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毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

もう一つの春 23

2006-12-23 18:40:19 | 残雪
その祖母が昔風に言う道ならぬ恋に落ち、結果として母が生まれた訳です。
祖母は家庭のある相手には知らさず、母を育て、65才まで現役の芸者を続けていたそうです。残念ながら亡くなっていて会えませんでした。
叔父は、母とは異父弟との事でした。祖母は母を産んで2,3年後に結婚し、叔父が生まれたのですが、長続きせず離婚して、叔父は相手方に引き取られたそうです。
母は私を産んでまもなく父と別れ、その後女一人で私を育てたのですから、なんだか歴史が繰り返されている様な複雑な思いがあります。
細かいところはお会いした時に詳しく話しますが、大体こういう内容の話をとても親切に話してくれました。
そして折角だから正月まで泊まっていってくれ、一人娘も嫁に行き、夫婦二人きりのところへあなたが来てくれた、天からの贈り物だ、といって引きとめられたのです。
私は正月までには帰るつもりだったのですが、まだ父親の話は全く聞いていないので、ここでは分からないかもしれませんが、もう暫くこちらに厄介になろうと思っています。
来年になったらできるだけ早く帰りますので、ゆっくり会って下さいね。
その時を楽しみに。    
                            春子
 
春子はポピュラー音楽も好きだが、三味線や太鼓の音がとても好き、と言っていたのを思い出した。彼女の立ち居振る舞いがどことなく古風でそこにも惹かれたのだが、家系を辿って行くほど複雑さが増すようで、平凡に生まれ育った自分では何の役にもたちそうにない。
年が明けても彼女からの連絡はまだ来ないので、3日に上野東照宮の冬牡丹を見に行った。
狭い通路の両側に、手入れの行き届いた大きな牡丹が見事に植えられていて、赤い絞りの入った牡丹は特に目をひき、撮影をする人が絶えなかった。
藁囲いされた艶やかな牡丹は正月によく似合う。
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もう一つの春 22

2006-12-23 16:48:43 | 残雪
12月24日朝、春子は意気揚々と出かけていった。
その前の晩、寺井は春子と電話で話しただけで会う事は出来なかったが、彼女の話しぶりからすると、会社よりも自分を優先する意志が強い様だ。
ようやく母親に近い親戚に会えるのだから当然だろう。いざとなったら就職の斡旋位してやらなくては、と先の事を考えていたが、彼女の居なくなった東京は味気なく、虚脱感というか、改めて彼女の存在感を強く意識させられた。
正月休み前の片付け仕事で忙しく、すぐ29日になったが、彼女からはむこうに着いた日に電話があっただけで、その後何の連絡もなかった。
きっと複雑な話も多く、戸惑ったり考えこんだり大変なんだろう、静かに待つしかないなと思っている内に大晦日になり、寺井はコンビニエンスで買ってきた弁当を一人で食べながらパソコンをチェックして見ると、春子からメールが届いていた。
なんで電話で連絡してこないのだろう、とメールを開いてみると、やはり、という様な文章が打たれている。

修さん、連絡遅れてすみません、本当は電話で話したかったのだけれど、あなたの声を聞くと決心が変りそうになるのでメールにしました。
叔父に会い、昔の話を聞いていく内に、私の母と祖母もかなり色々な、その時代ならではの経験や体験をして来たのが手に取る様に分かり、私自身の性格や嗜好が祖母からも受け継がれているのではないか、と思い当たる部分が感じられました。
私が想像した通り、母は私が修さんと初めて知り合ったあの温泉で生まれ、中学まで過ごし、高校から全寮制の有る東京の学校に移ったそうです。
祖母は温泉に残り、私達が泊まったあの旅館にもよく出入りしていたそうです。
祖母は芸者でした。人気のあった売れっ子芸者で、踊りや三味線がとても上手だったそうです。
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もう一つの春 21

