毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

武蔵野物語 30

2008-03-30 15:33:30 | 武蔵野物語
ウイークデーの昼休みに、春の光を浴びながら二人で歩く。大学通りも大勢の人で賑わい、咲き出した桜の下で皆幸せそうな顔をして寛いでいる。
この時節を素直に楽しめないのは、私達だけなのだろうかと思う位、周りの人々が華やいでみえる。
有名なここの桜は昭和9~10年に植えられたそうで、この古木が国立、といえるような存在感がある。
ゆりこは病院に行った事を誠二に打ち明けた。
「一人で様子を見にいったの?」
「もしかして、あなたにも会えるかなって思ったものだから」
「年度末の締めがあったりして忙しかったんだ、でも説明もしなくて悪かったね」
「いいの、私、あなたの奥さんのことをもっと探りたい気持ちが強くなったのよ」
「普通に会社勤めをしている人に比べると、随分変わってみえるだろうね」
「就職した経験はあるの?」
「ないよ、学校の成績はよかったそうだけど、卒業してからは資格を取ったり、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、そんな生活を送っていたそうだ」
「恵まれていたのね」
「親の忠告を聞いたりはしないそうだから」
「好きなことだけをしてきたってこと」
「自立して、自分で稼ぐ意欲は全くなかったらしいよ」
話している間に、さくら通りまで歩いて来た。大学通りは南北に伸びているが、さくら通りは東西に広がり調和がとれている。
「誠二さんの知り合いに、滝沢というひとはいる?」
「僕は知らないなあ、誰なの」
「勘違いかもしれないけど、奥さんの病室の前で見かけたものだから」
「家内の親戚にもいないはずだよ」
ゆりこは自分の会社の所長だ、というのはまだ黙っていようと思った。

その週の昼休み、また滝沢所長と打ち合わせを兼ねて食事を共にした。次第に回数が増えてきている。
「所長、先日の日曜日、K病院にいらっしゃいませんでした?」
「日曜日・・・ああ、行ったよ」

武蔵野物語 29

2008-03-24 20:19:36 | 武蔵野物語
所長の滝沢は、ゆりこと食事を共にしてからは、細かい事を決めるのに一々ゆりこを頼って聞きに来た。
私はあなたの秘書ではありません、と余っ程言ってしまおうかと思ったが、仕事に対しての一途さからと理解はしていたので、手伝う様になっていった。
そうなると、周りは何かとゆりこに気を使い顔色を窺うので、面倒に思うことも度々だったが、仕事自体はやり易くなった。

この頃、誠二からの連絡が少なくなっている。会うのも週一回がやっとで、以前みたいに何でも相談してくれず、距離を置いているのは、それだけ難しい時期なのだろう。
でもそう思うとよけい気になり、連絡が来なかった日曜日、黙って敦子の入院している病院に向かっていた。
入り口で名前を記入してバッジを受け取るのだが、病棟に訪れている人は少なく、書きながら上の行を見ると、滝沢道也、の名前があった。
所長の名前だ、身内の人でも入院しているのだろうか。
敦子と同じ階を記入してある。個室の並んでいる一角だが、ゆりこは気配を窺いながら敦子の病室に近づいていった。
すると、その敦子の病室の前からこちらに戻ってくる滝沢が見えたので、慌てて近くのトイレに入り、やり過ごした。
来た時間も見ていたのだが、10分程しか経っていないので、個室には入らず確認しただけなのだろうか。ゆりこは滝沢の後を離れてついて行き、停留所に立ち止まるの見届けて戻った。三鷹駅に向かう様だ。
思いがけない人が居たので、敦子よりもそちらの方が気になり、病院を出て滝沢と反対側の調布駅から帰る事にした。
途中誠二に何度かメールを送ったが、すぐに返事はこなかった。
18時過ぎにようやく返信が送られてきて、きょうは休日出勤になりました、と打ってある。火曜日に代休が取れるそうなので、ゆりこの会社の昼休みに近くまで来て貰う約束をした。
国立の,早咲きのさくらがもう咲いている。

