毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

並木の丘 26

2007-06-24 16:22:14 | 並木の丘
「その男性って幾つ位の方かしら」
「そうねえ、50代半ばの感じかな、落ち着いた、会社の管理職か役員の様な、車は確かアウディだったわ」
前澤工業の調査係が見た人物と同じらしい、親密な相手の存在がはっきりしてくるにつれ、何故弥生の父と婚約などしたのか、特別な財産などない普通のサラリーマン家庭のどこに目をつけたのか、久美子には全く理解しがたい千恵子の行動だった。

梅雨だが真夏の様に晴れ上がったその夕方、一番昼が長い今の時期に聖蹟桜ヶ丘に戻ってきたが、まっすぐ帰る気になれず、いろは坂の急な階段を上っていった。
上って左方向に行き、桜ヶ丘東通りに出ると、桜並木の向こうに町並みが見渡せる久美子の好きな場所があり、しばらく佇んで景色を眺めていると、近い将来が見えてくる気がする。
弥生の父の婚約はなくなり、自分は前澤と別れ、この大好きな丘からも離れなければならない。
若い弥生と慎一は交流の可能性も残されているが、あとは皆離ればなれになり、事ある以外会う機会もなくなる。
まだ陽射しがあったが、時計をみると18時を過ぎていたので、急いで自宅に戻ると弥生が夕食の仕度をして待っていた。
「悪いわね、食事の用意をさせてしまって」
「たまには作ってみたかったの、ハンバーグだけど良かった?」
「ええ、美味しそうね、早速頂きましょう」
「お稽古に行って何か分かったの」
「帰りにお弟子さんの一人と一緒になって少し話してきたわ」
「お父さんは再婚できそう?」
「どうかしら、私にはなんとも言えないわね」
「難しそうってことなのね」
「どうなるのかしら」
弥生にもこの話はうまくいきそうにないと感ずるものがあるらしく、もう割り切っている様だ。
ようやく陽が落ちて、桜ヶ丘に涼しい風が吹いてきたが、それが久美子の心へのすきま風となって通り抜けていった。

            

   

並木の丘 25

2007-06-23 12:44:14 | 並木の丘
久美子が千恵子のいけばな教室に通いたい、と弥生を介して申し込むと、いつでもお待ちしています、とすぐに返事がきた。
断られるのではと思っていたので少し驚いたが、商売は別と割り切っているのだろうか。
火曜か木曜日の午後、新宿の中落合で教えているので来て欲しいとの連絡を貰った時、久美子が生まれ育った元実家の近くなので懐かしく、久し振りに目白駅からバスに乗った。
相変わらず狭い目白通りと山手通りの交差点を過ぎて間もなくバスを降り、左に少し入った住宅街の路地を縫うように歩いたが、土地勘があるので迷うことなく目的の家に着いた。
お弟子さんの家に久美子を含めて8人集まったが、普通の民家なので花器を並べると部屋一杯である。
久美子は会社に勤めていた頃、同じ流派のいけばなを習った経験があり、基礎はできていたので溶け込むのは容易だった。
紹介されたお弟子さんの中に竹島と名乗る久美子と同年代の主婦がいて、帰りに挨拶を兼ねて目白駅の向かい側の路地を入り、調べておいたチーズケーキの美味しい店を見つけた。
「竹島さんのお住まいはどちらなんですか」
「京王線の仙川です」
「あら、そうですか、私は聖蹟桜ヶ丘に住んでいます」
「同じ沿線でしたのね、織田さんはどなたの紹介で来られたのですか」
「親戚が仕事の関係でお師匠さんを知っておりましたので・・竹島さんは習い始めてからどの位経っているのですか」
「最初からですから3年になります」
それなら何か知っているだろうと久美子は期待を寄せた。
「この頃生徒さんも増えてきたと思うのですが、何箇所か生徒さんの家に集まって貰って、教えて回っているんですね」
「そう、大体10人前後らしいけど」
「それじゃあ毎日忙しい訳ね、お師匠さんを手伝っている人はいないのですか」
「教えるのは一人だけれど、たまに車で送り迎いをしている男性がいたわ」

