毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

唐木田通り 19

2006-11-29 20:00:58 | 唐木田通り
「はじめまして、井上です」
「はじめまして、沢村です、この度はお会い頂き、有難うございます」
沢村は受け取った名刺をちらっと見たが、営業企画課主任となっている。曖昧なポジションだな、と思った。
彼女の第一印象は悪くなかった。想像していたよりも落ち着いた雰囲気があり、男まさりとは少し違う、包容力の大きさに近いものを感じた。年齢よりも大人びて見える。
「中国にはよく行かれるのでしょうね?」
「はい、今年は春先に一ヶ月滞在していました」
「私も行かなければならないのですが、まだ時間が取れなくて」
「いま、外食チェーンの展開方法について依頼を受けております」
友人の、佐藤の経歴を拝借する事にした。
「私の所も直営店を出店してはいるのですが、まだあまり採算が取れなくて、てこ入れをしようと考えています。近い内、連絡させて頂くかも知れませんわ」
「その節は宜しくお願い致します、携帯電話に連絡頂ければ、すぐ伺えますので」
話はそこまでにして、ボロが出ないうちに今日は退散することにした。これで繋がりはできた。
後は興信所を使えば、もっと詳しい情報を得られるだろう。
沢村が出席したその日、由起子は休暇を取り、自宅の片付けや夏休み中の子供の相手をしていた。
夫は由起子とやり直したいと何度も頼んできたが、いまは全くその気になれなかった。私にとってはもう過去なのだ、自分と子供の将来しか見据えていない。
たまに夫と家の中に居ても、自ら話しかける事はなかった。
夕方、子供が友達の家に遊びに行っている間、近くの城山公園に出かけてみた。
彼女は稲城の向陽台に住んでいる。曲がりくねった坂道から、澄んだ天気の日には新宿西口の高層ビル群が眺望できる。
公園の東端の高い場所からは、辛うじてだが多摩川が見え、一人物思いに耽りたい時はここをよく利用する。

唐木田通り 18

2006-11-23 14:21:16 | 唐木田通り
「由起子さん、遅くなりまして、大分待ったでしょう」
「待ったけど、ここは懐かしくて、思い出に浸れて嬉しかったわ」
「それなら良かった、由起子さんは新宿が故郷でしたね・・ところでこちらの方はうまく話が進みまして、8月上旬に懇親会に出席できる事になりましたよ」
「そう、前進ね、私家に戻ったらこんな書類が届けられていたの、忘れ物を送ってきたのね」
沢村は受け取った書類に目を通すと、納得する様に2,3度頷いた。
「何か犯罪の匂いがしてきましたね」
「そうでしょう、尋常な書類じゃないわよね」
「これ、コピーしてもいいですか」
「好きにしてください」
「岐阜に行っていた様ですね」
「ええ、今まで全く縁の無い場所でしたから、何があるのかとちょっと不安にもなってきて」
「大丈夫ですよ、私が解決しますから、もう少しで真相に迫れます」
「そうね、頼りになる探偵さんね」
8月に入り、都心は夏休みで空いてきたが、沢村にとっては勝負の月になる。
名刺を作り、貿易コンサルタントという肩書きにしておいた。輸出入に関しては友人の佐藤に詳しく教わり、食品業界の事はデパートの仕入れ係に聞いておいたので何とか話せるだろう。
懇親会の夜、10分程過ぎてから会場に入っていった。立食パーティ式になっているので行動しやすい。
ウイスキーの水割りを飲みながらゆっくり一周してみたが、井上玲子の姿はなかった。期待と不安で久々の緊張感を覚え、気分は高揚していた。
仕入れ係と暫く雑談をしていると、明るいグリーン系のツーピースを着た井上が入り口に見えた。
いよいよだ、沢村は充分時間を掛けてから、仕入れ係に伴われて挨拶に出向いた。
「井之さん、貿易コンサルタントを紹介します。あなたの会社も今以上に中国市場拡大を考えているでしょう、彼は中国、台湾に精通していますから役に立つと思いますよ」


