前世滝沢馬琴の「弓矢を呪う村」

戦国時代、現在の千葉県市川市真間から松戸市東松戸にかけて、北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦のことを国府台合戦と言い、松戸市矢切周辺が主戦場となり、合戦での戦死者は一万人を数えたと記されてる。
1538年に起こった合戦は「先の国府台合戦」といい、1564年に矢切台を中心に起こった合戦を「後の国府台合戦」という。またその合戦で、矢切台には敵味方千人以上の屍がさらされたと記されている。
この辺りの村では、度重なる合戦の苦しみから弓矢を呪い、『谷切り(やきり)』と呼ばれていた地形を皮肉るように『矢喰い、矢切り、矢知らず』などの言葉が派生し、庚申仏や地蔵尊に「矢喰村」などと刻まれ、やすらぎと健康が祈られるようになった。
なお下矢切には、矢喰村庚申塚と呼ばれる石塔がある・・・(この続きはこちらから)

