毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

並木の丘 ファイナル

2007-09-02 09:00:07 | 並木の丘
「慎一には申し訳ない、としか言いようがありません、あの子は頭も感受性もよく、話さなくても大概の事は理解しています、私が我慢して離婚せず、形だけでも夫婦のままでいた方が将来の為によかったのかもしれませんが、夫の会社が倒産に追い込まれた時点で、明日からの生活にも困る様になり、夫も離婚した方が私に負担が掛からなくていいと言ってくれましたので、そうしました・・・慎一は夫と私の大事な子供、それはこれからもずっと変りません」
千恵子はそれ以上なにも語ろうとしなかった。

日曜日の昼前、弥生は好きな自宅近くの公園を久美子と二人で歩いていた。
「健吾さんは大丈夫?昨日千恵子さんから正式に婚約解消の連絡がいったと思うけど」
「電話があったわ、短かったけど」
「そう、予期していたんでしょう」
「叔母さん、一昨日会って全部聞いてきたのでしょう、それで慎一君の事分かったの?」
「慎一は夫と私の大事な子供だと言ってたわ、鑑定をした訳ではないからね」
「でも、慎一君の話し振りだと、徳永さんは・・」
「それは、あの子個人の問題じゃない、これからの、私達は見守ってあげるしかないのよ、あなたはお姉さん的友情でね」
「友情ねえ」
「お姉さんになって欲しいって言われたんでしょ」
「まあ、そうだけど」
「せめて、若いあなた達は続いていって欲しいのよ」
「叔母さん、引越しを考えているんでしょうけど、遠くに行ったりしないわよね」
「最初は新宿に戻ろうと思っていたのだけれど」
「叔母さんは桜ヶ丘が似合っているわ」
「私も並木の丘を離れがたくなってきたから、近くで仕事をみつけるわ」
「そうよ、それが一番よ」
「健吾さんが寂しがっているでしょうから、これから三人で南大沢にランチを食べにいきましょう」
弥生の家に向かって行く二人の肩に、9月の風が後押しをしていた。

          -ご愛読有難うございました-


    
  
     


並木の丘 39

2007-09-01 10:04:28 | 並木の丘
千恵子は一瞬、久美子を刺すような眼で見たが、すぐに顔を伏せた。
「ひとの好い健吾さんを利用したのね」
「利用したなんて、そんな・・・私、そんな考えを持ってはいません」
「じゃあ、本当のことを、いま全て話して下さい」
「なにからどう話せばよいのか・・・どうしてこうなってしまったのか」
千恵子は明らかに混乱しているらしく、何度も途切れながら、記憶を絞りだすかの様にして話し始めた。
 
徳永との出会いは、千恵子の結婚式の時だった。夫は小さいながらも工業部品を造っている会社の2代目経営者で、徳永は当時得意先の営業部長をしていた関係で招待されていた。その後徳永が夫の会社に来る度に千恵子が接待係をしていたが、暫くして会社の経営が悪化し、夫は金策に駆けずり回り殆ど家に寄り付かず、困り果てた千恵子が、一人で徳永に相談しに行ったのがきっかけで関係を持つようになった。
結局夫とは離婚、転職を何回も繰り返しながら、ようやくいけばなの才能を開花させ、徳永の協力もあって軌道にのってきた。
徳永は営業の手腕を買われ、健吾の勤めている武田工業に入社して役員になっている。

「そういう付き合いがありながら、何で婚約したんですか」
「徳永さんには家庭も子供もあります、私は困った時に頼り、何回かお付き合いをしてしまいましたが、それ以上の望みはありませんでしたので、以後は仕事のアドバイスや紹介をお願いしている状況です。高辻さんは、同じ会社の総務部にいらした関係で、仕事を頂く際の打ち合わせは全部高辻さんを通していましので、一番話す機会が多く、とても親切に接してくださいました。その高辻さんから求婚された時は本当に驚いたのですが、あまりの熱心さと人柄の好さに惹かれてしまい、お受けしたのですが、後悔しています」
「慎一君は、徳永さんの子供なのですか?」