もう一つの春 19

2006-11-21 20:06:51 | 残雪
薔薇が見えるベンチを探して二人腰掛けた。ここからだと逆行気味になり、薔薇が光って浮き上がっている。
春子は想像、というか将来を見ようとしていた。
山と川のある町。
高台にある城址公園からは、目の前に右手から大きく曲がりながら川が流れ、真ん中近くに橋が渡してあり、両側に高い建物のない小さな町並みが見える。
正面遠くの山は、裾野を両側に大きく広げ麗しさがある。
降りてきて通りを行くと、城下町らしい立派な門や、黒い板堀に囲われた屋敷があり、豊かな庭木や生垣は四季の美しさを感じさせる。
山に残雪があり、屋敷の前に桜が咲いているまっすぐな道を、春子は寺井を伴って歩いている。
橋を渡り、川の外側の町並みを通ると雰囲気が変わり、古風な旅館や商家、土蔵造りの店が並び、宿場町としても発展してきた風情が見いだせる。
川に寄り添う様に人々が集まり、川と共に生活をしてきた歴史が窺える。
人通りの少ない、古い家がひっそりと立ち並ぶ界隈に着く。その中の一軒の家の前で戸惑っていると、気配を感じたのか内から木戸が開き、白髪頭の男が顔を覗かせた。
以前春子が夢で見た時と違い、穏やかに待っていた表情をしている。

私がわかる 春子よ こんなに遠くまで探して 会いに来たのよ
よく来てくれた すまない 本当に 何といって謝ればよいのか
なんで今まで連絡もくれなかったの
おまえの事はずっと気になっていた だけどお前のお母さんとの約束があってな
そんな昔の約束なんかどうでもいいのに
それに おまえにも嫌われているに違いないと思っていたものだから
子供の頃 学校でどんなにみじめな思いをしてきたかわかる?
本当にすまない おまえが生まれて 初めて抱き上げた時 幸せだった 信じておくれ
お父さん 私はもう大丈夫よ 自分の力で生活しているし 会わせたい人も連れて来たわ

「春子さん、どうしたの、何を考えているの?」
春子は現実に呼び戻された。
すずかけの並木を見上げると、11月の澄み切った青空が冴え渡り、どこまでもこの状態が続くかの様な錯覚に陥ってしまう。
「春子さん、何か心配事でもあるの」
「ううん、違うの、いまとってもいいところなの」
深まりつつある秋の情景で、ここは一番良い時節を迎えている。

                  -第二部-


もう一つの春 18

2006-11-17 21:51:00 | 残雪
10時頃の遅い朝食となり、ベットの前に小さなお膳を置き、二人共床に座って食事を始めた。
「君、焼きそば作るのうまいんだね、これとっても美味しいよ、喫茶店で頼むのと変らない味がする」
「そう、それなら良かった」
おとなしい時は本当におとなしいんだな、と寺井は微笑ましくなると同時に、罪の意識が重くのしかかった。
春子は恥ずかしかった。
結局自分から飛び込んでしまった。私を産んですぐ別れてしまった母同様、私も普通の家庭を持てない女なのではないか、でも私の未来なんていつまであるか分からない、いまこの時だけを考えて、彼を困らせない様に行動しようと思っていた。
この日の昼下がりは、18度位で風もない心地よさの中、二人で新宿御苑に行くことにした。一月程前、春子が一人で物思いに耽っていた時とは随分違う。
新宿側の入り口から道なりにまっすぐ歩き、左の温室も通り過ぎ更に進むと、真ん中に、長方形に奥まった形で薔薇が植えられていて、10月よりも沢山咲いていた。
年月を重ねた木々の種類も多く、紅葉と落葉が見られる。はなみずきの紅葉は早い様だ。
日本庭園に行くと、菊花壇が何箇所にも分かれて植えられ、華やかさを演出している。嵯峨菊という、下から上向きに細長い花が沢山開いている姿が可憐で、二人して見とれていた。
売店でパンと飲み物を買い、食べる場所を探していると、カメラを持った人が集まっている。近寄ってみると、桜が咲いていた。咲いていたといっても漸く開いた感じなのだが、二本あった。
薔薇の咲いている場所にまた戻ってきた。二人が歩くにはここが一番合うのか、何となく戻ってきてしまう、外国人の親子連れも何組かいた。
薔薇の咲いている両側はすずかけの並木道になっており、高くまっすぐに伸びた大きな木と落ち葉、そこに等間隔におかれたベンチ、全てが調和している。