並木の丘 24

2007-06-10 19:02:53 | 並木の丘
管制塔前の通りを歩いていても、乗客はどこにいるのかと思うほど静かで人の姿は殆どない。
「このローカルな雰囲気は良いと思います」
慎一は写真を撮りながら真面目に語った。
「そうね、羽田なんかと比べてはいけないのよね、私はこういうのんびりした所、とっても好きよ」
弥生がそう言って微笑むと、慎一はやはりこのひとが姉になってくれればと、心和むものを感じた。
「お母さん、相変らず忙しそう?」
「はい、益々、というところです」
「そう、特に、なにもなさそうなのね」
「よその人からの電話とかですか」
「うん、悪いわね、こんな話で」
「いいんです、僕も話そうかどうしようかと考えていたので」
「なにかあったの?」
「実は、だいぶ前から、2,3年かな、知らない男の人と母が携帯電話で話しているのを、何回も聞いた事があるんです」
「聞こえたの?」
「テレビをつけていない時近くに居ると聞こえました、話し方でも分かるし」
「勿論、説明はしてくれないわよね」
「誰って聞くと、仕事関係の人だというだけです」
「仲よさそうな感じはしたの」
「母親というよりも・・・」
「よその女性みたい」
「そんな感じかな」
弥生は、父親のほかにもう一人男性が存在していたと聞いて、自分では判断しようがなく、調布駅に戻って慎一にお昼を奢ってから一旦別れ、久美子のマンションに戻った。
「叔母さん、変なことになってきたわ、慎一君のお父さんの他に、もう一人知らない男の人から時々連絡があるんですって」
「別な男性が居るらしいわね」
「知っていたの」
「つい先日分かったのよ」
「なんだか難しくなりそうね、私にとってはいい傾向なんだけど」
「そんなことないでしょう、どうやっていこうかな、これから」
「本物の探偵じゃないと無理なんじゃない」
久美子も同感だが、前澤に頼みたくなかった。

並木の丘 23

2007-06-09 20:04:19 | 並木の丘
久美子は、千恵子の存在を否定したくなってきて、もう関わりたくない、知りたくもないと思えてきたのだが、ここで引っ込むわけにもいかず、一体これからどんな修羅場が待っているのだろうと考えると、いまの生活すべてを清算して、身寄りや知り合いのだれも居ない遠い所で、一人でひっそりと暮らしたい空想に駆られた。
千恵子がたとえどんな交際をしていようと、自分のような立場の人間がなにを批判できるというのか。
弥生から再婚の話には関わりたくないと言われた事があったが、反発しただけでなく、娘としての予感めいたものがあったのかもしれない。

6月上旬の朝晩はまだ涼しく、晴れれば初夏の陽射しが木々の緑を眩しく映し、また雨が降りそうな曇りの日は散策に適している。
弥生は久美子から、慎一をあなたができるだけ表に連れ出してくれ、と頼まれた。
私を慎一に接近させ、情報を集めようとしているのだと解釈したが、どこに連れていこうか考えた末、調布から歩いて野川公園に向かう予定を立てた。
薄日が射す土曜日の朝、慎一は喜んでカメラ片手に調布駅で待っていた。
中央高速道路の下を抜け、若い二人が歩けば、30分足らずで野川に着く。
深大寺入り口の手前の信号の下に野川が流れていて、その近くから遊歩道に降りた。
狭い川だが歩きやすく、住宅と花木が自然に調和していて落ち着きがある。
やがて左に白っぽい天文台のドームが現れ、そこを目指して歩いていくと、手前に橋があり、その橋から左を向くと調布飛行場の管制塔が見える。
橋の真ん中に立ち、すぐ右に天文台、離れた正面に管制塔、ここの景色を写真に収めたくて二人共何枚か撮ったが、全部をうまく一枚に入れられなかった。
飛行場を見たくなり、管制塔を目印にして行くと、入り口近くに飛行機を模った子供用の滑り台があったので、そこを上ると小さな飛行機が何機も置かれているのが見えた。