並木の丘 38

2007-08-29 20:25:24 | 並木の丘
「感じるものって、何よ」
「それが、ともかく話を理解しようと集中していたんだけれど、慎一君が居たくなったわけでしょ」
「そうよ、だから」
「私もどうしてって聞いたのよ・・そうしたら、なんか落ち着いてほっとした気分になった、いままでにない気持ちを感じた、と大体そんな話を繰り返したのよ」
「はっきりしないわね」
「私それで考えついたの、徳永さんは慎一君のお父さんなのじゃないかと」
「お父さん・・・つまり本当の父親だってこと」
「そうだとすれば納得がいくんだけど」
「慎一君はそういった話しをしたの?」
「いや、全然、私の感じ方なんだけど、叔母さんあの似顔絵、どことなく慎一君に似ていると思わない」
弥生にいわれて、総務の柴田が送ってくれた似顔絵を見直したが、共通点はあまり感じられなかった。
「慎一君の眼つきなんかはお母さん似だけどね」
「でも全体の輪郭は似ていると思うわ」
「じゃあ、あなたは慎一君は不倫の子だというのね」
「まだ何にも証拠はないけど、それもあるかなって」
久美子は、弥生の考え、感じ方は当たっているかもしれないと思った。

8月最後の金曜日、久美子は結論を出さす為、千恵子を自宅に呼びよせる事にした。
真夏の暑さが去り、秋雨前線が迫って曇りがちの午後、千恵子が人目を避けるように現れた。
「無理にお呼び出しをしてすいません」
「いえ・・・」
「女も40才を迎える頃になると、一通り振り返るだけの経験を積まされてくるものですね」
「そうでしょうね」
「私も、人様に言えないような、独身生活を送っています」
「そうは見えませんけれど」
「でも、嘘や、周りの人を惑わす真似だけはして来なかったつもりです」
「・・・」
「勝野さん、徳永さんがいるのに、なんで健吾さんと婚約なんかしたのですか、私、あなたのこと、殆ど調べたわ」

並木の丘 37

2007-08-26 11:20:52 | 並木の丘
「話がよく分からないってどういうこと?」
「あの子は頭がいいから、いつもは理路整然と話すのに、きょうはしどろもどろではっきりしないのよ」
弥生は話そのものよりも、慎一が大きな悩みを抱えている様子が気になった。
内容は大体次のようなものである。

夕方、慎一が一人で家に居た時、母に掛かってくる男からの電話があった。母は留守ですと返事をすると、今日は君と話したかったのだ、とその男は答えた。
そして、できれば二人きりで会えないだろうか、いま近くに来ているから、と言ってきた。
慎一は断ったが、決して君の不快になる様な話はしない、少しでもよいから会ってほしい、お母さんに聞かせたくない事もある、と何度も熱心に頼むので、三鷹駅で待ち合わせる約束をした。
行ってみると、男は車から降りてきて、徳永です、と名乗った。
そして車に乗せて、私は小金井に住んでいるので、いまは誰も居ないから家にきてくれ、近いし帰りも送るから、と言って車を走らせた。

「それで、一緒に家に行ってしまったのね」
「そうなの、返事をする間もなく連れていかれてしまったんですって」
あの徳永という男が慎一に関心を持っている、別れた父親ではなかったのか、久美子は考え違いをしていた訳だが、自分の家に連れて行くとは。
「じゃあ、2日もその家に居たの?」
「そうなんだって、食事や買い物に出掛けた以外は家、マンションなんだけど、そこに居たって」
「なんで早く帰ってこなかったのかしら」
「居心地が良かったみたいよ、着替えも好きなブランドや欲しかったスニーカーまで買って貰ったって言ってたわ」
「それにしても電話位すればよかったのにね」
「その徳永さんからいろいろな話を聞かされている内に連絡しそびれた、そうなんだけど」
「何か、あの子らしくないわね」
「どうも、感じるものがあったみたい」