唐木田通り 17

2006-11-12 10:51:47 | 唐木田通り
思い切って封筒を開けてみることにした。後でわかったら、それはその時のはなし、遠慮するものは何もない。
内容は、バランスシートのような数字が並んでいて、所々手書きで金額が入っている。二重帳簿みたい、由起子は直感が働いた。きっとそうだ、達彦は会社のお金を不正使用したのか、いや、そんなことができる性格ではない。上の命令で指示されているのかもしれない、典型的なサラリーマンタイプだから。
でもそうだとしても、問い詰める気はもうなかった。ただ、犯罪や事件に巻き込まれているとしたら、私と子供にも降りかかってくる。
その時、携帯に沢村からのメールで、こちらは終わったのですがどうしますか、と入ってきた。
由起子は新宿で会う約束をした。あまりニュータウンには居たくない気分だった。雑踏の中に紛れ込んでいた方が気が軽かったのだ。
西口にあるプラザホテル内の喫茶室で待ち合わせたが、懐かしさで一杯だった。
実家は元々新宿区中落合にあった。学生時代はテニスの同好会の集まりでよくこのホテルを利用したものだ。達彦は大学のOBで、試合の応援に来ているうちに知り合うようになったのだが、とても積極的で、由起子の卒業が近づいてくるとぜひ両親に会わせてほしいと何回も頼まれ、半分まだ早いな、と思いながらも実家に連れていった。
両親は、達彦が30才近くになる年上であること、有名企業の当時は課長代理だったが管理職にも就いていること、等からとても喜んで結婚の話を進めていった。
由起子自身は、せめて3年位は社会人としての経験を積んでみたかったのだが、周りが皆喜んでくれているのならそれも縁だ、と考え受けることにした。もっと自身のやりたい仕事や趣味を見極めてからでもよかったのに、と現在の状況では後悔するしかない。
そんな少し落ち込んだ気持ちになりかけた時、急ぎ足でこちらに向かってくる沢村の姿が目に映った。

唐木田通り 16

2006-11-11 11:15:58 | 唐木田通り
「水曜日に戻ると言って、木曜日になった理由は聞いたのですか」
沢村はそこだけが納得いかなかった。
「ええ、木曜日は私と話をする為に取っておいたのだが、こじれて長引いてしまったと言っていましたが・・」
「何か変なのですか」
「なんだか、嘘をついている様な、ただの勘なのですけど」
「半信半疑というところですね」
「その通りですわ」
「由起子さん、私はこの後、井上玲子の事を調べる為にデパートの関係者に会いに行ってきます、他の会社も休みの時が予約をとりやすいので」
「忙しいのに、すいません」
「なにを言ってるのですか、もう私達の問題なのですから」
沢村は思わず由起子の肩を掴み強く抱き寄せた。昼近くになっていたが人の気配はなく、洋らんに囲まれた中で、花と彼女の髪の甘い香りに刺激され、長い口付けを交わしていた。
植物公園の出入り口を出て通りを渡り、一件だけある蕎麦屋で昼食を済ますと、二人はそこで一旦別れた。
沢村は15時にM日本橋店で仕入れ係に会う為、共通商品券を3万円分用意しておいた。これで何とか糸口をつかめるだろう。
その担当から、30分程だがデパート内の喫茶店で話を聞く事ができた。
各業者や問屋を集めて、年2回日比谷のホテルで懇親会が開かれる。食品関係は8月第一週の木曜日に予定されているが、沢村はその招待状を一通貰える事になった。井上玲子はよく出席しているので、今回も多分来るだろう、との情報を得たのである。
由起子は夕方自宅に戻ったが、達彦の所在は分からなかった。あの口論の後、家庭内別居になっており、いなくても関心がなく、子供の行く末だけを案じていた。
郵便物を調べていると、達彦宛にA4サイズの書類が入った封筒が届いていた。
裏を見ると、岐阜市内のビジネスホテルから送られている。岐阜のホテル?この間の休暇で岐阜に行ってきたのだろうか。