2006-12-09 09:35:50 | 残雪
春子は寂寥感に襲われていた。
一人で歩いていると、誰もいない高層ビルの迷路に足を踏み入れ、通りをさまよっている自分を空想して、寺井と過ごしたあのような一時はもう戻ってこないのではないか、と内に感ずるものがあった。
都会にいるのが耐えられなくなり、新潟行きの前に思い立って茨城県笠間市を訪ねた。
春子は陶器にもすごく興味をもっていて、すきなマグカップや茶碗を幾つも揃えている。
上野から特急で友部まで行き、そこから水戸線に乗り換えて二つ目が笠間で近い。
土曜の朝8時前に乗ったので、自由席も空いていて楽に座れた。
笠間駅には10時前に着き、自転車を借りる事にした。
やきもの通りは駅から離れており、店も点在しているので、自転車が一番便利だ。
坂を上っていかなければならないが、ゆっくり眺めながら行くには丁度良い。
上りきった左側に共販センターが有る。
こじんまりしているが、作家物や、幾つかの窯元が一通り揃っているので、見ているだけでも楽しくなる。二階には軽食喫茶室も有り、古風な建物が陶芸の里を象徴している。
そこを出て、左側を道なりに下って行くと、また何軒かの窯元がみられるが、普通の民家で、出入り口に器が並べられている感じの店もあり親しみやすい。
通りを過ぎ、道路を越えると工芸の丘に辿り着く。丘の上の建物は広く、地元の物産品から焼物まで幅広く揃えられ充実している。
4~5月の連休に開催される陶炎祭は、この丘を下った芸術の森公園で約200店舗も出店され、一日では見きれない程活況を呈している。
同じ時期につつじ祭りも行なわれている。緑豊かなつつじ山公園に、色とりどりのつつじが映え、都会に多く植えられているものよりも、小さく咲く花が主になっている。各家々の玄関にも飾られ、明るく美しい。
春子は自分と寺井用にマグカップを買ったが、お揃いではなかった。

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もう一つの春 20

2006-12-06 20:49:46 | 残雪
春子の住む辺りは12月に入ってすぐ赤いさざんかも咲き始め、いよいよ冬本番を迎えようとしている。
例年ならばまた寒くなるのか、と少し鬱陶しくなるところだが、今年は何とか仕事をやりくりして年内に新潟に行かなければ、という気持ちで昂ぶっていた。
一方、寺井も春子の動向が気になって仕方がなかった。妻は相変わらず実家に帰ることが多く、独りよがりの都合のよさである。
年末が近づくにつれ仕事が忙しくなり、二人は会う時間が持てず、もう中旬になっていた。
春子は考えた末、毎日同じ事を繰り返す事務の仕事に見切りをつけることにした。
未練はなく、辞める覚悟でクリスマスから正月休みまでの休暇願いを提出した。
12月24日に出発し、年内に戻る予定だ。
寺井は電話かメールで毎日春子と連絡を取っていたので、24日の新潟行きに何とか同行しようと調整したが都合がつかなかった。
「大丈夫よ私、叔父さんに会って出来る限りの事を聞いて調べてくるから」
「そう、むこうは寒さが厳しいらしいから気をつけてね」
「ええ、必ず連絡しますから」
「待ってるよ、春子さんの便りが届くのを」
「待っててね、必ずよ、私を一人ぽっちにしないでね」
「いつでも連絡を取れる様にしておくから、安心して行ってきなさい」
春子は切符や宿の手配を済ませると、部屋を徹底的に片付けた。
街はクリスマスムード一色で、皆楽しそうに喋ったり買い物をしたり活気づいている。
私の来年はどうなるのかしら、もう会社も辞めているかも知れない。
でも先のことより私自身を知る事が一番大事、どうしようもなく困ったら寺井さんに頼ろう、と考えていた。
会社からの帰り道、春子は新宿西口を通りながら、先月寺井と食事をした夜を思い出していた。
あの日は楽しすぎて、まるで夢でも見ていたかの様な遠い昔に思えてくる。