並木の丘 36

2007-08-23 04:34:48 | 並木の丘
弥生宛に届いたメールには次のように打ってあった。

弥生さん、心配してくれて有難う、私は大丈夫ですので安心して下さい。母に連絡しなかったのは、それなりの理由があるのですが、いまはうまく話せそうもないので、弥生さんには申し訳ないのですが、私が友達と勝手に信州方面へ写真を撮りにいってしまい、怒られるのを恐れて連絡しなかった、と母に話しておいてくれないでしょうか。きょうの夜には自宅に戻りますので、詳しくは会った時に説明します、よろしくお願いします。 慎一

弥生は無事を直接知らせたくて、久美子の元に急いだ。
「叔母さん、母親に話せないってどんな事かな」
「それは、父親が関係してるという意味じゃないの」
「今度は息子にまとわりついているのかしら」
「なにか起こりそうな気配がしてきたわ」
その後慎一からもう一度メールが届き、翌日の昼頃、国立駅で会う約束をしたので、今夜は久美子の家に泊まることにした。ここからのが近いし、元気のない父親と一緒に居たくなかったのである。
8月の終わりで人通りも少ない大学通りのまっすぐな道を、3,4分歩いて左に曲がり少し行くと、天然酵母パンが自慢のカフェがある。
座席数は少ないが空いていて、それぞれ好みのパンを注文した。
弥生はこういう学生街のある所に通えればいいな、と将来を夢見た。
慎一はあまり元気がなかった。
「心配したのよ、誰にも言わないで帰ってこないなんて、初めてなんでしょう」
「初めてです、勿論」
「一体何があったの?」
「うまく説明できないのですが」
「うまくなくてもいいから、本当の事を話してね」

待っている久美子は落ち着かなかった。嫌な予感めいたものが頭の中を走る。
17時過ぎになってようやく弥生が戻ってきた。
「慎一君、どんな話をしたの」
「よく分からないけど、考えてみると、まさかって感じ」

並木の丘 35

2007-08-19 09:34:29 | 並木の丘
2日目になり、この温泉のホテルや旅館をもっと知って欲しいと女将が熱心に頼むので、二人は黙って従うしかなかった。
盛んに建物や従業員等について久美子の意見を聞きたがり、夜戻ってくると、弥生だけ先に帰してあなたはもっとゆっくりしていきなさい、私の部屋に泊まれば好きなだけ居られるから、との誘いをようやく断り、次の日、特急あずさに乗って新宿に向かうとさすがにほっとした。
「叔母さん、大歓迎だったわね、きっと女将さん仕事を一緒に手伝って貰いたかったのよ」
「息子夫婦が新しい商売を考えているので、寂しいのじゃない」
「その内小さな旅館を造って、若女将として呼び寄せるかも知れないわよ」
「経験もないし、何とも言えないわね」
「そうよ、叔母さんはやはり都会の方が会っているわ」
お盆までの猛暑がややおさまった夕方の空に、新宿の高層ビル群が見えてきた時、ああやはり私の故郷はここなんだ、と改めて自身に言い聞かせた。

松本に行ったお蔭で気持ちの整理もつき、やり直す為の新しい住まい探しを始めようとしていた矢先、弥生から至急連絡乞う、のメールが携帯に届いた。
「どうしたの?」
「叔母さん、慎一君から連絡きていないわよね」
「ないわ、あるとしたらあなたの所が最初でしょう」
「さっき、慎一君のお母さんから電話があって、2日前から家に帰っていないんですって」
「2日も、携帯でも連絡つかないの」
「留守電のままなのよ」
「お母さんと喧嘩でもして、拗ねて連絡よこさないのかしら」
「私も何かあったのですかって聞いたんだけど、特に気になる事はなかったって」
「あなたが何回もメールを送り、留守電も入れなさい、心配しているから私にだけでも連絡をくれ、だれにも喋らない、という内容でね、分かった?」
「分かった、そうする」
1時間後、慎一から返事がきた。