武蔵野物語 28

2008-03-22 18:01:31 | 武蔵野物語
ゆりこの勤めている会社の営業所が、業務拡張に伴い国立駅の近くにも新設されたので、転勤願いを提出したところすぐに受理され、今月から通いはじめている。
都心に行く機会は少なくなってしまうが、自宅から近いのは何よりも楽でいい。
化粧品を主に、医薬品や健康食品等を扱っているが、通販部門のメールによる問い合わせや注文がとても増えており、営業事務の仕事よりも、問い合わせの返事や商品の手配で忙しい毎日を送っている。
比較的新しい会社なので、ゆりこは女性社員の中でも年上の方だ。
ここの所長は40代半ばの、やり手営業マンだったそうで、ゆりこが来た日から目を掛けてくれて、重要な仕事を次々に持ってきた。
そんないつもの昼前、一人で居ると打ち合わせを兼ねて食事に誘われた。
「もう慣れましたか?」
「そうですね、大体流れが分かってきました」
「前の営業所の所長に、あなたの事を聞いておきました、頼りにしていますよ」
「人数が少ないので、どこまでやればよいのか、少し迷っています」
「そうだね、この地区はこれから伸ばしていかなければならないから、そういう面では負担が大きいかもしれないけれど、あなたには女性社員の中心になってもらいたい、と期待しているのです」
「年だけはお姉さんなんですけれど」
「仕事は文句なし、ですよ、若い人達を引っ張っていって下さい」
「私に出来ることでしたら、頑張ります」
あまり頼りにされるのも困るな、とゆりこは戸惑った。誠二の近くに居たい、というのも大きな理由の一つなのだから。
学生の街国立、南に向かって広く真っ直ぐに延びた通りの両側にある桜の古木も、いまにも咲き出しそうな芽が赤みを帯びて待ち構えている。
この日は早出をしたので、食事の後も30分多く昼休みをくれて、反対側の北口の静かな住宅街を道なりに一人で行くと、もくれん科の花が見頃になっている。

武蔵野物語 27

2008-03-15 19:01:04 | 武蔵野物語
坂を上りきった所で、お参りを済ませていない事を思い出し、写真も撮りたかったので、春日通りから近い湯島天神に戻った。
入り口の信号を右に曲がるとすぐ左側だが、通り越した左の下り坂あたりはホテル街になっている。
誠二は、その方向から湯島天神に入っていく二人連れを何気なく見ていたが、雅子と、この間店でみかけた男性だと分かると、後をつけていった。
二人はお参りを済ませると、舞台の踊りを観て、梅を背景に写真を撮っていたが、一緒の写真を撮って貰う事はしなかった。
混雑を嫌ったのか、30分もすると階段を降り、御徒町駅に向かって歩いていく様だった。
電車に乗って秋葉原駅で乗り換え、新宿方面に行く。やはり新宿駅で降りた。
京王線に乗り換えたが、店に行くには時間が早すぎる。
隣りの両に乗り込み見張っていたが、府中までは一緒だった。駅を出ると雅子は店の方に行き、男性はバス停に向かった。男性の正体を知りたかったので、顔は見られていないはずだから、すぐ後ろについて行き先の時刻表を覗いたが、武蔵小金井行きになっていた。
土曜日のこの時間は30分間隔だが、丁度よかった。
武蔵小金井駅南口寄りの少し手前で降りて、右方向に歩いていく。図書館や小学校がある辺りを左に曲がった所が自宅らしかった。中に入るのを見届けてから表札をみると、黒木と書かれてある。
ここからだと武蔵野公園や野川公園にも近く、誠二もよく散策に来ている場所だ。
住所もメモしておいて自宅に戻った。
近くに意外な人が住んでいたりする。雅子の家は多磨霊園駅から近い、と店で聞いていたので、府中を中心に円を描けば、点在している関係者がうまく収まる。
誠二はもう少し調べてから、ゆりこに報告しようと考えていた。
3月に入ってから暖かい日が続き、桜の開花予想も発表されたが、自分の周りは春の嵐が吹くのだろうな、と感じている。


