パキスタンのシンド州にあるモヘンジョダロは、インダス文明を代表する都市遺跡だ。今からおよそ4500年前に繁栄したモヘンジョダロは、多い時には40000人もの人々が生活していたと考えられている。「モヘンジョダロ」という呼び名は地名などではなく、現地の言葉で「死の丘」を意味している。
インダス文字もいまだ未解明であるため、繁栄当時どのような呼び名をされていた都市であるかも不明なのだ。また、「死の丘」 . . . 本文を読む
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昨今は、イベントや特に動画サイトという媒体によって怪談が語られる土壌が広く開かれており、ブームと称する以上に一つのコンテンツとして君臨している。現代における、こうした怪談の隆盛を鑑みる上で、小泉八雲の存在は欠くことができないだろう。
まさしく彼は、日本における怪談流布の功労者であった。
1850年、小泉八雲(出生名パトリック・ラフカディオ・ハーン)は、アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に . . . 本文を読む
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戦乱がおさまり、世の中が平定することによって忍者の活動は少なくなっていった。1637年の島原の乱は、幕府の老中松平信綱が甲賀忍者を率いて指揮にあたっていたが、この大規模一揆が忍者集団の最後の組織戦であったとされている。そして幕末、情報収集によって潜入するという職務を行なった、最後の忍者と呼ばれる人物がいた。
それは伊賀の忍者、澤村甚三郎保祐(じんざぶろうやすすけ)である。
甚三郎は、伊賀国の藤 . . . 本文を読む
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テレビドラマ『暴れん坊将軍』のモデルとしても知られる第8代将軍徳川吉宗は、綱紀の粛正、質素倹約の励行、享保の改革を行なったことで、江戸幕府の中興の英主とされている。
吉宗は、それまでの将軍とは異なり、御三家から初めて将軍に選ばれた。御三家とは尾張、紀伊、水戸の3藩のことであるが、吉宗は紀州藩の藩主徳川光貞の子として生まれた。吉宗は四男であり、藩主の座にもつけないような立場であったはずだったのだが . . . 本文を読む
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故事として知られる「元の木阿弥」は、良くなったものが元の状態に戻ってしまうという意味の言葉である。これは、戦国の武将筒井順昭(じゅんしょう)がその死を隠すために影武者として用いた木阿弥という盲人に由来すると言われている。
死の直前、順昭がその息子である順慶が成長するまでの時間稼ぎとして姿が似ている僧侶木阿弥を起用、木阿弥はしばし不自由のない贅沢な生活を送っていたが、のちに順昭の死が公表されたこと . . . 本文を読む
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南北朝時代に編纂された説話集・神道書である『神道集』の「諏訪縁起事」に登場する甲賀三郎は、大岡寺観音堂縁起のほか民話にも登場する伝説上の人物として知られている。甲賀三郎の伝説は、ものによってところどころ違いはあれども、おおよそ以下のようなものだ。
第三代天皇である安寧天皇の五大の孫である甲賀諏胤(よりたね)の三男として生まれた三郎には、太郎、次郎という二人の兄がいた。三郎は諏種の死の直前後継ぎに . . . 本文を読む
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源頼朝は、初代征夷大将軍として初めて武士による政権を作った人物であり、鎌倉幕府を作りおよそ700年近くに渡る武家政権の礎を築いたことで知られている。しかし、頼朝の死後は源氏による将軍は廃嫡となり、実権は北条氏によって奪われてしまうこととなった。
この嫡流廃絶の流れは頼朝の急な死によるものであるとされているが、その死因については実のところハッキリとしていないと言われている。通常唱えられている彼の死 . . . 本文を読む
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地上絵と聞くとペルーのナスカを思い浮かべる人は多いかもしれないが、地上絵と呼ばれるものは世界各地で発見されている。北アメリカのカリフォルニア州ブライスのそばにあるコロラド砂漠にも、謎めいた地上絵が存在しているのだ。
このブライスの地上絵(ブライス・インタリヨ Blythe Intaglios)は、1930年代に入るまで、この地上絵は地元の住民たちでさえ知る者は誰もいなかったという。1932年にパ . . . 本文を読む
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1901年、考古学者ヴァレリオス・スタイスによって、地中海の島であるアンティキティラ島近海の海中に沈む難破船から、奇妙な遺物が発見された。靴箱サイズの破片で複数の歯車で構成されたこの物体は「アンティキティラ島の機械」と呼ばれ、オーパーツとして広く知られている。
現在、アテネ国立考古学博物館が所蔵しているこのアンティキティラ島の機械は、損壊し錆びて腐食した状態で発見され、大きい塊で縦およそ17セン . . . 本文を読む
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民俗学者柳田國男が発表した『遠野物語』(1910)は、今もなお人々に読み継がれる説話集である。彼の代表的な著作としても知られており、民俗学者谷川健一は「私たちが失った大切なものは何か、を知るために『遠野物語』がある」と現代的価値を謳い、小説家三島由紀夫も「日本民俗学の発祥の記念塔ともいうべき名高い名著」と絶賛したほどだ。
しかし、当然ながらその一方で、批判がなされている部分もある。自然主義文学を . . . 本文を読む
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中国のとある人工湖の地下には、専門家から 「中国のアトランティス」 と呼ばれる忘れられた都市が存在している。
「獅子の都」 または 「紫城」 として知られるこの水中都市は、中国東部の尖頭湖の水面下40メートルに隠されている。
2001年、当局は何年も水中に沈んでいた都市が完全に保存されていることを発見し、2017年までに観光客のためのダイビングスポットとして開放した。
しかし、この獅子の都は . . . 本文を読む
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メキシコにて、この度考古学者らがジャングルの中に埋もれた「2つの都市を結ぶ主要な幹線道路」であった道路を発見して話題になっている。
メキシコのユカタン州プウク地方を通るこの街道は、西暦700年に成立。かつて繁栄していたマヤの都市ウクスマルとカバを結んでいたもので、西暦950年頃まで、少なくとも250年間は使用されていたと考えられている。
発見したのはメキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)の考 . . . 本文を読む
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1986年、南西諸島八重山列島にある日本最西端の島「与那国島」の南側海底において、地元のダイバー新嵩喜八郎(あらたけきはちろう)が巨大な一枚岩や階段構造を発見した。その様は海底に眠る巨大宮殿の遺跡のような光景であり、のちに「与那国島海底遺跡」と呼ばれ現代に至っている。
発見された岩は、直角になった部分や通路のように平坦な部分、そして柱が立っているかのような穴も多く存在していた。その規模は東西約2 . . . 本文を読む
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地底に隠された文明が発展しており帝国や都市が存在している。そのような伝説がこれまで、まことしやかに囁かれてきた。実際、チベットにおいて古来より伝わるボン教をはじめとして、インドのヒンズー教、そして仏教においては、地底都市「シャンバラ」の存在が伝わっているという。
シャンバラは、仙人あるいは悟りを開いた者たちが暮らす理想郷と言われる地であるといわれている。前述したように、ボン教などでは古くから存在 . . . 本文を読む
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エジプトのギザにある大ピラミッドは紀元前2570年頃にクフ王の墓所として建造された世界最大級の墓の一つである。内部には玄室や王妃の間を含む3つの大きな部屋があることが知られているが、その大きさと比べて内部構造にはまだ謎が多く、知られざる空間が存在しているのではないかという説も存在している。
特に王妃の間では、通気孔とされていた立坑の調査からその上部に空間が存在し、銅製の取っ手がついた石造りの扉が . . . 本文を読む
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