アメリカ初のUFO調査機関「プロジェクト・サイン」と「マンテル大尉機墜落事件」
1947年12月に誕生した「プロジェクト・サイン」にはのちにUFO分野で著名な存在となる、天文学者 J・アレン・ハイネック博士が顧問として就任することになった。そして同機関の誕生と前後して、UFOに関する別の可能性も浮上してきた。
当初は、UFOはソ連が開発してものだとすれば、自国でも開発が可能なはずだと考えられた。だが、開発に先立つ検証作業を行うと不可解な点があることがわかった。
当時のあらゆる航空用資材を検討しても、目撃情報から算出した飛行物体のスピードに耐えられるものが見つけられず、それ以前にそのような高速に人体が耐えられないということが明らかになったのだ。
この技術的な壁は非常に高く、UFOは人類が開発したものではない、とする見方が広まることになった。
こうして考え方は、空軍内だけでなくプロジェクト・サインの内部でも広がることになり、UFOに対する見解は別れることになった・・・(この続きはこちらから)