武蔵野物語 26

2008-03-08 21:14:56 | 武蔵野物語
雅子は誠二が居るのに気づくと、入り口近くでその男性と短い会話を交わし、帰してしまった。
「あら、今日はお一人ですか、それともゆりこさんと待ち合わせ?」
「一人で来たのです、たまにはいいかなと思って」
「そうですか、ゆり子さんのお父さんは、きょうは来れないそうですが、お会いした事があるのですか」
「・・まだなんです」
誠二が話したがらないのを察して、それ以上聞いてこなかった。
「女将さんと一緒に来られた方は?」
「ええ、たいした用事ではないので帰しました」
「共同経営者ですか」
「いえ、そんなんじゃないんです」
雅子は、準備があると言って店の奥に引っ込んでしまった。
「頼子姉さん、さっきの紳士について何でもいいから調べておいてくれない、お願いだから」
誠二は五千円札を彼女の手に握らせて、縋るように頼んだ。
「分かったわよ、その代わりいい情報が入ったら、その時はまたよろしくね」
「充分お礼はさせて貰います」
お金は掛かるが、交渉は成立した。

誠二の仕事はインターネット販売の営業なので、自ら表回りをすることはなく、府中営業所に詰めっきりなので、休日に都心へ出向くのは刺激があって楽しみになっている。
3月上旬の土曜日、秋葉原で探しものがあり、改札を出ると、メイドカフェの女の子が券を配っていた。1時間程で買い物が済んだので、湯島天神の梅を見に行くことにした。百草園の様な山の梅もよいが、街の一角に昔の情緒が感じられる場所も捨てがたい。
長く続いた今年の寒さの影響で、梅祭りが終わる頃漸く見頃を迎えようとしている。この日は暖かく、大勢の人々が訪れていた。
昼過ぎになり混んできたので、不忍池方面に向かい、旧岩崎邸を左にみてその先を左に曲がって行くと、無縁坂にたどり着く。こちら側からだと東大まで上り坂になるが、森鴎外の名作 雁 を想いながら歩んだ。

武蔵野物語 25

2008-03-03 20:58:05 | 武蔵野物語
自宅で一夜を過ごした後、敦子は素直に病院へ戻っていった。
誠二はほっとしたが、複雑な気持ちが残った。
以前の彼女と全く違う一面を見せつけられ、その独得の雰囲気と巧みな誘惑に呑み込まれて、危うく最後まで行きつくところだったが、ぎりぎり踏みとどまった。しかし二人が、互いにかなり激しい行為に及んだのは事実なのだ。夫婦の愛情、そんなものとは違う、敦子の危機感からだろうが、どう理解してよいか分からない。
誠二は病院に会いに行く回数が増えてきた。敦子がどうしたいのか、見守っているのだが、先日の事など何もなかったかの様に、本を読むか、横になっているだけで話も殆どしない、以前にかえってしまった。
誠二はただ家に戻る気になれず、といってゆりこに会うのも憚られて、19時少し前に 椿 へ一人で寄ってみた。空いていて、カウンターは誠二だけで女将もまだらしい。
「女将さん、何時頃来るの?」
「今日は20時過ぎになると思うけど」
顔見知りの、頼子というアルバイトの姉さんと時間潰しに話し出した。
「僕と一緒にくる人のお父さんは相変わらずよく来てる?」
「ああ、沢田さんでしょう、週二、三回ってところかしら」
「女将さんとうまくいってそう」
「どうかしら、女将さん皆に愛想がいいからね」
「なんでも好きなものを頼んでよ、ご馳走するからさ」
「わー有難う、きょうのお刺身いいのが入っているのよ、二人前、いいんですか」
「鍋料理も取ろうよ、今なら僕の相手をしていても大丈夫だろう」
誠二は新しい客が来る前に、少しでも話を集めようと躍起になっていたが、その中で気になるものがあった。
それは以前にも聞いた、60過ぎのお金持ちそうな男性が、殆ど毎日迎えにきていて、時々一緒に出勤してくる、今日あたり一緒に来るのではないかと言うのだ。
その話が出てすぐに、二人が店に入ってきた。