もう一つの春 17

2006-11-10 21:30:05 | 残雪
「私、寺井さんにいろいろな姿を見てしまうんです、きっと、男の本性を知らないから、こういう人がとか、こういう人だったらとか」
「僕そんな、君の期待に応えられる様な人間じゃないよ・・・恥知らずなだけだよ」
「そんな事言わないで!お願いだからそんな風に言わないで」
春子は寺井に強く縋りつき、泣き出していた。
「あなたに奥さんが居てもいなくてもいいんです、本当は今日会ったら、新潟行きの話をしてすぐに帰るつもりだったんです。でも会って一緒に歩いていたら、帰りたくない、もっと一緒にいたい、そういう気持ちが強くなって・・・寺井さんに出来るだけ迷惑や負担を掛けない様にします。これでいい、これでいいですか?」
この女性はこんな僕に惚れている。どうしたら彼女の役にたてるのか、いなくなるのが一番良いのだろうが、今はただ彼女を受け入れる、時間が経てば若い相手もできるようになるだろう。中年の正体に覚めるまで傍に居てやれれば、と考え始めた。
朝はもう10度を下回ることもあり、休日は早くても8時を過ぎないと起きない寺井は、布団の中で半分夢を見て後の半分を空想していた。
石を拾っている彼女がいる、広くて大きな川が流れ、灰色の雲がとても低く空を覆っている。川の向こう側は木や緑が多く見えるが、こちらは小さい石が無数にころがっていて、所々穴の開いたような水溜りや池になっている。
彼女は後ろ向きになってしゃがみながら石を選んでいる様で、白い服を上から被って着ている。
「春子・・・春子さん」
何度か呼んでみたが聞こえないようだ。近づこうとしているのだが、体が重く動いてくれない。
「修さん、修さん」
春子の柔らかな声で目が覚めた。
「声を出していたわよ、変な夢でもみたの」
目が合った瞬間、春子は顔を赤らめて下を向いてしまった。
「うん、何か分からない夢で、君を呼んでいた様だったよ」
「そう・・」
そう答えると、朝食の用意をすると言って台所に行った。


唐木田通り 15

2006-11-05 18:51:24 | 唐木田通り
翌土曜日は朝から強い日差しで、いよいよ本格的な夏到来を告げている。
多摩センター近くの駅だと知りあいに会うおそれもあるので、二人は調布駅で降り、バスに乗って神代植物公園に出かけた。
広い温室には、スイレン、ベゴニア、洋らん類が数多く見られ、花に合わせた温度管理もされているので涼しい場所もある。
難しい話をするには、こういう場所の方が少しはよいかもしれない。
沢村は一通り妻の話を聞いてきたが、やはりよい内容ではなかった。もう戻るつもりはなく、あなたが家を出て私と暮らしてくれなければ別れるしかない、と離婚届けも用意していたのである。返事は保留してきたが、今は解決の方法が思いつかない、どうしようもなかった。
この件は由起子にまだ話していない。
一方由起子は、木曜の夜遅く帰ってきた達彦とかなり激しい口論となった。
最初取り繕っていた夫も、興信所の調査報告書と写真を見せつけられると、観念して話だした。
やはり井上とは、得意先の接待で連れて行ったクラブで知りあい、深い関係になった。英会話が出来て頭の回転が速く、もてなしも如才ない。何度か逢瀬を繰り返す内に、彼女の方から入社の希望を出してきた。
達彦としては秘書課に配属させたかったのだが、彼女は営業部を希望してきた。あまり近くに置いときたくはなかったが、結局自分の部下となった。
最初は従順だったが、一年過ぎた頃からいろいろな要求が多くなり、断ると、達彦の上司に頼んでみるといってプレッシャーをかけてくる。だんだんと脅迫されている様な気分になってきた。
この間の旅行も、できれば清算したく話し合おうとしたが、彼女は全く受け入れず、そのつもりなら上司か役員に話すと脅かされた為、こじれて木曜の夕方まで説得を続けたが、なにも解決できずに帰ってきた、と説明した。
由起子は達彦の話がどこまで本当か、曖昧なところがないか、聞いた事を繰り返し頭の中で思いだそうとしていた。