並木の丘 22

2007-06-04 19:57:17 | 並木の丘
千恵子のいけばな教室は好評で、生徒も既に80名を越えており、他の仕事は辞め、いけばなに専念することになった。
その機を見てか、所属する流派の本部から展示会に参加してはどうか、との誘いが掛かった。
日本橋Tデパートで毎年開催されているが、参加費は自己負担である。金額的には結構な負担となるが、宣伝効果を期待して千恵子は参加することにした。着物もそれなりのよいものを用意したり出費は多い。
久美子は2日目に観に行く予定だ。初日は前澤の会社の総務部社員を借りて、様子を探らせる形になった。確かに顔を知られていない分都合がよいが、前澤の一言で決められたので断る訳にもいかず、黙って手伝って貰うしかなかった。
開催2日目の朝10時過ぎ、久美子はTデパート傍のカフェで、柴田と名乗る社員と会っていた。
「この度はすいません、こんな個人的問題を手伝わせる結果になって」
「とんでもございません、私は調査係ですのでなんでもご相談下さい」
「有難うございます、あの、初日はどうでしたか」
「それが、ちょっとした事がありまして」
「どんな?」
「昼近くに勝野先生を訪ねてきた男性がおりました」
「一人ですか」
「一人です、50過ぎた位で会社の役員風の方でした」
前の夫よりも年上だな、と久美子は違いを感じた。
「それで、暫く近くのいけばなを観賞していますと、二人して会場から出て行きましたので、少し離れて後をついて、同じ食堂に入りました」
「うまく座れましたの」
「はい、まだ昼前でしたので、二人のすぐ側で視線が合わない場所に座れました」
「話は聞こえたのですか」
「所々は聞き取れました、殆どは世間話でしたが親しそうでした」
「どういう感じでした」
「男女の関係という事ですか」
「そうです」
「多分、深い関係になっていると思います、あくまで私の勘ですが」

並木の丘 21

2007-06-03 16:46:51 | 並木の丘
「ただ会ったとだけしか話してくれませんでした」
「そう、そうよね」
「実は、前に電話があった男の人とは、父の事だったんです」
「連絡はたまにくるの」
「3年位は全くなかったのですが、今年は3回ありました」
「どんな話をしたの」
「元気かとか、学校の成績はいいのかとかの普通の話でした」
「お母さんと話しているところを聞いた事はないの」
「一度話しているのをちょっとだけ聞いた時があったんですが、会ってもしょうがないでしょう、とかそんな話方でした」
やはり無理やり連れていかれた、というのは本当なのだろうか。
「慎一君はお父さんに会いたいと思うでしょう」
「・・でも、会ってもしょうがないんじゃないか、と考えたりします」
「今度のお母さんの再婚話をどう思う?」
「大人の人達の事は分からないけど、弥生さんはいいお姉さんになってくれると思います」
「弥生のこと、好きなのね」
「いい方だと思います」
慎一はやや顔を赤らめてうつむきながら答えた。子供の世界はうまくいきそうだ。

久美子は慎一を連れて、永山からバスで家に戻った。弥生が珍しく部屋の掃除をしている。
「片付けてくれているの、有難う」
「たまにはやらなくちゃ、お世話になっていることだし、あら、慎一君じゃない、どうしたの」
「偶然会ったのよ、みはらし緑地で」
「慎一君、何していたの?」
「写真を撮っていたんです」
「そう、私も写真を撮るのが好きなんだけど、なにを撮っているの」
「今は多摩の風景が中心なんですけど」
「私はずっと花の写真を撮っているの、神代植物公園なんか何回行ったかわからないわ」
「あそこは僕もよく行きます、しだれ桜なんかはとても見ごたえがありました」
「いいわよね、今年はここに来ることが多いので、桜ヶ丘の桜を随分撮ったわ、住まいの近くの桜は格別ね」