並木の丘 34

2007-08-16 21:14:21 | 並木の丘
女将の表情が生きいきとしてくる。
「この旅館は、私が嫁いだ頃の形をできるだけ変えずに残そうとしてきたのです」
「年月の重みを感じますね、学校の友達にもメールを送っておこう、写真も入れて」
弥生は携帯のカメラで何回もシャッターを押している。
夕食は女将を入れ久美子の部屋で摂る事にして、用意ができるまで二人で内湯に浸かった。
「美ヶ原高原美術館、どうだった」
「よかったわ、空気が涼しいの、北アルプスが見えて大パノラマよ」
「私も学生時代に一度行ったのよ、楽しかったわ」
「ボーイフレンドと一緒に」
「グループで行ったのよ、男子も半分いたけど」
上がってみると、特注らしい豪華な食事の用意が整っていた。
女将が少し遅れてきて、三人の楽しい宴会が始まった。
「ここは10室しかない小さな旅館だけど、久美子さんからみてどうですか、また来たくなりますか」
「ええ、私はとっても気に入っています、いまは少人数や女性の一人旅も盛んですから、合っているのではないかしら」
「弥生さんの感想は?」
「建物は古いけど、清潔感があって落ち着いたよい所だと思います」
「それは良かったわ、息子はね、商売の拡大ばかり考えて大きな旅館に建て替えなければもったいない、とかそんな話ばかりで私もうがっかりしているのよ」
「心のこもったおもてなし、という意味ではこの位の規模が丁度いいという事ですか」
「久美子さん、その通りよ、大きなホテルや旅館と違って、ここはゆっくり寛いで頂く為にずっと変えない良さを続けて今があるの」
「私、ここだったら長期滞在したいな」
「弥生さん、学校を卒業したらこちらにいらっしゃい、就職も結婚も全部面倒みてあげますよ」
「女将さん本当ですか、私本気にしちゃいますよ」
「あら本当よ、久美子さんだってここに引っ越してくるかもよ」
「叔母さん、本当?」


並木の丘 33

2007-08-15 10:00:16 | 並木の丘
「私、優柔不断なんです、もっと早くはっきりさせればよかったのに」
久美子は絹代に本音を打ち明けると共に、寄りかかっておもいきり泣きたい気持ちが高まった。
「今日、はっきり伝えたのだからそれで良かったのよ、間違ったりしていないわ、話せる相手がいなくて辛かったでしょう・・・それで、これからどうしたいの?」
「まだ就職先も決めていないし、いろいろ考えてみようと思い、こちらが懐かしくて伺いました」
「そうなの、私さっきも言った様に、あなたが娘に思えてしかたがないのよ」
「有難うございます、そのお言葉、嬉しく思います」
「もし東京でよい仕事がみつからなかったら、ここの温泉にくればいくらでも紹介できるわよ、旅館の仕事だけでなく、観光の方からも仕事を選べるから」
「その節はよろしくお願いします」
「まあ少し気分転換を兼ねてゆっくりしていきなさいよ、第二の故郷になるかもしれないでしょ」
「でも、弥生を連れてきているので」
「あなたのお姉さんも早く亡くなったわね」
「母が亡くなってから3年後でしたから、寂しくなりました」
「弥生さんは元気にやっているの」
「とても元気で、私が煽られています」
尽きない話をしているうちに18時近くになり、弥生が帰ってきた。
「ここ、すぐに分かった?」
「地図通りに来たらすぐだったわ、駅から近いのね」
「絹代さん、弥生です」
「初めまして、女将の絹代です」
「高辻弥生です、よろしくお願いします」
「まあ、目元の涼しいところなんか久美子さんと一緒ね、親子みたいよ」
「私も叔母さんとは思っていません」
「姉も、弥生は自分よりもあなたと一緒に居る時がよっぽど打ち解けてよく喋ると言っていました」
「だって叔母さんの方が話しやすいんだもの、ここの温泉、随分古いんですね」
「1300年以上の歴史があるんですよ」