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もう一つの春 19

2006-11-21 20:06:51 | 残雪
薔薇が見えるベンチを探して二人腰掛けた。ここからだと逆行気味になり、薔薇が光って浮き上がっている。
春子は想像、というか将来を見ようとしていた。
山と川のある町。
高台にある城址公園からは、目の前に右手から大きく曲がりながら川が流れ、真ん中近くに橋が渡してあり、両側に高い建物のない小さな町並みが見える。
正面遠くの山は、裾野を両側に大きく広げ麗しさがある。
降りてきて通りを行くと、城下町らしい立派な門や、黒い板堀に囲われた屋敷があり、豊かな庭木や生垣は四季の美しさを感じさせる。
山に残雪があり、屋敷の前に桜が咲いているまっすぐな道を、春子は寺井を伴って歩いている。
橋を渡り、川の外側の町並みを通ると雰囲気が変わり、古風な旅館や商家、土蔵造りの店が並び、宿場町としても発展してきた風情が見いだせる。
川に寄り添う様に人々が集まり、川と共に生活をしてきた歴史が窺える。
人通りの少ない、古い家がひっそりと立ち並ぶ界隈に着く。その中の一軒の家の前で戸惑っていると、気配を感じたのか内から木戸が開き、白髪頭の男が顔を覗かせた。
以前春子が夢で見た時と違い、穏やかに待っていた表情をしている。

私がわかる 春子よ こんなに遠くまで探して 会いに来たのよ
よく来てくれた すまない 本当に 何といって謝ればよいのか
なんで今まで連絡もくれなかったの
おまえの事はずっと気になっていた だけどお前のお母さんとの約束があってな
そんな昔の約束なんかどうでもいいのに
それに おまえにも嫌われているに違いないと思っていたものだから
子供の頃 学校でどんなにみじめな思いをしてきたかわかる?
本当にすまない おまえが生まれて 初めて抱き上げた時 幸せだった 信じておくれ
お父さん 私はもう大丈夫よ 自分の力で生活しているし 会わせたい人も連れて来たわ

「春子さん、どうしたの、何を考えているの?」
春子は現実に呼び戻された。
すずかけの並木を見上げると、11月の澄み切った青空が冴え渡り、どこまでもこの状態が続くかの様な錯覚に陥ってしまう。
「春子さん、何か心配事でもあるの」
「ううん、違うの、いまとってもいいところなの」
深まりつつある秋の情景で、ここは一番良い時節を迎えている。

                  -第二部-

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もう一つの春 18

2006-11-17 21:51:00 | 残雪
10時頃の遅い朝食となり、ベットの前に小さなお膳を置き、二人共床に座って食事を始めた。
「君、焼きそば作るのうまいんだね、これとっても美味しいよ、喫茶店で頼むのと変らない味がする」
「そう、それなら良かった」
おとなしい時は本当におとなしいんだな、と寺井は微笑ましくなると同時に、罪の意識が重くのしかかった。
春子は恥ずかしかった。
結局自分から飛び込んでしまった。私を産んですぐ別れてしまった母同様、私も普通の家庭を持てない女なのではないか、でも私の未来なんていつまであるか分からない、いまこの時だけを考えて、彼を困らせない様に行動しようと思っていた。
この日の昼下がりは、18度位で風もない心地よさの中、二人で新宿御苑に行くことにした。一月程前、春子が一人で物思いに耽っていた時とは随分違う。
新宿側の入り口から道なりにまっすぐ歩き、左の温室も通り過ぎ更に進むと、真ん中に、長方形に奥まった形で薔薇が植えられていて、10月よりも沢山咲いていた。
年月を重ねた木々の種類も多く、紅葉と落葉が見られる。はなみずきの紅葉は早い様だ。
日本庭園に行くと、菊花壇が何箇所にも分かれて植えられ、華やかさを演出している。嵯峨菊という、下から上向きに細長い花が沢山開いている姿が可憐で、二人して見とれていた。
売店でパンと飲み物を買い、食べる場所を探していると、カメラを持った人が集まっている。近寄ってみると、桜が咲いていた。咲いていたといっても漸く開いた感じなのだが、二本あった。
薔薇の咲いている場所にまた戻ってきた。二人が歩くにはここが一番合うのか、何となく戻ってきてしまう、外国人の親子連れも何組かいた。
薔薇の咲いている両側はすずかけの並木道になっており、高くまっすぐに伸びた大きな木と落ち葉、そこに等間隔におかれたベンチ、全てが調和している。


