネタとして笑われて線香の火のようになかったことになる。
私自身はじりじり燃え続けて消耗していく。
着火する機会に焦がれたまま、燃やすものもなくなっていく。

結果、私は以前よりもっと話せなくなっていく。
話して恥をかくくらいなら我慢しよう、などと馬鹿げた選択をしてしまう。


こんな状態がスマートではないことは百も承知だ。
そして理想とする姿でもないからこそ、こんな様は見せないようにしてきた。
けれど、それが功罪だった。


プライドが高いのだとある人は言う。
そうかもしれない。
ならばそのプライドをもって確固たる理想の為に勇気を持って吐き出し続けるべき。
最初は私だってそうしてきた。

が、人間は。
理解できないものや理解に苦しむものはいとも簡単に排除する。
自分の小さいプライドを守るために。
さらにそこに、私のパーソナリティまでリンクさせて片付ける。
「霊媒だから。」「リカちゃんだから。」
と。

この悔しさがどれだけのものか、わかってもらえるだろうか。
どうしたら伝わるのだろうか。

伝わらないのは、私が人として魅力がないからだ。
実力もないからなのだとそう思って必死に磨いてきた。
けれどそれは無駄な遠回りだった。



煙しか吐けない情けない私にも原因はあるが、
それを厄介だからと取り合わなかった相手にも非はあるんじゃないか。




ああ、書き出せば書き出すほど、己のアホさ加減にどんびくわ。
それにそこまでしてそんな人たちとかかわりあう必要は本当にあるのか?

こんな自分はもうイヤだ。
こんなことで悩んで歌えなくなる自分もいやだ。
ふざけてんじゃねえぞ、あたし。


黙することも秘することも大事だけれど
情けないが、私にはここが第一歩なんだ。


読んでくれた人、申し訳ない。
あたしは所詮、この程度の人間だ。