光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

私の父、9 1 歳の誕生パーティー

2010-02-07 | 日常
昨日、父 9 1 歳の
誕生パーティーをささやかにしました。
実際は 2 月 9 日が誕生日ですから、
3 日早く祝いました。

長女のところ、次女のところが集まって、
皆が都合の良い日に行った
ささやかなパーティーです。

父は、大げさに
お祝いされるのを嫌うので、
前日に皆がお祝いに集まると伝えたのです。
それも、さりげなく伝えたのです。

父は働き者で道楽というか遊びは
一切せずに仕事一筋でした。
勤めていた時は、
会社が休みの土曜の午後、日曜日は近所の
商店街の看板書きの仕事を、
自ら注文を取ってしていました。

夏場の日が長い頃は会社から帰ってから、
看板の仕事をしていたものです。

父が看板の字とか絵を描いているのを、
幼い私は、
その仕事振りを商店街で見学していたものです。

父の看板のデザインは評判が良くて、
地元の商店街だけではなくて、評判が評判を呼び都内の随所に
描きに行っていたのです。

会社勤めは、勤めとして責任ある仕事をしながらの
余暇にしていた看板描きの仕事です。

私に絵を描く才能があるとしたら、
父のものを受け継いでいるかも知れない。

私が七歳の時、
父は会社を辞めて金属塗装の会社を起こしました。
焼付け塗装というもので、金属の工業製品に塗装したものを
窯で高温で焼き付けて仕上げるという仕事です。

看板で使う自然乾燥の塗料とは違う性質の塗料を
使うもので、仕事の質は看板とはかなり違ったものです。

最近知ったのですが、
父は、金属塗装の仕事は未経験だったそうです。
独りで試行錯誤しながらも研究して指導員までなってしまった。
誰からも教わることなくです。
会社を起こすと同時に、始めた金属塗装の研究ですから、
私は、その大胆な決意に脱帽してしまう。

そして業界の役員もするようになっていた。

私が中学生の頃はすでに職人が何人かいて、
住み込みの職人もいるようになっていました。

私の高校生の頃
見習いも含めて、十数名の人がいた。

この頃は我が家には住み込みで働いている
若い人が、5 名ぐらいいた。

私が彼らと兄弟のように遊んだものです。
一つ屋根の下に住んでいたのですから当然といえば当然です。

金属塗装の仕事は順調で
大手のメーカーの製品も手がけている反面、
中小のメーカーの製品もしていました。

中小のメーカーの製品が後に、
父の会社が大変な事態を招く要因になるのですが、
それもこれも父の打算を超えた人情のなせるわざです。

父は、誠実無比に仕事に生きた人で、
衒うことが微塵もない人です。
画家の私は、
父から見ると
衒う部分がある虚業のように見えるかも知れない。

父は美術は分からないふりをしているが、
実は審美眼の持ち主だと分かる。

父は黙々と働く人でしたが、
僅かに空いた時間に書道をしていて師範の資格がある。

父は、誕生パーティーでひ孫の T が近づくと
重いと言いながら抱き上げている。

年齢相応の体の衰えはあっても、

日記をつけているためなのか、
頭のさえは衰えることなく日々のことは
自分で出来ている。

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