もう一つの春 16

2006-11-04 18:44:22 | 残雪
「狭いからベットに腰掛けといて、いまお茶漬けつくるから」
「女性の部屋らしく綺麗にしてますね」
「あまり飾るほうじゃないから殺風景でしょ」
「シンプルでいいな、春子さんのそのままの良さが出ている様で」
「春子でいいの」
ベットに座ったままで鏡台に茶碗を置き、春子は折りたたみの椅子に腰掛けやはり鏡台に茶碗を置いた。つかの間の世界がそこにあった。
「私、お礼と言っても形では何も出来ないので、修さんにせめて、私の考えを理解して頂きたくて来て貰ったのです」
春子の真面目な話し方に、寺井は姿勢を正した。
「私、母一人子一人で普通の家庭を知らないし、母は私の為に働き詰めだったから、晩御飯だってあまり一緒にとった事がないの。祖父母や両親が一緒に居るという経験がないんです。友達付き合いだって最初は親兄弟の事から話すでしょう。
彼氏だったらなお更で、彼氏の家に挨拶にいっても何を話せばよいのだろう、きっと何も話せないに違いない、そう思うと、男性との付き合いも引いてしまって自分を出せないんです」
「そう・・・そういう考え方や接し方をしていたんだね」
「そうなんです、だから若い人が苦手みたいな事を言ったのも、家庭の話をするのをどこかで拒否している自分がいるんです」
両親と面倒見のいい姉という何不自由なく育った寺井にとって、春子の告白にただ頭が下がる思いだった。
「それが、旅先で会った中年の知らない男性には、何でも打ち明けてしまうんです」
「どうしてなんだろうね?」
「分かりません、寺井修さん、説明して下さい」
「説明といったって・・きっと、旅先の開放感と全く他人の気安さ、それに多少人生経験を積んだ年上というところかな」
「多分、一部は当たっているわ、でも私・・・私」
春子は思い詰めている様だ。

もう一つの春 15

2006-11-01 20:27:13 | 残雪
今夜は彼女の家まで送る事になるのだろうか、同じ路線の、自分の住んでいる駅から15分程先の駅だから近いのだが、近い故に戸惑っていた。
演奏が始まり、女性ボーカリストのシャンソンが流れてくる。
寺井は歌を聞いているうちに、金縛りのような催眠状態に近い感覚に落ち入り、現実には戻らず逃避行に憧れて、遊牧民の民と化す、放浪の世界にさまよう様を一瞬夢見た。
「修さん、大丈夫、少し酔ったの?」
春子は心配そうで可愛い表情をしている。
「いや、君に酔ってしまったのかな」
「よかった、酔ってないのね、私も全然大丈夫よ」
春子は今宵も美しく、一、二ヶ月会っていないだけなのに大人びて、内面の変化や成長が大きく進んでいる印象をうける。
もう10時を回っていた。
歌舞伎町を左に歩いてすぐの改札口から駅に入った。春子はそんなに酔ってはいない様だった。
「今日もご馳走様でした」
「僕も楽しかったです、今夜は・・」
「お礼がしたいので、これから私の家に寄っていって下さい」
「でも、もう遅いし」
「土曜日だし、私酔ってないから大丈夫よ」
そう言うとさっさと電車に乗ってしまった。まあ今日は本当に酔っていない様だからついて行くか、と寺井は観念した。
急行で20分程だったが、降りると閑静な住宅街が続き、春子の住んでいる賃貸マンションの二回は女性専用との事で、足を忍ばせながら入っていった。
「そんな泥棒みたいな歩き方しなくていいのに」
「だって女性専用だっていうから」
「兄弟や親戚が来ることだってあるでしょう」
「あ、そうか」
「独身用の部屋らしく、六畳一間に台所、バス、トイレとこじんまり綺麗にまとまっている。