並木の丘 32

2007-08-13 21:57:30 | 並木の丘
「女将さんはお体の調子よろしいのですか」
「お蔭様で大きな病気もなくやってこれました、でももう年ですからね、古い付き合いのお客様がお見えになった時だけ顔を出しますけど、殆ど息子夫婦に任せっきりなんですよ」
「それじゃあ悠々自適で、旅行をなさったりしているのでしょう?」
「いえ、主人が亡くなって一人で出掛ける気にもなれず、毎日少しでも旅館の仕事をしているのが生き甲斐なんですよ」
「仕事がお好きなんですね」
「そうね・・ところで久美子さん、あなたまだ独身なんですって?」
「はい、そうなんです」
「もったいないわね、あなたの様なひとだったらいくらでも良い話があるでしょう」
「縁がないんですよ、こればっかりは」
「そうじゃないでしょう、私は半世紀も客商売をしてきたのよ、初対面の方でも話をすれば大体の環境は分かるのよ」
「・・そうなんですか」
「私心配していたのよ、あなたはお母さんの和子さんに、外見だけでなく気性から何からそっくり引き継いでいるのだもの」
「そんなに似ていますか」
「ほんと瓜二つね、殿方とのお付き合いも」
「母にどんなことがあったのですか?」
「どんなって、それは今のあなたと同じよ、ただ和子さんは就職してまもなくだったから、若い頃の物語なんだけれどね」
「父と知り合う以前なんですか」
「そうよ、一生に一度の大恋愛だったわ、自殺するんじゃないかと心配で、彼女の下宿先に何回も泊まりに行ったものよ」
あの古風を絵に描いた母がそんな付き合いをしていたなんて、とても信じがたい事だったが、そういえば父とは見合いだと言っていたのを思い出す。
久美子は、今日前澤に会って自分の考えをはっきり示した件を手短に話した。
「女将さん、私の判断は間違っているでしょうか」
「絹代って呼んでよ、私娘がいないでしょう、あなたが居てくれたらねえ」

並木の丘 31

2007-08-12 21:10:50 | 並木の丘
長野県松本市に、久美子の母の親友が女将をしている旅館があり、母と二人でそこに行ったのが最後の旅行で、それから3年後に母は亡くなった。
その思い出と今後の相談も兼ねて、弥生を連れてお盆の後訪ねる予定だが、なにも知らない弥生は観光旅行気分で喜んでいる。

10時半過ぎに松本駅へ着き、弥生は一人で美ヶ原高原美術館に向かった。
久美子は前澤から、妻の静養で上田市にある鹿教湯温泉に宿泊しているので、是非話を聞いて貰いたく駅まで会いに行くと連絡してきたので、仕方なく待つことにした。
前回会った時に、もう自分達は会うのをやめ、あなたは家庭の事だけを考えてはどうか、と久美子の方から別れ話を持ち出したのである。
駅で待ち合わせ、近くのコーヒー専門店に入った。長く居たくなかったので、食事の誘いは断っておいた。
前澤は執拗に二人の関係の継続を願ったが、久美子が自分の考えをはっきりと述べてきたので、いままでとは違う彼女の強い意志を受け戸惑っていた。
話し合いは平行線のままで終わりそうにないので、2時間程で別れ、久美子は昼食を摂る気になれず旅館に直行した。
着いてみると、女将は買い物に出掛けて留守で、息子夫婦が丁重に迎えてくれ、早速温泉に浸かることにした。
開閉できる大きな窓ガラスの付いた内風呂のある部屋が用意されており、一人で好きなだけ入れる贅沢さは心地良い。
常念岳、乗鞍岳等の北アルプスが遠目に見える。久美子は無心になり、心洗われる想いで身を浸していると、過去を懺悔したくなる自分の惨めさがみえてきた。
16時近くなってようやく女将が挨拶に表れた。
「お待たせして、まあ久美子さんお久し振り、相変わらずお綺麗ねえ」
「ご無沙汰しました、8年振りですよね」
「そう、お二人で来て頂いたのが結局最後になってしまって」
「不整脈でした」
「急だったわね」