300人殺し、日本史上最恐の怨霊「山田地蔵の六怨霊」

筆者の福岡は第二の故郷である。実はかみさんが福岡県の出身であり、彼女の実家が宗像大社の氏子であったのだが、そこで山田地蔵に纏わる怪談を聞いたのが、この怪異伝承に触れたきっかけであった。
この地蔵が出来たのは、現在までに305人(異説ではもっと人数が多い)を怨霊が呪殺したという山田館の惨劇が原因だと言われているのだ。今でも怨霊を封印した山田地蔵のご本尊開帳の日には、住職による怨霊談の語りを聞く事が出来、生々しい怨霊の怪異に触れる事が可能である。
事件は天文21(1552)年3月23日に、宗像正氏の正室・山田局とその娘の菊姫、4人の侍女が家督争いに巻きこまれ、陶晴賢の家臣・石松典宗の放った刺客・野中勘解由、嶺玄藩によって暗殺されてしまったのだ。
宗像大社の宮司を兼務する戦国武将・宗像一族の跡目争いは、正室・山田局とその娘の菊姫を推す派閥と、陶晴賢の姪に当たる側室・照葉の生んだ七歳の鍋寿丸を推す派閥争いが行われ、このような惨劇に繋がったのだ・・・
(この続きはこちらから)
この地蔵が出来たのは、現在までに305人(異説ではもっと人数が多い)を怨霊が呪殺したという山田館の惨劇が原因だと言われているのだ。今でも怨霊を封印した山田地蔵のご本尊開帳の日には、住職による怨霊談の語りを聞く事が出来、生々しい怨霊の怪異に触れる事が可能である。
事件は天文21(1552)年3月23日に、宗像正氏の正室・山田局とその娘の菊姫、4人の侍女が家督争いに巻きこまれ、陶晴賢の家臣・石松典宗の放った刺客・野中勘解由、嶺玄藩によって暗殺されてしまったのだ。
宗像大社の宮司を兼務する戦国武将・宗像一族の跡目争いは、正室・山田局とその娘の菊姫を推す派閥と、陶晴賢の姪に当たる側室・照葉の生んだ七歳の鍋寿丸を推す派閥争いが行われ、このような惨劇に繋がったのだ・・・
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