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もう一つの春 17

2006-11-10 21:30:05 | 残雪
「私、寺井さんにいろいろな姿を見てしまうんです、きっと、男の本性を知らないから、こういう人がとか、こういう人だったらとか」
「僕そんな、君の期待に応えられる様な人間じゃないよ・・・恥知らずなだけだよ」
「そんな事言わないで!お願いだからそんな風に言わないで」
春子は寺井に強く縋りつき、泣き出していた。
「あなたに奥さんが居てもいなくてもいいんです、本当は今日会ったら、新潟行きの話をしてすぐに帰るつもりだったんです。でも会って一緒に歩いていたら、帰りたくない、もっと一緒にいたい、そういう気持ちが強くなって・・・寺井さんに出来るだけ迷惑や負担を掛けない様にします。これでいい、これでいいですか?」
この女性はこんな僕に惚れている。どうしたら彼女の役にたてるのか、いなくなるのが一番良いのだろうが、今はただ彼女を受け入れる、時間が経てば若い相手もできるようになるだろう。中年の正体に覚めるまで傍に居てやれれば、と考え始めた。
朝はもう10度を下回ることもあり、休日は早くても8時を過ぎないと起きない寺井は、布団の中で半分夢を見て後の半分を空想していた。
石を拾っている彼女がいる、広くて大きな川が流れ、灰色の雲がとても低く空を覆っている。川の向こう側は木や緑が多く見えるが、こちらは小さい石が無数にころがっていて、所々穴の開いたような水溜りや池になっている。
彼女は後ろ向きになってしゃがみながら石を選んでいる様で、白い服を上から被って着ている。
「春子・・・春子さん」
何度か呼んでみたが聞こえないようだ。近づこうとしているのだが、体が重く動いてくれない。
「修さん、修さん」
春子の柔らかな声で目が覚めた。
「声を出していたわよ、変な夢でもみたの」
目が合った瞬間、春子は顔を赤らめて下を向いてしまった。
「うん、何か分からない夢で、君を呼んでいた様だったよ」
「そう・・」
そう答えると、朝食の用意をすると言って台所に行った。

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もう一つの春 16

2006-11-04 18:44:22 | 残雪
「狭いからベットに腰掛けといて、いまお茶漬けつくるから」
「女性の部屋らしく綺麗にしてますね」
「あまり飾るほうじゃないから殺風景でしょ」
「シンプルでいいな、春子さんのそのままの良さが出ている様で」
「春子でいいの」
ベットに座ったままで鏡台に茶碗を置き、春子は折りたたみの椅子に腰掛けやはり鏡台に茶碗を置いた。つかの間の世界がそこにあった。
「私、お礼と言っても形では何も出来ないので、修さんにせめて、私の考えを理解して頂きたくて来て貰ったのです」
春子の真面目な話し方に、寺井は姿勢を正した。
「私、母一人子一人で普通の家庭を知らないし、母は私の為に働き詰めだったから、晩御飯だってあまり一緒にとった事がないの。祖父母や両親が一緒に居るという経験がないんです。友達付き合いだって最初は親兄弟の事から話すでしょう。
彼氏だったらなお更で、彼氏の家に挨拶にいっても何を話せばよいのだろう、きっと何も話せないに違いない、そう思うと、男性との付き合いも引いてしまって自分を出せないんです」
「そう・・・そういう考え方や接し方をしていたんだね」
「そうなんです、だから若い人が苦手みたいな事を言ったのも、家庭の話をするのをどこかで拒否している自分がいるんです」
両親と面倒見のいい姉という何不自由なく育った寺井にとって、春子の告白にただ頭が下がる思いだった。
「それが、旅先で会った中年の知らない男性には、何でも打ち明けてしまうんです」
「どうしてなんだろうね?」
「分かりません、寺井修さん、説明して下さい」
「説明といったって・・きっと、旅先の開放感と全く他人の気安さ、それに多少人生経験を積んだ年上というところかな」
「多分、一部は当たっているわ、でも私・・・私」
春子は思い詰めている様だ。
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もう一つの春 15

2006-11-01 20:27:13 | 残雪
今夜は彼女の家まで送る事になるのだろうか、同じ路線の、自分の住んでいる駅から15分程先の駅だから近いのだが、近い故に戸惑っていた。
演奏が始まり、女性ボーカリストのシャンソンが流れてくる。
寺井は歌を聞いているうちに、金縛りのような催眠状態に近い感覚に落ち入り、現実には戻らず逃避行に憧れて、遊牧民の民と化す、放浪の世界にさまよう様を一瞬夢見た。
「修さん、大丈夫、少し酔ったの?」
春子は心配そうで可愛い表情をしている。
「いや、君に酔ってしまったのかな」
「よかった、酔ってないのね、私も全然大丈夫よ」
春子は今宵も美しく、一、二ヶ月会っていないだけなのに大人びて、内面の変化や成長が大きく進んでいる印象をうける。
もう10時を回っていた。
歌舞伎町を左に歩いてすぐの改札口から駅に入った。春子はそんなに酔ってはいない様だった。
「今日もご馳走様でした」
「僕も楽しかったです、今夜は・・」
「お礼がしたいので、これから私の家に寄っていって下さい」
「でも、もう遅いし」
「土曜日だし、私酔ってないから大丈夫よ」
そう言うとさっさと電車に乗ってしまった。まあ今日は本当に酔っていない様だからついて行くか、と寺井は観念した。
急行で20分程だったが、降りると閑静な住宅街が続き、春子の住んでいる賃貸マンションの二回は女性専用との事で、足を忍ばせながら入っていった。
「そんな泥棒みたいな歩き方しなくていいのに」
「だって女性専用だっていうから」
「兄弟や親戚が来ることだってあるでしょう」
「あ、そうか」
「独身用の部屋らしく、六畳一間に台所、バス、トイレとこじんまり綺麗にまとまっている。
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もう一つの春 14

2006-10-29 10:21:20 | 残雪
「修さんに聞いてもらいたかったのは、私の母を知っている叔父らしい人が見つかったんです、それも母方の」
「そう、それは進展しましたね、じゃあ早速会って話を聞かなければ」
「ええ、でも新潟駅から乗り換えてまだ先の方なので、今年中に行けるかな、と思っているんですけど」
「仕事しだいですね」
「何とか12月中には会いに行ってきます」
寺井は出来るだけ彼女の手助けをしたかった。今の中途半端な環境のせいか、一途な彼女に引きずられていく自分を意識した。
映画を観て表に出ると、新宿の夜は更けてきた。
「ねえ、何処か連れてって」
春子が甘えてきたので、またかと思ったが、土曜日に女性からの誘いを断れる訳がない。
西口高層ビル上にレストランバーがあるのを思い出し、着いてみるとわりと空いていた。
「あら、素敵な眺め、夜景がきれいね」
「僕も入ったのは初めてなんです」
「本当?よく女の人を連れてきてるんじゃないの」
「本当ですよ、家から近いと以外に寄らないものなんです」
「それはそうかも知れないわね」
家庭よりも、春子との時間が心安らぐとは情けないと自嘲しながらも、引き潮の様に彼女に惹きつけられ、魅力の虜になっていく実感があった。
「おとなしくなって考え事?修さん、どうしたの」
食事をしながら飲んだワインが効いてきたのか、春子が艶っぽくなってきた。
「いや、春子さんとまたこうして会えている事に特別な縁を感じて」
「さんなんてやめて、春子でいいから」
「そお、でも」
「二人きりの時にはいいじゃない」
彼女はブランデーの一杯目を飲み終えおかわりを注文した。
「相変わらず強いんだね」
「あなたは水割りを飲みなさい、私が頼んであげる」
寺井はまた彼女が酔ったらと思うとはらはらしてきた。


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